006
「キミねぇ、いい加減にしなよ」
往来の真ん中で、ピューレさんに呆れた溜め息を吐かれる。聞き分けのない子供を見る視線が刺さるのを感じるが、頭を下げ続ける。
「自分の立場わかってる? キミは、アタシに、買われたの」
立場を弁えていないことは重々承知だ。昨日に引き続き奴隷が主人に要求をするなんて、この世界の常識ではありえない。折檻を受けても仕方ない状況だ。
しかし、引き下がるわけにはいかない。
「お願いです。花潜さんに会いに行かせてください」
高校からの同級生で、一緒に転移に巻き込まれた女の子。騒がしい場所が苦手で、仲良しの女子グループで談笑するか、静かに本を読むのが好きな彼女にとって、突然の異世界は酷く恐ろしいものだっただろう。
けれど彼女は、ハンターという危険な職業に就いてまで、僕を救おうとしてくれた。不安でいっぱいだったろうに、命懸けでお金を稼いでくれた。
その献身に応えずして何が男か。
「あの子は僕の恩人なんです。一人の男として、あの子の気持ちを見過ごすなんてできない」
「男? ハッ、アホくさい。男なんてねぇ、非力で、不潔で、頭も悪い下等な生き物よ。キミのプライドなんて知ったこっちゃないわ」
ピューレさんの苛立ちが肌に伝わる。花潜さんを追い払ったときの非情さが目尻に現れ、語気が段々強くなる。道行く人々もひりついた空気を察して足を止め、いつの間にかギャラリーに取り囲まれる。
嘲笑、蔑み、好奇の目。向けられるのはそんなものばかりで、僕の味方は一人もいない。分かっている。そんなものは初めから期待していない。己のプライドにかけて、ピューレさんから目を逸らさない。
「ただ会いに行かせて欲しいだけです。どうしてそんなに拒絶するんですか」
「どうしてアタシが、奴隷のキミと知らない女のために時間を割かなきゃいけないのよ。そもそもキミは、オペラに狙われてる立場でしょ? 今日のお出掛けだってリスク高いのに、更に危ない橋を渡れっての?」
「……そんなにオペラさんが怖いですか」
はっきりと地雷を踏み抜いた。
ぐん、と空気が重くなり、内臓が鉄になったと錯覚するほどの重圧がかかる。前腕には立体感のある血管が張り、膨らんだ広背筋で表面積は1.3倍まで広がった。隆起した太腿は僕の胴より厚く、衣服を引き千切りかけている。
「今、なんて言った」
何よりもその相貌。一見無表情を装いながらも、瞳の奥では憤怒の炎が燃え盛る。殺意を論理に押し込めた、軍人の表情だ。
十回は殺されていそうな迫力。それでも僕は前に出る。無謀と分かっていても、花潜さんがそうしたように、立ち向かうために胸を張る。
「オペラさんなら怯えて隠したりはしなかった! 僕を連れて、堂々と歩いたはずだ!」
ピューレさんが右腕を振りかぶる。ビンタの予備動作。大根より太い腕から繰り出されるそれは、金属バットのフルスイングより破壊力がある。確かな死を感じながら、しかし、目は開き続け、とうとう右手が振り下ろされる瞬間──
「ちょぉっと待ったあ!」
見知らぬ女性が飛び込んできた。
ピューレさんの必殺のビンタを両の前腕で受け止め、土煙を上げながら後退する。ピューレさんは再びビンタの姿勢に入るが、女性の復帰が早い。低い位置からレスリング仕込みの力強いタックルをかまし、ピューレさんの動きを制する。
「1億で購入した奴隷でしょう!? 一時の感情で殺すのは、あまりにもったいない! そうでしょうみなさん!」
「おうおう! まったくその通りだぜ!」
「殺すくらいなら一発ヤらせろ!」
女性がピューレさんを抑えながらギャラリーに呼びかけると、方々から声が上がった。下品な野次ばかりだが、僕の殺害を肯定するものはない。絶え間なくかけられる声にピューレさんが怯み、瞳にも躊躇いの色が混じる。
女性はその変化を見逃さなかった。ピューレさんの力が緩んだ隙に耳元まで接近し何事かを囁く。
「ね? 悪い話じゃあないでしょう?」
「……分かったわ。今回はアナタに乗ってあげる」
「1名様ごあんなーい! 野次馬の皆さんもどうでしょう! 転移したての僕ちゃんが絶望する顔を見れますよ!」
不穏な単語が聞こえたが、人垣はむさ苦しい筋肉でみっちりと詰められている。逃げ場などあるはずもなく、僕は女性達に抱え上げられ、視界も覚束ない状態で連行された。
◇◆◇
体育館より広い円形のホールに広い間隔で置かれた大きな丸テーブルと、すべすべのシーツがかかったソファ。中央に設置された台座と長いポール。それらがよく見えるよう一段高いところに置かれた貴族のベッドみたいにゴージャスな椅子の上に、僕とピューレさんは座っている。
店内は薄暗く、紫がかった照明が点々と灯るのみだ。どうやらこの建物に限り、電気が通っているらしい。調度品も如何にも高級そうで、昼に立ち寄った洋服店よりも内装は現代的ではあるが、親近感は湧かない。高校生では入店できない怪しい雰囲気が漂っている。
「お飲み物は何にしますか?」
「ジュースでいい。てきとうにもってきて」
注文を終えたピューレさんは深く腰をかけ直す。道端で争ったときから、彼女は一度も僕の方を見ない。ただ僕が逃げ出さないよう、首に腕は回されている。彼女が軽く力を入れるだけで僕の頸椎はへし折れるだろう。大蛇が巻き付いているみたいな感覚だ。落ち着かない気持ちを紛らわそうと、目だけで店内の様子を確認する。
他のお客さんは往来で見かけたような荒っぽい女性のグループが多い。しかし数組、僕とピューレさんと同じ男女の二人組がいる。外で男性を見るのは初めてだ。暗がりで顔は分からないが、全員揃ってスタイルがよく、執事服でばっちり決めている。
ピューレさんはよく、僕は破格の待遇を受けていると話すが、彼等にも虐待の気配は感じられない。ピューレさんの言葉には、能力のないちんちくりんな男にしては、という枕詞がついているだけで、見た目がよければちゃんとした扱いを受けられるらしい。
ようやく他の男の人の姿を見られて、少しだけ落ち着いてきた。これから始まるショーが何なのかは分からないが、これでピューレさんの機嫌が治れば、いずれまたチャンスは訪れる。そうしたらこっそり屋敷を抜け出すか、通いの家政婦さんに頼んで手紙を届けてもらうなりして、花潜さんに接触を取ればいい。
「淑女の皆様! 本日もようこそお越しくださいました!」
脳内で算段をつけていると、司会者らしき女性のアナウンスがかかった。同時にぱっと照明の紫色が強くなり、中央の台座周辺が色濃く照らされる。見えない位置に演奏隊が控えていたらしく、テンポの速いジャズが流れ始め、同調するように口笛や野次めいた歓声が飛ぶ。
薄々勘づいてはいたが、あまり品の良い催しではないらしい。ピューレさんの顔色を横目で窺うと、彼女はジュースのストローを唇で挟みながら無表情で台座を見下ろしている。
「ワタクシの前振りは不要でしょう! 本日も、大人気のあの子を用意しております! ジパングから来た美丈夫の舞を、とくとご覧ください!」
ジパング。日本。
意識が一瞬で引き付けられる。台座へと伸びるのは一本の通路。順々にライトアップされ、通路の奥から口元を隠すフェイスベールと全身を覆うローブを纏った男性が現れる。
「……螻蛄君?」
身長180センチの細マッチョ。剣道部のエースでテストも学年10位内、当然モテモテだけれど恋人の轡さん一筋で、外見も中身も非の打ち所がない。オペラさんとカカオさんの巨体にも動じず、でも、女性に背丈で負けたことにちょっぴり悔しがっていた、同じクラスのイケてる男子。
学校では接点がなかったが、この世界に来てからは外出が許可されない組としてお互い励まし合っていた。趣味も趣向も違ったけれど、友人だったつもりだ。
そんな彼が、どうしてここに。
「螻蛄君、僕だよ! 蚕蛾蓬!」
居ても立っても居られない。ピューレさんの腕をすり抜け、台座まで一直線に走り寄る。螻蛄君もすぐに気づいた。台上の彼とはっきり視線が交差する。
けれど、螻蛄君は応えない。ベールの下の口元が微かに震えるが、堪えるように固く噤んでしまう。
「オ゛イ゛! とっとと脱げや!」
「焦らすなゴラァ!!」
客席から暴言が飛ぶ。螻蛄君はびくりと肩を跳ねさせて、ぎこちない動きでローブの前を開く。
「え」
まず目に入ったのは、金糸のような装飾だった。ぎらぎらと輝くそれは、螻蛄君の鍛えた肉体を拘束するように全身に巻き付いている。
けれど、そんなことより。
「み、見るな……」
局部が丸出しだった。
乳首も、股間も。隠さなければいけないところが全部見えている。
「「「オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛♡」」」
螻蛄君の全身が露わになった瞬間、爆発みたいな歓声が巻き起こる。涎を撒き散らし、目を爛々と光らせながら、四つ足で台座に殺到する。
けだものよりも悍ましい何かの猛進に、僕は簡単に弾き飛ばされた。尻もちをついた見上げた先では、岩を削りだしたような筋肉に埋もれた螻蛄君の姿がある。
「しばふねぇ♡ しばふねぇ♡」
彼の名を呼ぶ甘い声。恐怖で冷え切った首を辛うじて回すと、螻蛄君の恋人、轡白玉さんがいた。教室で見たより筋肉質になった彼女は、恋人が蹂躙される様子を恍惚とした表情で眺めながら、一心不乱に股間を弄っている。
粘ついた水音がするのは台座の周りだけではない。数組だけ来ていた男女の客。彼女等の方からも、ぴちゃぴちゃと飴を舐めるような音がする。
「おい。もっと舌使え」
金持ちそうな女性はソファにどっかりと体を預け、その股座に男性が頭を突っ込んでいる。女性が男性の尻を踵で小突くと、火を点けられたように慌て、全身を使って奉仕する。鞭の痛みを刻みつけられた、奴隷のような必死さだ。
奴隷。
この世界の男性の扱いは、正しく奴隷だ。
蔑まれながらも労働力として重宝され、ある意味で認められていた奴隷とは違う。この世界の男性は、気晴らしに欲望をぶつけるための肉の玩具だ。背が高くてスマートな男性も、学校の人気者だった螻蛄君も、誰も彼もが等しく女性に貪られている。
「よく見なさい。あれが男の役割よ」
背後からぞっと長い指が伸び、僕の顎を掴む。ピューレさんの指だ。固定された視線の先では、大きな女性達に嫐られ、尊厳を奪われた螻蛄君が喘ぎ声を上げている。
「オラ、イケッ」
汗に滑った筋肉が光る。凸凹に隆起した肉の壁の隙間から、くぐもったうめき声と共に白濁した液体が飛んだ。




