第四話 佳奈の家
指定席は窓側と通路側を取った。美緒は窓側の席に膝で立って、ホームの向こうの看板を数えている。
大きいほうのスーツケースは、いちばん後ろの席の裏に置いた。通園バッグは膝の上。
発車して10分で、美緒は肘掛けにもたれて眠った。
私は窓の外を見ていた。トンネルが4つあって、そのたびに窓に自分の顔が映る。
4つ目のトンネルを抜けたところで、直人から着信があった。出なかった。
そのあとに届いた短い文は、読まずに画面を伏せる。
車内販売のワゴンが通って、美緒が目を覚ました。りんごジュースを一本買う。
美緒はストローの袋を自分で破りたがって、2回失敗して、3回目で破った。袋は膝の上に置いたまま、窓に貼りついている。
トンネルが5つ目に入ったとき、私は書類入れの中身をもう一度数えた。
母子手帳、保険証、印鑑、通帳。それから、写真の入った携帯。
水杜駅に着いたのは、2時40分だ。
改札の外で、佳奈が壁にもたれて立っていた。仕事は午後から休みにしたのだと、あとで聞いた。
「重いほう、こっち」
「持てるよ」
「持てるのは知ってる。貸して」
佳奈がスーツケースの取っ手を引き取った。
美緒が私の脚のうしろから顔を出して、両手を上げた。
「佳奈おばちゃん、だっこ」
「はい。重くなったねえ」
駐車場の車の後ろのガラスに、丸い耳の生き物のステッカーが貼ってある。角がめくれて、少し白くなっていた。
後部座席には、美緒の背丈に合うチャイルドシートが据えてあった。
「これ、いつの間に」
「先週の夜に頼んだら、昨日届いた。取り付けは店でやってもらった」
「連絡したの、昨日の朝だよ」
「うん」
信号で止まったとき、佳奈が前を向いたまま言った。
「数字、変わったの」
「うん」
「……そっか」
佳奈はワイパーを一度だけ動かして、青になった信号のほうへ車を出した。
大学の2年のとき、父のことを話したついでに、数字のことも話している。
佳奈は笑わなかったし、自分の数字を当ててみせろとも言わなかった。あの日から15年、一度も言わない。
*
佳奈の住まいは、駅から車で10分の14階だった。
玄関を入って左が、空けてある部屋だという。ベッドと、小さいたんすと、床に何も置いていない一間。
「荷物、そこに置いて。部屋は空けてあるよ」
美緒が靴を脱いで、玄関の隅に並べた。20センチにも足りない赤い靴が、佳奈のパンプスの横に揃う。
私はそこで、言うべきことを言った。
「しばらく泊めてほしい。美緒と二人で」
「いいよ」
「何日になるかは、まだ決められない」
「決まってからでいい。困るとしたら、来月の頭に出張が3日あるくらい」
「そのあいだは、私が美緒を見るよ。当たり前だけど」
「当たり前じゃないよ。鍵、渡しておくね」
佳奈が玄関の棚からカードキーを一枚取って、私の手に置いた。
「下のオートロック、これをかざすの。部屋のはこっちの鍵。ゴミは月水金」
「わかった」
「暗証番号は、私の誕生日の4桁。変えてない」
「変えなよ」
「変える理由ができたら変える」
私はカードキーをポーチの内側のポケットに入れた。財布とは別のところに入れた。
それから園に電話をして、しばらく欠席すること、在籍は残してもらうことを伝える。
満3歳児クラスの持ち物の書き換えは、戻ってからでいいと言われた。
電話を切って、画面を見る。
直人からの文は3通に増えている。どれも一行で、最後の一通にだけ和枝さんの名前が入っていた。
無事でいること、必要な連絡は取れること。その二つだけを打って、送った。
既読はつかない。しばらく見ていたが、つかなかった。
*
夕方、佳奈が冷蔵庫を開けて、中を見たまま言った。
「夕飯、何にする。買うものがあれば、一緒に買ってこよう」
「美緒がまだ胃に優しいのがいいと思う。私も、昨日の今日だし」
「じゃあ、うどんと、卵と、ほうれん草」
「豆腐も」
「豆腐もね」
「あと、牛乳。朝、飲むでしょ」
「私は飲まない。美緒が飲む」
「じゃあ小さいほうね」
3人でスーパーへ行って、美緒はカートの前の席に座った。
帰ってきて、私が台所に立つ。佳奈は美緒とテレビの前に座って、動物が出てくる番組を見ていた。
食器棚を開けると、棚板に小花柄のシートが敷いてある。角がきれいに合わせて切ってあった。
どんぶりを3つ出した。大きさが全部ちがう。
ひとり暮らしの食器は、揃えて買う理由がないのだと思う。
うどんは3玉、ほうれん草はゆでて絞って、卵は落として蓋をした。
美緒のぶんだけ、うどんをキッチンばさみで短く切った。
「明日は朝から仕事なんだ。7時半には出る」
「じゃあ、朝ごはんは作っておく」
「作らなくていいよ」
「作りたいから作るの。お金の話じゃなくて」
「……わかった。じゃあ、ごはんだけ炊いといて」
うどんを食べ終わったあと、佳奈は洗い物を引き受けて、私に洗濯機の使い方を教えた。
「洗剤はここ。乾燥は音がうるさいから、夜は回さないほうがいい」
「干すところは」
「ベランダか、この部屋。かご、そこの緑のを使って」
借りた洗濯かごには、ラベルの跡が四角く残っていた。
美緒の長袖と、園の体操着と、靴下を6枚。
美緒はソファで、佳奈の膝に頭を乗せて眠っていた。佳奈が片手でリモコンの音量を下げる。
私は部屋の鴨居に物干しをかけて、一枚ずつ干した。
袖を伸ばして、肩の縫い目を合わせて、ハンガーにかける。
家の物干しは窓に向けて据えてあって、朝のうちに干せば昼には乾いた。ここは鴨居に引っかける形だから、端から順に詰めていくしかない。
長袖は、昨日買ったばかりのものだ。まだ洗剤の匂いより、店の匂いのほうが強い。
最後の靴下を2枚、端と端で留めた。
かごを裏返して、壁に立てかけた。




