決別
本日もありがとうございます
馬車に乗ってもテオドールはナタリアの腰に手を回し、抱きつくように座っていた。
ナタリアはテオドールの背中に手を添えて、なすがままになっている。
しかし、乗っている時間は短い。
ナタリアの『着きましたよ』の声に『うん』と返事をして、テオドールは、さも今正気を取り戻したかのように顔を上げた。
外からドーレ家の使用人が扉を開け、まずテオドールが出る。あとは素面と同じだ。ナタリアの手を取り、部屋へと歩く。
途中、階段を登りきったところでケネスが待ち構えていて「おかえり」と一言言って部屋へと戻って行った。
テオドールは、ナタリアの部屋の前まで送り『おやすみなさい』と酔ったふりをして頬にキスをした。
ナタリアは驚いたようで、目を見開きテオドールを見ていたが、すぐに『おやすみなさい』と部屋へ入ってしまった。
その姿も可愛い、とテオドールは気分良く部屋へ戻った。
翌日からナタリアは離職状態なので、朝食後から部屋で本を読んでいた。
テオドールは護衛の最終確認と、魔法師団が三の橋に結界を張る為に併せて出掛けている。
昼食後、城とは外廊下で続いているホールから、舞踏会のために呼んだ楽団の練習が聞こえてくる。
そんな時間か、とナタリアは本を閉じ部屋から出てきた。
それを見計らったように『殿下がホールでお待ちです』と殿下の侍女が呼びに来た。
ホールへ入ると殿下が『待っていたよ。今年も練習に付き合って』とナタリアを誘う。
毎年平和祭りの前日に、楽団の練習に合わせるように殿下とナタリアはダンスの確認をする。
舞踏会とは違い練習なので何度でも踊る。
殿下はダンスが上手なので、ナタリアはこの時間を楽しみにしていた。
本日三回目はワルツだった。
最初の礼から始まり、殿下はナタリアの手を取る。片手は背中にそっと回し、ゆったりと踊りだした。
殿下とナタリアは見つめ合い、微笑みながらダンスと会話を楽しんでいたが、殿下が真顔になり、ナタリアへ言った。
「ねえ、今だけ学園に入る前の、ただ楽しいだけのあの頃に戻ってみようよ。私はあの頃のようにリアと呼ぶから、君はアルと、あの頃のようにアルと呼んで」
殿下の表情が、困ったような泣き出しそうな感じに見え、ナタリアは思わず『うん』と答えた。
ゆったりとしたワルツ。
殿下の表情はまた微笑みに戻り、ナタリアは安堵する。
「リアは、私より一ヶ月前に結婚するんだって聞いたよ。私より一ヶ月多く幸せになるんだね」
「多いかはわからないけど、一ヶ月早くよね」
「それなら競争しようよ。リアは一ヶ月早く幸せをスタートするけど、私も負けずに追いついてみせるよ。リアは追いつかれないように、ずっと幸せでいるんだ。もし追いつかれたら負け。ね、楽しそうでしょ」
「追いかけっこ、よく遊びましたね······そうね、幸せの追いかけっこって、楽しそうね。うん、やるわ。アルには私の背中しか見せないんだからね」
「油断したらすぐに追いつくよ」
「絶対に追いつかせないんだから」
それから暫く無言が続く。
曲が終盤になって、殿下がナタリアへ伝えた。
「リアと踊るワルツはこれが最後だ。これからはリアはテオドールと、私はユシーナ王女と」
殿下がナタリアの瞳を見つめ呟く。
「リア、幸せに」
また泣きそうな表情の殿下に、ナタリアも泣きそうになりながら答える。
「アル、あなたも幸せに」
丁度曲が終わり、二人は礼をする。
ワルツは感傷的になってしまうのか。ナタリアは俯いたまま殿下に手を引かれ、ホールの扉の方へと歩いた。
「リア」
前方から優しく聞こえた声は、殿下ではない。
はっと顔を上げると、テオドールが複雑な表情でナタリアを見ていた。
「私の練習は終わったから、テオの大切な婚約者は返すね」
殿下はナタリアの手をテオドールへと誘導し『じゃあね』と扉から出て行き、ケネスも後ろに従った。
暫く無言が続いたが、テオドールの『私達も戻ろうか』と言う言葉に頷いたナタリアは、俯いたままテオドールと部屋へと向かった。
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テオドールが三の橋から戻ると、ホールから楽団の音楽が聞こえてきた。
殿下とナタリアがダンスの確認をしているから、見に行くか?とケネスに言われ、二人でホールへと歩く。
ホールに入ると、丁度ワルツが始まるところだった。
二人がホールの真ん中で礼をして組む。
阿吽の呼吸のお手本のように、二人は踊り始めた。
ホールの真ん中で踊る二人は、とても美しかった。
他に踊る人達はなく、二人だけで楽しそうに話しながら踊っている。
が、殿下が真顔になり、何かをナタリアに話している。ナタリアからも笑顔が無くなるが、殿下が笑顔を戻すとナタリアも笑顔になった。
二人は見つめ合いながら流れるように踊り、会話をしている。
笑顔の二人は、きっと私達の存在に気がついていない。
曲が終わる頃、二人はまた泣きそうな表情になった。
礼をした時に、殿下がチラリとこちらを見て、ナタリアの手を引いて連れてきた。
ナタリアは俯いている。
殿下は開いた扉の外、遠くを見ている。
ああ、これは殿下が泣きそうな時の癖だ。子供の頃から変わらない。
「テオの大切な婚約者は返すね」
そう言った殿下の視線は、やはり遠くを見たままだった。
ナタリアも俯いたまま。
二人はこの短時間に、過去の二人の時間と感情を共有したのだろう、とテオドールは何とも言えない気持ちになる。
息のあった二人のワルツはあまりにも美しく、泣きそうな表情さえも見惚れてしまうほどで、殿下の気持ちはやはりそうだったのか、と周りに気付かせるには充分な時間だった。
ナタリアの気持ちは自分にあると信じたいが、心が揺れ動いてしまう、そんな表情のナタリアを連れて、テオドールは用意された私室へと二人で歩いた。
テオドールは自分の部屋へナタリアを連れて行く。
ナタリアも黙ってついて行き、二人で部屋へ入るとナタリアが崩れ落ちた。
慌ててテオドールが支えると、ナタリアはハラハラと涙を零す。
テオドールはメイドを下がらせ、ナタリアをそっと抱きしめた。
ああ、以前も泣くナタリアを抱きしめたっけ。
テオドールは思い出し、なぜナタリアは声無く泣くのだろうと思う。
静かに、震えながら静かに涙を落とす。
声を出して泣くよりも、それはとても哀しく切ない。
涙の訳は殿下だろうと思うが、それを聞くのが怖い。
もしも聞いたらナタリアのことだ、きっと正直に話すだろう。だから聞くのが怖い。でも聞かずにはいられない。
テオドールは極力優しく言葉を出す。
「リア、涙の訳は教えてもらえるのかな?」
ナタリアは腕の中で呼吸を整えている。
暫くすると腕の中で、少しずつ話し出す。
「殿下が······幸せに、と。······もう、遊んでいただけの······ただ楽しいだけの時間が終わったんだと······そう思ったら······悲しくて······」
そう言うと、また震えながら涙を落とす。
ナタリアの答えの中に、殿下への気持ちはわからなかったが、何か区切りを感じた、ということだろう。
ナタリア自身が気がついていないだけで、心のどこかに殿下への特別な感情があったのかもしれない。
殿下がご自分の気持ちを伝えないのなら、周りが、私が教えてはいけない。そしてそれは言い訳だとわかっている。
テオドールは複雑な気持ちだったが、静かに話す。
「殿下が幸せに、と言うのなら、私達は幸せにならなくちゃね」
ナタリアはテオドールの腕の中で『うんうん』と頷く。
ナタリアの返事に少しだけ安堵し、テオドールはナタリアの頭を撫でた。
すぐにナタリアは泣き止んだが、今日のナタリアはそのまま腕の中でじっとしていた。
テオドールは、スッとナタリアを横抱きにし、自分はソファへと座る。ナタリアはテオドールの膝の上だ。
ナタリアは、え?と退こうとしたが、良いから、とテオドールに止められてしまう。
ナタリア的には恥ずかしい状態のまま、ナタリア付きのメイドが入室し、お湯の入った盥にタオルを浸し、これを目に当ててください、と絞った温かいタオルを目に当てることになった。
「泣くなら温かいタオルは用意してくださいよ。ナタリア様は泣いた後は酷い顔になるんだから」
先程までの物悲しさを吹き飛ばすような説教口調に、テオドールは笑いを堪え、ナタリアの目元のタオルを押さえていた。
ナタリアも『はいはい、すみませんでした』とまるで悪びれていない返事をする。そして、ナタリアは甘えるようにテオドールの肩へ頭を預ける。その様子を見て、メイドはにこやかに退室して行った。
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