ASI
昼休み、俺は理素とともに屋上へ行き、ふたりだけで昼食を取る。
俺は別に教室で食べたっていいんだが、クラスメイトと馴染めない彼女がそれを望んでいるからだ。
こんなことをしていると理素をますます孤立させ、俺も新たな友達ができにくいのだが、しかたない。
中学のとき、教室で食べようよと伝えて、実際にそうしたことがある。
理素は震える手で箸を運び、苦しそうに食べ物を嚥下していた。
翌日、彼女はひとりで屋上へ行った。気になって見に行くと、さめざめと泣きながら食べていた。
その後、俺は幼馴染に付き合いつづけている。
高校の屋上は転落防止フェンスで囲われている。隅にエアコンの室外機が何台か並んでいて、塔屋の上には貯水タンクがある。
俺たちの他にもぼっちがいたりするが、いまは俺と理素だけだった。
俺はたいていコンビニで買ったおにぎりやパンを食べる。
今日は鮭と梅干しのおにぎりとコロッケパンだ。
理素は手づくりのお弁当。彼女のおとうさんが毎朝娘たちのためにつくっている。
理素と愛素さんも、俺と同じく父子家庭で育った。
俺の父は再婚したが、空原家はそうではない。
食事しながら、俺たちは会話する。
「昨日から義妹さんと一緒に住んでるんですよね?」
「うん。義理の母親もね。四人暮らしだよ」
「あの美しくて有名な明日葉美舟さんですよね?」
「いまは白根井美舟だけど、そのとおりだよ」
理素はしばらく沈黙した。何か言おうか言うまいか逡巡しているようだった。
彼女は結局、発言することを選択した。
「す……好きになったりしませんか?」
息を呑んで俺の返事を待つ理素。
俺はゆっくりとかぶりを振った。
「ならないよ。高嶺の花すぎてそういうふうには見れない」
「高嶺の花って……明らかに手が届くところにいるじゃないですか」
「物理的な距離は近くなった。でも所属してるカーストは遠いままだよ。あっちは学園のアイドルで、こっちは友達の少ない凡人だ」
「すみません。鍵くんに友達が少ないのは、私とつるんでいるせいですよね」
「気にしないでくれ。理素と一緒にいる時間を、俺は大切に思ってるよ」
心の底からそう思っている。
理素は命を賭けて俺を守ってくれたことがある。
たくさんの友達をつくるより、彼女と過ごすことの方が重要だ。
「私も鍵くんといる時間がこの上なく大切です……」
理素は微かに、ほんのわずかに恥ずかしそうな顔をした。
昼ごはんを食べながら、話しつづけた。
「授業中に考えたんです。何者が『サービス終了のお知らせ』を世界中にばら撒いたのか」
授業中にそんなこと考えてたらだめじゃんと思うが、理素に限っては問題ない。
彼女は体育を除くすべての科目で抜群の成績を残している。
そんなにガリ勉しているようすはないのだが、高一の定期試験では毎回学年トップだった。地頭がいいのだ。
「ASIの仕業じゃないかと思うんです」
「ASIって、人工超知能だよね。そんなもの存在するの?」
「Artificial Super Intelligence」
理素は流暢に発音した。
「ASIがすでに実在し、ネットを秘かにコントロールしているとすれば、起こり得る現象です」
シンギュラリティという概念がある。
アメリカの未来学者、レイ・カーツワイルが提唱した。
人工知能が人間の知能を大幅に凌駕したとき、人間の制御を離れてAIが新世代のAIを開発し、爆発的に進歩して、人類には何が起こっているのかわからない世界が到来する。
そのときネットを支配しているのは、ASIだ。
「ネットを支配する者は、リアルもまた支配します。現代社会はネットに全面的に依存していますから」
「シンギュラリティが来たとは、まだ聞いてないけど」
「私だってないですよ。でもAIは日進月歩というより、時進日歩で進化しています。科学の最先端で、あるいは世界の片隅で、秘かにASIが生まれたのかもしれません」
「一度人工超知能が生まれると、人間の制御を逃れて跳梁跋扈し、世界を意のままにする……」
俺と理素はごくりと喉を鳴らし、顔を見合わせた。
「ヒャッハー、俺たちは新時代を生きている!」
「どどどどうしましょう。心躍ります」
俺は高笑いし、理素は(俺にだけわかるレベルで)うっそりと笑った。
その直後、俺たちは我に返った。
「そんなはずあるかあっ」
「そうですよね。荒唐無稽です。先走りすぎました。まだAGIだって生まれてないはずです」
AGIは人工汎用知能。Artificial General Intelligence。人間レベルの知能を持ったAIのことだ。
AIはある種の分野ではすでに人間を凌駕し、総合的思考においても追い越しつつあるが、感情や人間関係の理解、自然や宗教や物語に対する感性、天才的発想などについてはまだ人類におよばない。
「授業中にくだらないことを考えてたらだめじゃないか、ミジンコちゃん」
俺がいじると、理素はまた黙り込んだ。
自分で自分のことをミジンコ女子と呼ぶのはいい。しかし他人から言われると、繊細な感受性が悲鳴をあげるらしい。
「ごめん」
俺は頭を深く下げた。
しばらく会話が途切れた。
俺はASI実在仮説について考える。
カーツワイルは2045年頃にシンギュラリティが到来すると予想した。
今すでに技術的特異点が来ているとしたら?
人工超知能が人間にばれないよう電脳空間に隠れて、人類を支配する作戦を進行させ、宣戦布告として「サービス終了のお知らせ」というメッセージを点灯させたのだとしたら?
「私、朝、感じ悪かったですよね……」
理素がつぶやいた。
彼女もASIのことを考えていると思っていたが、ちがったようだ。
「せっかく宮田くんが話しかけてくれたのに」
宮田くんというのは、今朝理素に話しかけてきた男子だ。
「きちんと相手の目を見て、あいさつを返さなきゃいけないのに。話しかけられたら、返事しないといけないのに。あたりまえのことができない。私、だめな人間です……」
理素が人間関係面でまともなことを言っている。めずらしい。
「宮田くんと仲よくなりたいなら応援するぞ」
「そういうんじゃないです!」
さらにめずらしいことに、理素が感情をあらわにして怒った。
「すまん。普通に人間関係を築けるようになりたいんだよね。わかってるって。でも宮田くんはいい人だよね」
「わざと私を怒らせてます? じゃあ全力で応援してください。何をしてくれるんですか?」
「えーっと……よく撮れてる理素の写真を彼に見せる」
「絶対にやめてください。鍵くん嫌い!」
やさしい彼女を完全に怒らせてしまった。
反省しなければならない。
「話は元に戻るんですけど」
理素は肺の空気をすべて吐き出すような深いため息をついてから、会話を再開させた。
「サービス終了のお知らせを表示させたのは、なんらかの全知全能的存在であると思います」
俺は唖然とする。
「全知全能って……神かよ?」
「神ということばに象徴される何かと言ってもいいでしょうね。とにかく人間を超越した力を持つ何かです」
理素はまた無表情になっている。俺でもそこから感情を読み取ることができない完璧な無表情。
「仮に鍵くんがインターネットを終わらせる力を持っていたとしたら、終わらせますか?」
「は?」
義妹は困ると言っていた。
「何それ? 壮大すぎて即答できないよ」
理素は彼女のスマホを俺に見せ、電源を切った。
「私、ネットなんていらないと思うんです。こんなもの、役に立ちません。世界をぐちゃぐちゃにするだけです」




