↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
不気味の谷――従姉が最後に書いた話  作者: 空の異変


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

6/7

第六話 通夜

土曜と日曜は、分析室が閉まっている。


俺は自分の部屋で、録音を文字に起こしたものを何度も読んだ。読むたびに同じところで止まる。軽い、のところだ。


アルバムは祖母に返した。同じ順に戻したかどうかは、自信がない。


日曜の夜、母が部屋に入ってきた。


「火曜、何時に出る?」


「父さんたちと一緒でいい」


「ごはん、下りて食べて。持ってくると食べないでしょ」


「……食べるよ」


「昨日の残ってるから」


母はそれだけ言って、ドアを閉めた。閉めるまでに、少し間があった。


月曜日に、続きを書いた。


佳帆姉のアカウントには入れない。パスワードを知らないし、知っていても入らない。


自分のアカウントで新しく一本立てて、前書きに、これは瀬倉佳帆(せくら かほ)の連載の続きを従弟が勝手に書いたものだ、と書いた。勝手に、という言葉を3回書き直して、結局そのままにした。


書き終わったのは火曜日の朝だった。


予約をした。通夜が始まる時間に合わせて、午後6時。


なぜその時間なのか、自分でもうまく言えない。いちばん読まれる時間だから、と佳帆姉なら言う。


報告書はまだ届いていない。届く前に書き終えたほうがいいと思った。結果を見てから書いたものは、結果に合わせて書いたものになる。


    *


火曜日の午後2時すぎに、メールが届いた。


枝守素材分析室。件名に受付番号が入っている。


添付を開いた。


「毛髪状試料の形態分析報告書」


結果の欄は短かった。


『提出試料は、ヒトの毛髪に該当しない。』


『由来の特定には至らない。』


その下に、小さい字でもう一行あった。


『採取元は依頼者の申告による。』


俺はその一行を、声に出して読んだ。


読んでから、上の2行に戻った。


ヒトの毛髪ではない。由来はわからない。この紙が言えるのはそこまでだ。伯母が何であるかは、一文字も書いていない。


書いていないことを、俺はもう自分の中で足していた。足したとわかっていて、引き算をしなかった。


スーツを出した。去年の法事で着たやつだ。袖に埃がついていた。


    *


『猿人の話――残った皮』


夢の中で、二人は近づいた。


男は客の顔を見ていた。鼻が一つ、目が二つ、口。数えたものは全部そろっている。


客が、自分の体から出てきた。


外にいたのは、寝床を借りた客だった。中から出てきたほうは、別のものだ。


男はその顔を知っていた。昼に草の中で見た顔だ。目が開いたままで、風が渡っても閉じなかった、あの男の顔だった。


死んだものが歩いている。外の皮は、どこから来たのか。


男の頭で追えるのはそこまでだった。その先を考えるための言葉が、まだどこにもない。だから走った。


別の群れで、長が顔を寄せたとき、男はもう一度それを見た。


「見ろ。よく考えて、どう言う」


長の顔の横、耳の手前を通る線の後ろに、同じ向きの線がもう一本あった。


ここにもいる。長がそうだった。


男の心臓は、そこで止まった。


森に置かれた男の体は、翌朝にはなくなっていた。誰も探しに行かなかった。


数日後、一頭の豹が洞穴へ入った。


獣は人の匂いを探した。積んである獲物の残りにも、石器にも、匂いはついていない。


壁の暗いところから、顔が出た。


逃げて死んだ、あの男の顔だった。


男が戻ってきたのではない。戻ってきたのは、男の外側だけだ。


中には、別のものが入っていた。


人とヒトに似たものの見た目が同じなのは、同じ皮を使っているからだった。皮は、中身がいなくなったところから取れる。


ただ、同じ葉は二枚ない。


二つ並んでいるとき、どちらかは人で、どちらかは――中に何かが入った、皮だ。


だから見た目では見分けられない。見分けられるのは、外と中がずれる、その動きのあいだだけだ。


    *


斎場は駅から2つ目のバス停の正面にあって、外から見ると白いだけの建物だった。


受付に記帳の台があり、ペン立てに黒いボールペンが4本刺さっていた。一本はインクが出なかった。


記帳の台に瀬倉直人(せくら なおと)と書いていると、後ろから声をかけられた。


「直人くん、大きくなったね」


顔は知っている。名前が出てこない。伯父のほうの親戚だ。


「……どうも」


「お姉ちゃんと仲よかったもんね」


「はい」


それ以上は続かなかった。向こうも続けるつもりがなかったのだと思う。


中に入った。


親族席の前のほうに、伯父と伯母が並んで座っていた。伯父は膝の上で両手を組んでいる。伯母は来た人に頭を下げていた。何度も、同じ角度で。


祖母は2列目の端にいた。父と母がその隣だ。


祖母が俺のほうを見て、隣の座布団を叩いた。


「ここ、空いてる」


「……後ろで座ります」


「そう」


祖母はそれ以上言わなかった。


写真の佳帆姉は、2年ほど前に撮ったやつだ。笑っている。髪が今より短い。


焼香の列に並んだ。前の人がやることを見て、同じようにやった。指から粉が落ちて、熱くない煙が上がった。


席に戻ると、父が小さい声で聞いた。


「飯、食ったか」


「食った」


「そうか」


時計を見た。6時を過ぎている。


俺の書いたものは、もう出ているはずだった。


読経のあいだに、誰かが伯母のところへ来て、小さい声で何か言った。


伯母が振り返った。体ごと、後ろの席のほうへ。


振り返る動きは速かった。首が先に行って、体があとから追いついた。


そのあいだに、見えた。


顔の横、耳の手前を通る線。その後ろに、同じ向きの、同じ形の線がもう一本。


水曜日の廊下と同じだった。違うのは、今度は誰のものかわかることだ。


一本ではなかった。二本あった。


俺は立ち上がっていた。


立ち上がったことに、自分でも遅れて気づいた。父が何か言った。聞こえたのに、言葉として入ってこない。


畳の縁を踏んで、親族席の前へ出た。誰かが俺の名前を呼んだ。


伯母がこちらを向いた。


「直人」


いつもの声だった。取り皿はそこ、と言うときの声だ。


俺は伯母の胸に刃を入れた。


「……あ」


伯母の口から出たのは、それだけだった。


黒い生地の上で、濡れたところだけが赤かった。


後ろから腕を掴まれた。


「直人、やめろ。手を離せ」


父の声だった。


「救急車を呼んでくれ。俺はここを離れられない」


伯父の声が、席の向こうから飛んだ。


「見て」


俺は言った。言いながら、腕を後ろへ回されていた。


「よく見て。中に、もう一人いる」


    *


腕は動かなくなっていた。父と、顔を知らない親戚と、二人がかりだ。畳に膝をつかされて、顔だけ上げていた。


伯母が横向きに倒れた。


倒れた胸のところが、内側から押された。押されて、開いた。


出てきたものに、腕があった。


手が畳についた。肘が曲がって、体が起き上がる。


伯母だったものは、顔のほうを床に残したまま、薄く、たたまれていた。


誰かの喉から音が出た。誰のかはわからない。


俺は畳に押さえつけられたまま、それを見ていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。