002
諦めるな。じっとしていても状況は変わらない。やれることをやってから、悔いなく死ぬべきだ。
言葉で思い浮かべるのは簡単で、実行に移す勇気はない。それでも何か考えていないと精神が壊れてしまう。震える両手を握り締め、なけなしの決意を胸に顔を上げる。
まず確認すべきは、この世界の文明レベル。
奴隷オークションの会場を備えている以上、屋敷は奴隷育成のために建てられた施設で確定だ。そうであるなら、僕が読んでいた書籍類は、奴隷が余計な知識をつけないよう選出されている可能性があり、内容は信用できない。
しかしこの会場は、この世界の人間が奴隷を取り引きする場所、つまり、この世界の文明に合わせた造りになっている。本当の文明レベルを推し量ることができるだろう。文明が発達していれば、相応の倫理観は養われているはずだ。
まずは時代の区切りとも言うべき、電気が普及しているのかを確認する。後頭部にカカオさんの女性の部分を感じながら、壁面の灯りに視線を這わす。
火だ。細工が施された金属製であるが、間違いなく燭台だ。妙に炎の色が明るいのは、蝋がこの世界由来の特殊なものだからか。内装も屋敷と同じ、中世ヨーロッパを彷彿させる。
中世ヨーロッパといえば、異端審問や魔女狩りなど、人権を無視した暗黒の時代だ。そんな世界で奴隷となれば、その扱いは想像に難くない。凄惨な拷問にかけられる自分の姿が脳裏に浮かび、全身の皮膚がぞっと粟立つ。
いや、弱気になるな。判断するにはまだ早い。オペラさんの作る料理は、元の世界に酷似していた。転移者の知識を吸収してきたという歴史に嘘はないはず。ならば、現代の倫理観を知る機会はあるはずで、建築技術とは別に人権に対する考えは発展しているかもしれない。奴隷といってもそこまで酷い扱いは受けないんじゃあ──
「ショタの生尻! ショタの生尻!」
「勿体ぶってんじゃねえ! チ⚪︎ポ見せろオラァ!!」
無理だ。彼女達にまともな倫理観があるとは思えない。
唾を飛ばしながら怒鳴り声を上げ、みちみちに盛り上がった太腕を振り回す様は、異世界ファンタジーのオークよりも凶暴だ。内装はオペラハウスみたいに豪奢なのに、客層はスラム街より劣っている。
「さあさあ! その熱い欲望をぜひ! お金の力で叶えましょう!」
進行役の女性が発破をかけた途端、方々から札が上がる。ごつごつした手に握られたそれはあまりにか弱く、ひび割れているものや、持ち手が折れてしまったものまである。
「五番さん早かった! 入札額をどうぞ!」
「600出すわ! お尻の穴まで堪能しますわよ!」
「しょっぺぇなぁ! 650だ!」
「……700」
「刻んでんなよ! アタイはかますぜぇ! 710!」
「テメェも刻んでんだろうがあっ!」
「あ゛あ゛っ!? 殺すぞオラァッ!」
火種は瞬く間に燃え広がる。平均190センチ超えの巨体が一斉にいきり立ち、大乱闘が始まった。
じゃれあいでは決してない。岩より硬く握り固めた拳を振り抜く、本気の殺し合いだ。かするだけで僕が十人は消し飛びそうな迫力のパンチが縦横無尽に飛び交い、殴られた方も平然と受け止め反撃している。
ここは地獄か。どさくさに紛れてステージに上がろうとした女性を後ろの誰かが放り投げて、入れ替わりで前に出た女性が僕に腕を伸ばした直後、横合いからドロップキックが飛び込む。
飢えた獣の眼光が現れては消えるを繰り返すたび、僕の精神はがりがりと削れていく。乱戦を潜り抜けた女豹のような女性が、とうとうステージに片足をかけた瞬間──
足元が爆発した。
否、爆発ではない。僕を抱き抱えるカカオさんが床を踏み抜いた音だ。厚み五センチはある木材を力づくで割った。翻ったスカートから覗く太腿は僕の胴体ほど太く、明確な強者の存在に会場が静まる。
「座れ。あたしで収まっているうちにな」
カカオさんが低い声で告げると、暴れ狂っていた女性達は太々しく椅子に座った。納得はしていないようで、舌打ちや貧乏揺すりは止まらないが、進行役の声が届く程度には静かになる。僕はカカオさんにしっかり抱き抱えられたまま、オークションが再開する。
「はい、気を取り直して! 現在は十二番さんの710万! 他にいらっしゃいませんか!?」
またしても一斉に札が上がる。忠告を受けてすぐに揉め事を起こす人はいないが、猛獣のような目の輝きは衰えない。鼻を覆いたくなるような欲望の臭いが、むんむんと漂っている。
720。750。800。
入札額は順当に吊り上がっていく。この世界のお金の価値は分からないが、大金であることは間違いない。何人かが悔しそうに引き下がり、徐々に上がる札も絞られてきた。
「……1,000万出します」
ここで初めて、会場の一番奥の隅から札が上がった。
例に違わず、体格のいい女性だ。筋肉もさることながらその上に脂肪が載っている、相撲レスラーと呼ぶべき体型。盛り上がった僧帽筋と前のめりな姿勢がシルエットを丸くさせ、冬眠前の羆みたいな底知れぬ威圧感を醸している。
しかし、その顔立ちはひどく幼い。暴力の気配とは無縁の、ハムスターのようなあどけなさだ。艶のある黒髪のボブカットがあの子を連想させるが、首から下が全部違う。
「ついに大台に乗りましたよ! ……おっと? 二十番さんは初参加、初入札の方ですね。それでは恒例のインタビュータイムといきましょうか!」
呼ばれた二十番の少女は周りを不安そうに見回すが、真横に座る眼帯の女性に脇を小突かれ、慌てて立ち上がる。背筋を伸ばすと少女の堂々たる体躯が露わになり、僕を抱き抱えるカカオさんが感嘆の息を漏らした。
「まずははじめに、今日はどうして参加されたんでしょう?」
「ど、どうしても助けたい男の子が売りに出されると聞いたので」
「ほうほう、助けると。もしかして、二十番さんは転移者ですか?」
「はい。わたしは、彼と一緒に転移してきた同級生です」
転移。同級生。
その言葉を聞いた途端、妄想でしかなかった既視感が急速に色を帯びる。
「……花潜さん?」
花潜小豆さん。
僕と一緒の文芸部員。図書室の一角でお互い小説を書きながら、たまに最近面白かったことなんかを話す間柄だった。
でも、彼女はあんなに大きくない。ちびの僕よりもっと小さく、体型も華奢だった。制服を着ていても小学生に間違われることが悩みだった彼女が、どうやって巨熊に見紛うほどの体躯に成長したのか。
「蓬くん! わたしだよ! 絶対助けてあげるからね!」
僕の微かな呟きは、花潜さんの耳に届いたらしい。彼女はぱっと表情を明るくし、ぶおんと風を切る勢いで腕を振るう。オークション参加者達も僕らの関係を察して、子供の青春を見守るような生温かな空気が流れ出した。
「おほん! 二十番さんの意気込みは伝わりましたが、忖度は一切なし! 落札した者勝ちですからね、こぞって参加してくださいよ!」
「そうそう、むしろスパイスってやつさ! アンタの前でめちゃくちゃに抱いてやるよ!」
「大体、転移したばっかの嬢ちゃんに支払いできんのか? 後で払うは通用しねえぞ!」
高額入札に喰らい付いていた一部の女性達から野次が飛ぶ。花潜さんは大人しい性格だ。荒っぽい言動には慣れていない。ひっ、と目元が引き攣るが、彼女の隣に座っている眼帯をつけた女性が庇うように手を挙げる。
「それについては心配ない。この子は初日にウォーベアを狩る期待株さね。支払いはギルドが保証するよ」
花潜さんの上司なのだろうか。眼帯の女性は相当な実力者らしく、僅かに上がっていた札が舌打ちと共に下がった。勝負を煽ろうとした進行役の女性も言葉に詰まり、会場は束の間の静寂に包まれる。
僕の落札者は花潜さんで決まりのようだ。暴力的なこの世界にあって、僕を真っ当に人間扱いをしてくれるのは彼女だけだろう。同級生に買われるのは何とも形容しがたい気分だが、今は花潜さんの善意に甘えるしかない。
最大の感謝を込めて花潜さんを見つめると、彼女は力強く頷き返してくれた。男子と別れてからどう生活してきたのか、どうしてそんなに大きくなったのか、聞きたいことは山ほどある。すぐにでも彼女に駆け寄りたい。
「1,100」
しかし、オークションは終わっていなかった。
す、と真っ直ぐに伸びる、荒縄を束ねたような極太の腕。逆三角の広大な肩幅。極限まで鍛え抜かれた肉体とは対照的に、儚げな印象を与える亜麻色の長い三つ編み。
「き、牙折りオペラだ」
オペラさん。
転移初日から僕を世話してくれていた彼女は、客席に座っていた。
「お、おおっとぉ! かの有名な牙折りのオペラがオークションに初参加! しかもいきなりの高額入札! これは盛り上がってきましたねえ!!」
何故、オペラさんが。ずっと優しかったオペラさんが、どうして。
戸惑いと悲しみが一気に押し寄せて涙が出そうになるが、商品の僕に考えを整理する時間は与えられない。進行役が息を吹き返し、会場の熱量は一瞬で最高潮に達する。
「1,200!」
「1,300」
「1,350!!」
「1,400」
花潜さんとオペラさんの入札合戦が始まる。
会場は二人だけの戦場と化した。進行役が茶々を入れる隙はない。観客の雄叫びに包まれながら、花潜さんは殴りつけるように、オペラさんは刺し貫くように、お互いに金額をぶつけ合う。
「ぐっ、1,500!」
「2,000」
花潜さんが止まった。歯を食い縛りながら眼帯の女性を振り返るが、静かに首を横に振られる。
「け、決着うぅっ! 壮絶なオークションバトルを制したのは牙折り! 牙折りのオペラです!!」
花潜さんが負けてしまった。
放心した表情で膝から崩れ落ち、今日一番の歓声がオペラさんの勝利を讃える。
「おいおい牙折りさんよぉ! まさかあんたが、男に2,000万も出すなんてなぁ!」
「ルーキーにも情けをかけず……か。徹底しているな」
「バッカ、力こそ女の故だろうが! やっぱすげえよあんた!」
オペラさんは鉄板が凹みそうな勢いでばしばしと肩を叩かれるが、腕を組んだまま微動だにしない。感情に乏しい無表情で、むっつりと正面を向いている。
「ふふ、よかったね。オペラなら大事にしてくれるよ」
僕を抱き抱えるカカオさんがそっと耳打ちしてくる。屋敷のときと同じ優しい声色だが、彼女の言葉は信用できない。
カカオさんもオペラさんも、ずっと僕等を騙していた。彼女達の言う大事にする、がどういう意味を持つかはまったく分からず、首輪をつけて家畜のように飼うことを指すかもしれない。
「いやあ、今回も素晴らしい競りとなりました! 次回もぜひ! ぜひお楽しみください!」
だが、僕がどう思おうと結果は変わらない。進行役が閉会の口上を述べ、会場は長い映画を見終えたような満足感に包まれている。僕はオペラさんに買われ、気紛れに殺されないか怯えながら生きることになる。
そのはずだった。
「1億」
「……は?」
時間が止まった。進行役も、客席も、カカオさんも、オペラさんまで、ぽかんと口を開けて固まっている。
呼吸の音さえ聞こえない静寂の中、最前列に座っている女性がゆったりと立ち上がる。
黒のドレスに長い手袋。御多分に洩れず筋肉質な体つきだが、戦士というよりはアスリートの体型。オペラさんを金剛力士像に喩えるなら、ディスコロボス像と言うべきか。同じ彫刻であっても種類の違う美しさを纏った女性は、切れ長の瞳で会場を睥睨する。
「その坊やに1億出すわ」
説き伏せるような凛とした口調で、女性はそう宣言した。




