005
漆喰の壁に木屋根の建物が並ぶ、石畳の大通り。文字を彫っただけの簡素な看板、見覚えのない花が植えられた鉢。背の高い黒鉄のガス灯。
そして、道行く人々の恰好。ふわっとした浅葱色の平服にエプロンを身につけた如何にも給仕らしい服装や、革鎧に外套を纏った冒険者然とした装備、背中がざっくり開いた露出の激しい漆黒のドレスと、局部を隠しただけのビキニアーマー。元の世界では聞くことのない、革や金属の擦れる音が至る所から聞こえてくる。
「……すごい」
僕の目の前に、ゲームで見た光景が広がっている。
この世界は未開の地が多く、街の外で猛獣を狩る職業があることは知っていたが、実物の質感は想像以上だ。鉄板よりも厚い背筋とレンガみたいな腹筋を見せつけながら闊歩する女性達は皆、歴戦の風格を纏っている。
「おい! 今日どこ行く!?」
「アンゼリカんところのストリップショーは? どエロい男が入ったらしい」
「よっしゃ! そんじゃあ先に、泡風呂屋で一発抜いとくか!」
「あ? 普通ストリップ見てからだろ」
「バッカ! 一発いって、ストリップで回復してから、もう一発抜くと満足感がハンパねぇんだって!」
惜しむらくは、会話の内容が下品極まりないことか。いや、ファンタジーの冒険者達も性別が逆なだけで、似たような振る舞いをしていた。生死と隣り合わせだからこそ欲望に忠実なるのだと、理解を示すべきだろうか。
「うろちょろしない」
夢に見た景色に圧倒されていると、ピューレさんに後ろ襟を掴まれた。子供を捕まえる母親の仕草だが、彼女の腕力は鍛えた成人男性を凌駕する。重機に吊り上げられるみたいな勢いに一瞬息が止まった。
「男なんて簡単に拐われちゃうんだから。アタシの傍でちゃんと奴隷らしくしてること。いい?」
「は、はい。すみません」
見上げたピューレさんの表情はいつになく冷たい。声も必要以上に淡々としているし、どうにも緊張しているようだ。
やはり、無茶なお願いをしてしまったのだろうか。
昨日の晩、二人で細やかなお祝いをしていた時のことを思い出す。
ここのところ働き詰めだったピューレさんは、新製品開発のご褒美として、久々に休暇を取ることにした。彼女のストレス発散は買い物だ。街中を自分の足で歩きながらブランド服を買い漁るのが唯一の趣味だと語る彼女に、僕の悪知恵が働いた。
上機嫌の今なら、外出の許可を貰えるんじゃないか。
本を読むのは好きだが、何日も書斎に閉じ込められていると流石に気が滅入ってしまう。買い物に連れて行って欲しいと頼み込んだ結果、ピューレさんは難しい顔になりながらも了承してくれた。
しかし、今の警戒心丸出しな面持ちを見ると、我儘を言い過ぎたと反省してしまう。ピューレさんにとっては大切な休暇だ。負担をかけないよう、大人しくしていないと。
「着いたよ」
足を止めたピューレさんに倣って、左手側の建物を見上げる。
雰囲気のあるお店だ。建物の造り自体は他のお店と同じだが外壁に汚れがなく、高級そうな感じがする。看板をよく見ると金字の細工が施されていて、細やかなところまで引き締めている印象だ。映画で見た英国の老舗紳士服のお店がこういう外観だった。
「入るよ」
敷居を跨いで最初に驚いたのは、店内の雰囲気が元の世界と似ていることだ。
木板の床に敷かれた絨毯は日本では見かけない柄であるが、目出しの商品をマネキンに着せて中央に展示しているところや、壁までしっかり陳列に使っているところに強い既視感を覚える。服の材質も往来で見たファンタジー感満載のものと違ってつやつやしているし、ハリウッド女優が着ていそうな現代風のデザインだ。この世界の文明は決して遅れているわけではなく、資源に合わせて技術を使い分けをしているだけなのだと、あらためて思い知らされる。
「いらっしゃいませ。お久しぶりです、ピューレ様」
異世界ファンタジーの中で出会った予想外の懐かしさに立ち惚けていると、紳士服姿のショートカットの女性がスマートなお辞儀で迎えてくれた。
細身に見える服装のはずだが、肩周りや襟元、袖口なんかが窮屈そうで、ガタイの良さが滲み出ている。例に違わず、彼女も恵まれた体つきをしているようだ。
「久しぶり。髪型変えた?」
「はい。イメージを変えてみようかと。ところで、そちらの奴隷はもしや──」
「ハァ、そんなに噂になってるのね。そ。1億で買った奴隷クン」
店員さんが前屈みになって顔を近づけてくる。距離が縮まると体の分厚さがはっきり分かるが、その相貌はすらっとしたハンサムな美人さんだ。蜂蜜色の髪を後ろに撫で付けて伊達男らしい恰好をしているものの、女性らしい耽美さを失っていない。少女漫画から出てきたような男装の麗人に間近で見つめられると、顔が勝手に火照ってしまう。
「なるほど、たしかに可愛い。美少年特有の華奢感が大変そそられます。それになんだか、甘い香りがしますね」
「そう? 香水はふってないけど。体臭が甘いのかしら」
「ほう! それはそれは。大変興味深いですねえ」
「ひゃっ」
頬を舐められた。
突然の出来事に情けない悲鳴が漏れる。なにより情けないのは、初対面の他人に顔を舐められ、悦んでいる自分がいることだ。僕の浅ましさを見透かした店員さんは妖しく微笑み、更に距離を詰めようとする。
「やりすぎ」
次は唇を奪われるのではないかと期待していたところに、ピューレさんが割って入る。店員さんは小さく咳払いすると、すぐに姿勢を正した。
「失礼しました。本日は奴隷用のお服をご希望ですか?」
「そのつもりはなかったけど……折角だし、キミの服も買っていこっか。適当に見繕ってくれる?」
「おまかせください」
店員さんは風切り音を立てながらバックヤードに駆け込む。
その背中を見届けてから、ピューレさんがそっと幅を寄せてきた。半歩横にずれただけだが、体格差のせいで存在感が凄い。
「無駄に愛想を振り撒かない。自分が誰の奴隷なのか自覚するように」
店に入れば緊張も和らぐかと思ったが、ピューレさんの警戒は続いている。冷ややかな視線で見下ろされると、必要以上に叱られた気分になってしまう。会話で盛り上げる技術があればいいのだが、根暗の僕にそんな度量はない。がちゃがちゃとした物音からして、店員さんはまだ時間がかかりそうだし、無言の責めにお腹がきりきりしてくる。
「蓬くん!」
そんな辛い沈黙の中、唐突に扉が開かれた。高級ブランド店には似つかわしくない騒々しい音に、反射で出入口を振り返る。
扉の先、息を切らせて立っていたのは丸みを帯びた肉の塊。戦いにおいて最も適した体を持ちながら、ともすれば小学生にも見える幼い顔立ち。羆を連想させるシルエットの女性が扉の縁を掴み、汗だくで僕を見つめている。
花潜さん。
肥大化した体格に一瞬脳が戸惑うが、間違いない。彼女は同級生の花潜小豆さんだ。まさか偶然出会えるなんて。
誘われるように自然と足が彼女に向かう。しかし、横から引き締まった腕が伸びて進路を阻まれる。
「オークションにいた子よね? この子と同じ転移者の、花潜サン、だったかしら」
ピューレさんがずいと前に踏み出して、花潜さんと相対する。敏腕経営者の隙の無い微笑を貼り付けていて、家で見る綺麗でお茶目なお姉さんの面影はない。切れ長の瞳は僕を見咎めるよりもずっと冷たい色を帯びていて、暴力とは別種の迫力に花潜さんの腰が引ける。
「よ、蓬くんがこちらにいると聞いたので!」
しかし、花潜さんは引かない。むしろ立ち向かうように胸を張る。背筋を伸ばした彼女の背丈はピューレさんより頭半分高く、元は平かった胸には立派な双丘が連なっている。高さと厚み、両方でピューレさんを凌駕し、見かけ上の立場が逆転した。
「あらそう。でも、ごめんなさいね。今、この子の服を選んでいる最中なの。買い物の後はディナーの予定だから、時間は作ってあげられないわ。お引き取りいただいてもいいかしら」
「わたし、待てます!」
「……そういう意味じゃないんだけど」
花潜さんの鼻息が荒い。好きな小説をおすすめするときの彼女の癖を久々に目にして、懐かしさが込み上げる。
もっとも、この場で呑気に思い出に浸っているのは僕だけだ。花潜さんの話の通じなさはピューレさんの琴線に触れ、ビジネス用の仮面は苛立ちに塗り替えられていく。
「はっきり言わないと伝わらない? アナタに使う時間はないの。この子のことは諦めなさい」
ピューレさんが長く筋張った人差し指を針のように伸ばし、花潜さんの胸に突きつける。分かりやすい敵意。僕なら腰を抜かして、這いつくばりながら逃げ出していただろう。
でも、花潜さんは違った。
「諦められるわけないです」
空気が変わる。小さな物音にも驚いていた臆病な彼女はもういない。花潜さんは戦士の顔つきで、ピューレさんを睨み下げる。
「男の人の命をなんとも思わない世界で、あなたなんかに彼を任せられるわけがない。蓬くんは返してもらいます」
「力づくで?」
「はい」
「あらそう。今の発言、聞こえたわよね。警備隊の皆さん」
いつの間に。
ピューレさんが顎をしゃくった先には、屈強な女性達が立ち並んでいた。近世のヨーロッパ軍に似た軍服を身に纏い、物々しい顔つきで花潜さんの背後を囲んでいる。更に後ろには店員さんが控えている。どうやら彼女が気づかぬうちにバックヤードから抜け出して通報をしたようだ。花潜さんは目だけで背後を確認し、奥歯をきつく噛み締める。
「勘違いしているようだけど、アタシ達の世界にも法はあるのよ。私欲で人を殺してはいけないし、人のモノを盗んだら泥棒。お分かりかしら?」
ピューレさんが勝ち誇った表情で鼻を鳴らす。警備隊の女性達はこの世界で見てきた女性と比べてもとりわけ屈強だ。オペラさんレベルの人はいないが、花潜さん級の体格の人も混ざっている。急成長した花潜さんの超重量をもってしても、巨岩じみた筋肉が織りなす包囲網からは逃れられない。
「じゃ、あとはよろしく。ほら、さっさと行くわよ。奴隷クン」
ピューレさんに腕を掴まれ、無理やり連れて行かれる。この場でもっとも無力な僕は、花潜さんに声の一つさえ掛けることができなかった。




