001
怒られたらR18に移します。
突然だが、僕は異世界に転移した。
インターネット小説ではあり触れた題材で、布団の中で想いを馳せたことは何度もあるが、まさか自分の身に起こるとは思いもしなかった。
この感動は僕だけの話ではない。なにせ転移には、我が二年一組全員が巻き込まれた。午後一番の歴史の授業中、教室の床一面に紫の光が走ったかと思うと、景色が一瞬で描き変わったのだ。
どこにでもある公立高校に起きた、よくあるクラス転移もの。
その手の小説をそれなりに嗜んできた僕はすぐに状況を理解できたが、全員がそうとはいかない。クラスメイトに歴史の壁蝨先生を加えた計三十三人の混乱は凄まじく、怒声や悲鳴、嘔吐する人までいて、それはもう酷い惨状だった。
そんな、ごく普通の高校生である僕達が今も生き延びられているのは、当然自分達の力ではない。現地人、いや、異世界人というべき彼女達が、極めて友好的に迎え入れてくれたからだ。
「蓬様。お食事の時間です」
「あっはい。すぐ行きます」
この頃ようやく理解できるようになった分厚い歴史書を置いて、呼びに来てくれたオペラさんを見上げる。
花のように可憐でいて、騎士のように凛々しい相貌。編み込まれた艶やかな亜麻色の髪は一切の乱れがなく、丈の長いクラシカルなメイド服によく映える。空想の存在であった美人なメイドさんに出会えただけでも、異世界に転移した甲斐があったというものだ。
ただ、大きい。
オペラさんは、ちょっとびっくりするくらいに大きかった。
二メートル以上はあろうかという長身に加え、はち切れんばかりの筋肉が、露出のないメイド服からこれでもかと強く主張している。プロのラグビー選手を前にしたら、同じ威圧感を覚えるだろう。
「……私の顔になにか」
「あっ、ごめんなさい。じろじろ見てしまって」
「いえ。構いません」
オペラさんは表情を変えずに短く答えると、さっと踵を返して歩き出す。美女のすげない対応は男子高校生の心を折るには充分で、実際、この世界に来た頃は彼女の態度ひとつひとつに傷ついていたが、今は違うとはっきり分かる。
用を済ませてさっさと進むように見えて、オペラさんの歩幅は小さい。丸太より太い足は一歩が僕の三歩になるほど長いが、明らかにペースを落としている。
僕が追いつくのを待っているのだ。振り返りはせずとも、発達した広背筋がぴくぴくと僕の動きを探っている。クールであろうとしながら隠しきれない身体の反応が何ともいじらしく、躾けられた大型犬を前にしたみたいな微笑ましさがある。
「今日のご飯は何ですか?」
「ボアボアのステーキです」
「わあ。豪華ですね」
「はい。今日はお祝いの日ですから」
「お祝い?」
「螻蛄様もお揃いになってからお話しします」
話しながら歩いているうちに、大食堂に着いた。両開きの扉は長身のオペラさんよりも頭二つは高い。扉以外の造りも全体的に大きく、時々巨人の国に転移したのではないかと錯覚する。もっとも、オペラさんには障害にならないようで、重厚な扉に片手をつくと、こともなげに押し開く。
「私は配膳の支度がありますので、ここで失礼します。お好きな席についてお待ちください」
「はい。ありがとうございます」
肩の高さを変えずに去る分厚く広い背中を見送ってから、正面に向き直る。
いつ見ても立派な食堂だ。真っ白な漆喰の壁に、金の刺繍が施された艶やかな赤の絨毯。二十人は並べる長い食卓には清潔なテーブルクロスが敷かれ、黒々とした木製椅子の座面は洗い立てみたいにふかふかのクッションで作られている。天井を見上げれば、煌めくシャンデリアが幾つも吊り下がっていて、部屋全体を明るく照らす。
そして何より印象的なのは、壁の中心に掛けられた大きな絵画だ。
戦争の絵である。燃えるような赤色の空の下、鎧を着込んだ女性たちがこちらに向かって行進する様子が描かれている。臨場感のある迫力もさることながら、僕が一番気に入っているのは彼女等を率いる将軍の存在だ。
切れ長の凛々しい瞳。高いところで結った長い黒髪。重厚な鎧にも負けない立派な体格に、たなびく軍旗がよく似合う。西洋人らしく目鼻立ちのはっきりした女性達の中にあって、東洋の雰囲気を感じさせるところも目を惹く理由の一つだろう。
「よう、蓬。一緒に食べよう」
食堂に立ち入って早々、相変わらず絵画に見惚れていると、長テーブルの端の方に座った螻蛄柴舟君が手を振った。離れて座る理由もないので、彼の正面の席に腰掛ける。
「今日の夕飯、何か聞いてる?」
「ボアボアのステーキだって。豚と牛が混ざったみたいなやつ」
「あれか! あれ美味いんだよな」
「お祝いだから特別って言ってた。螻蛄君は何のことか聞いてる?」
「いや、聞いてない。……あっ、やっと俺達も外に出ていいって認めてくれたんじゃないか?」
それは確かにお祝いだ。
僕等二年一組は同時に転移した訳であるが、外出の許可が出たタイミングはまちまちである。まず最初に、女子達と住むところを分けられた。それからしばらくして、男子の中から順々に許可が出始め、丁度ひと月経った今、僕と螻蛄君の二人だけが残っている。
「魔素順応、だったか。俺らもようやくできたってことかな」
「うーん。全然変わった感じしないけどね」
オペラさんが言うには、この世界には魔法が存在するらしい。僕等みたいな転移者も後天的に魔法を扱えるようになるが、そのためには空気中に存在する魔素というものに体を順応させる必要があるそうだ。
この世界の人々は個人差はあれ、赤子の頃から魔法を使える。貧弱な僕ならいざ知らず、剣道で鍛えた高身長イケメンの螻蛄君でさえ順応するまで出られないというのだから、外は魔法が当たり前の世界なのだろう。
「魔法かぁ……蓬は外に出たら、何の仕事するつもりだ?」
「冒険者がいいな。魔法が使えたら、僕みたいな奴でも戦えるようになるだろ? やっぱり憧れちゃうよ」
モンスターを狩ったり、未開の地を探検したり。
又聞きではあるが、異世界ファンタジーの醍醐味ともいえる職業は、この世界にも存在しているらしい。健全な男子高校生としては、やはり憧れてしまう。
「そういう螻蛄君は?」
「俺はとにかく、白玉に早く会いたいな」
轡白玉さんは螻蛄君の彼女さんだ。学内でも有名な美男美女のカップルだから、人付き合いに疎い僕でも知っている。女子達とは転移してすぐに住居を分けられ、以来、状況は全く分からないし、螻蛄君の心配は相当なはずだ。
僕にも一人だけ、心配している同級生がいる。
螻蛄君と違って付き合っているわけではなく、文芸部で一緒になって時折り話すだけの仲ではあったが、それでも、あの小柄で引っ込み思案な女の子が無事でいるか気になっている。
「……早く会えるといいね」
「ああ」
ちょっと空気がしんみりしたタイミングで、食堂の扉が開いた。オペラさんと、もう一人のメイドさんであるカカオさんが配膳カートを押してやってくる。彼女達は揃った足並みで僕等の横にカートをつけ、手早く料理を並べ始めた。
ボウルに入った瑞々しいサラダ。スライスされたバゲット。透き通るコンソメスープ。そしてメインの、赤ワインでマリネしたボアボアのステーキ。
異世界であるにも関わらず、料理の見た目は馴染み深い。最初は不思議に思ったが、この世界の歴史書によれば転移は珍しいものではないらしい。転移者が現れるたびに技術を吸収し、この世界の文明は急速に発展してきたようだ。僕等を受け入れる体制が整っていたことも踏まえると、元の世界と変わらない食事風景にも納得がいく。
「いただきます」
「お待ちください。お食事の前に、お伝えすることがあります」
早速食事に取り掛かろうとしたところで、オペラさんから待ったがかかる。掲げたナイフとフォークを下ろし、膝の上に両手を揃えて背筋を伸ばす。
「螻蛄様。蓬様。おふたりの出立が認められました。明日から、館の外で生活していただきます」
やった。
オペラさんの手前、声を上げて喜ぶようなはしたない真似はしないが、嬉しいものは嬉しい。螻蛄君と顔を合わせて互いに笑みを浮かべていると、オペラさんは強く咳払いをする。
「この世界は貴方達が暮らしてきた世界とは異なります。森や平野には危険な獣が闊歩し、人々も、貴方達の目から見れば野蛮に映るでしょう。ここは安全な世界ではありません」
たしかに浮かれてばかりもいられない。ここを出るということは、オペラさんやカカオさんの庇護から離れるということだ。至れり尽くせりの生活から一転、自分の責任で生きていかなければならなくなる。一人暮らしどころかアルバイトの経験もない僕には、あまりに厳しい世界だ。
「大丈夫だよー。優しい人もいるにはいるから。柴舟くんはイケメンだし、蓬ちゃんは超可愛いもん。外に出たらお姉さん達にたっくさん可愛がってもらえるよ」
表情が固くなった僕達を気遣って、カカオさんが軽い口調で慰めてくれる。オペラさんほどではないとはいえ、螻蛄君をひと回り大きくしたような屈強な体格をした彼女の言葉には、自然と頷いてしまう説得力がある。
「まったく。オペラは脅かしすぎだって。愛しの蓬ちゃんが大切なのは分かるけど」
「……愛しのは余計です」
「照れちゃってー。ね、蓬ちゃんは気づいてないかもだけど、オペラがこんなに夢中になるの、はじめてなんだよ。牙折りなんて呼ばれてたこいつがここまでぞっこんになるとは、世の中分かんないもんよねー」
カカオさんはへらりと笑いながら僕と肩を組もうとしてくるが、オペラさんが凍てつく視線で制した。舌を出しながら離れるカカオさんを見て、オペラさんは盛大な溜め息を吐く。
「カカオの話は真に受けないように」
「は、はい」
「では、私共は失礼します。冷めないうちにお召し上がりください」
「じゃーね。明日は早いから、あんまり夜更かししないよーに」
オペラさんとカカオさんが連れ立って食堂を後にする。扉の閉じる重たい音が空気に溶け、静寂が訪れるのを確認してから、螻蛄君と顔を見合わせる。
「ついに来たな」
「うん。とうとう来た」
魔法。魔物。冒険者。
ど定番のファンタジー生活が、もうそこまで近づいている。
「とにかく飯食おう。気合い入れなくちゃあな」
「うん。もりもり食べよう」
僕等は深く頷いて、滅茶苦茶な勢いでご馳走を平らげた。
◇◆◇
「蓬ちゃん」
布団越しにぐいぐいと肩を揺すられ、目蓋の外の明るさに気がつく。
「はやく起きて。もうすぐ出番だよ」
「ううん」
まだ眠い。分厚い手のひらから逃れるように寝返りをうつが、肩を掴まれ簡単に引き戻される。
「オペラにお仕置きされちゃうよ」
大丈夫。オペラさんは優しいから。
僕が目を開けるまで隣で座って待っててくれるし、寝ぼけて手を握った時は、ずっと繋いだままにしてくれた。寝坊くらいで怒ったりはしないはずだ。
「……はあ。今日から外出だってのに」
外出。
そうだ。今日は旅立ちの日だ。
途端に脳が覚醒して、上体が跳ね起きる。傍らに立っていたカカオさんはきょとんと目を丸くするが、寝起きでみっともない僕の顔を見て、呆れた風に腰に手を置く。
「お、おはようございます」
「はいおはよう。ちゃっちゃと支度してね」
しまった。せっかくの日なのに、スタートから出遅れた。
慌ててベッドから飛び降りて、用意してくれた水桶で頭と顔を丸洗いする。髪はそのうち乾く。歯を磨いてしまえば、僕の朝支度は完了だ。
「終わりました! すぐ準備します」
「まだ全然終わってない。そこ座って」
上から肩を抑えられ、強制的に座らせられる。カカオさんはふわふわのタオルで丹念に僕の顔を拭き取ると、今度は手のひらに香油を広げ、髪型を整えていく。
身嗜みに呆れられたことは何度かあったが、直接手を加えられるのは初めてだ。外出の前に偉い人と挨拶があったりするのだろうか。
「よし。次はこれに着替えて」
ようやく満足したらしいカカオさんが持ち出したのは、丹念な身嗜みとは逆の見窄らしい衣服だった。上から被るワンピースのようだが、胸元が広く作られていて片方の肩が出てしまう。そのくせ丈は短くて、股の際が見えるくらいの長さしかない。素朴な麻の材質も合わさって、奴隷みたいな服装である。
「はやく」
不安になってカカオさんを見上げても、彼女は急かすばかりで答えをくれない。
衣服を受け取って部屋の隅に移動し、こそこそと着替えを済ます。下着だけになる時は流石に緊張したが、僕のようなガキの裸に興味はないらしく、カカオさんは後片付けにかかりきりだった。
「あの、終わりました」
「じゃあいくよ」
「荷物とかは」
「後でいいから」
追い立てられるように部屋から出される。ひと月お世話になった部屋に対して、感傷に浸る隙もない。カカオさんは僕の手をむんずと握ると、つかつかと廊下を進み始める。
小走りに近い速度だ。それにオペラさんと違って、彼女の歩幅には遠慮がない。速度を緩めて欲しいと頼める雰囲気はなく、つんのめりながら必死でついていく。
長い廊下を歩き終わり、立ち入りを禁止されていた角を曲がると、豪奢な木戸が現れる。縁に金の彫刻が施され、ドアハンドルも鋼鉄製だ。他の扉と比べて明らかに厳重であるが、広大な館の玄関口にしては小さく思える。
「ちょっと待ってて」
カカオさんは僕の手を放し、扉の解錠に取り掛かる。仕掛けを一つ動かすたびに金属の擦れる音が響き、数歩離れた位置でも厳重さが伝わってくる。
淀みない手つきで、しかし結構な時間をかけて解錠したカカオさんは肩で扉を押し開き、首をしゃくって僕を呼ぶ。
「おまたせ。いくよ」
「あ、あの、カカオさん。ひとつ質問してもいいですか?」
「なに?」
「オペラさんはどこにいるんでしょう」
「……すぐに会えるよ」
含みのある言い方だ。気にはなるが、詳しく聞ける余裕はない。そそくさと彼女の脇を通り抜けて扉の向こうに入ると、カカオさんはすぐに扉を閉めてしまった。
光が消え、室内は完全な暗闇に包まれる。自分の立ち位置すら朧げな闇の中、茫然と突っ立っていると、カカオさんに手を握られる。厚みがあって皮膚が硬い。熊みたいな迫力のある手だ。
カカオさんの腰の辺りからかちゃかちゃと音が鳴り、ぽっとランタンに火が灯る。
「……え?」
檻。通路の両端に、天井まで柵が伸びた巨大な檻がある。
牢屋だろうか。でも、檻の中は空っぽで、人どころかベッドやトイレも存在しない。カカオさんのランタン以外に灯りもないし、ここに放り込まれたら二、三日で精神が壊れるだろう。
居心地のいい屋敷の中にある異質な設備に、ぞっと背筋に怖気が走る。爪先に杭を打ち込まれたみたいに足が止まり、縋るようにカカオさんを見上げる。
カカオさんは答えない。ぼんやりした灯りに照らされた彼女は唇を引き絞り、まっすぐ前だけを見つめている。頼もしかったはずの彼女の手のひらが、途端に暴力的に思えてくる。
「あっ」
繋いだ手を引かれ、強引に歩かされる。竦んだ足はまともに動いていないが、カカオさんの怪力が立ち止まることを許さない。ほとんど引きずられながら、真っ暗な道を無理やり連れて行かれる。
この道はどこに繋がっているのだろう。僕は何をされるのだろう。異世界に転移して、今まで手厚くお世話してもらっていたから勘違いしていたが、この世界の僕には身寄りも、人権も存在しない。いつまで経っても魔素に順応しないから殺処分することにしたと言われても、咎める人はどこにもいない。
怖い。知らない世界に放り出される恐怖を、今更になって思い知る。暗い壁が近づいてくる。道の終わりだ。橙色の炎が行きに見たものと同じ木製の大扉を照らす。つい先ほどは豪華と口を開けて眺めていたそれが、処刑場への入り口に見える。
逃げる勇気も問いただす度胸も持てず、ただ立ち尽くすしかない僕をカカオさんが振り返る。
「驚いてもいいけど叫んだりはしない。あんまり猫背になりすぎない。怖くても前を見続けること。いい?」
一体何の確認なのか。声は室内に反響してうるさいくらいよく聞こえたが、内容は脳を素通りする。カカオさんは僕の返事を待たず、大扉に手を当てる。
「いくよ」
石畳を擦りながら、大扉が開かれる。眩い光で視界が埋まった。反射で固く目を瞑る僕の腰にカカオさんの腕が回され、前に前にと促される。
「目、開けて」
足裏の感触が石畳から絨毯に変わる。目蓋の裏の激しい明滅が徐々に収まり、恐る恐る目を開ける。
「「「ウ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛!!」」」
直後、獣の咆哮が響き渡った。一や二ではない。猛獣の巣穴に放り込まれたみたいに、凄まじい音圧が四方から浴びせられる。
否、獣ではない。劇場ホールのような広い空間のステージ前を埋め尽くすのは、間違いなく人である。
長身恵体。筋骨隆々。
人種も髪色もごちゃ混ぜになった、しかし、ボディビルダー顔負けの体躯であることは共通する女性達が、ステージの前を埋め尽くしている。
「さあさあ! 第七回、春のジパング転移祭、連日お越しいただきありがとうございますっ! いよいよ最後の商品のご紹介だぁっ!!」
商品。演台に立つ女性が僕を指差し、そう呼んだ瞬間、一際大きな歓声が上がる。
「完全無欠の和製ショタ! 丁寧に丁寧に、ひと月じっくり育てました! 愛玩用でも虐待用でも、使い道は貴女次第!」
地鳴りのような足踏みにステージが揺れる。怒号も収まる気配はなく、三半規管はとっくに機能を失った。だが、背後に控えるカカオさんと、貪り尽くさんばかりのぎらついた瞳たちが、倒れることを許さない。
汗が滲む。息が止まる。追い詰められた僕にとどめをさそうと、演題に立つ女性が高らかに木槌を打ち鳴らす。
「開始価格は500万ゴールドから! それでは入札、スタートです!!」
チートも、無双も、存在しない。
夢の異世界生活は、長身筋肉娘に買われるところから始まった。




