終話 後記
弁護士の人が、封筒から紙を出して机に置いた。
2枚あって、右上に小さくページ番号が振ってある。記者から来た質問だという。
「答えなくてもいいです」
「読んでもいいですか」
「どうぞ。答えるなら、ここに書いてください。私が渡します」
質問は5つあった。最初の4つには短く書いた。見たこと、やったこと、日付。書けることは、それくらいしかない。
5つ目は、これだった。
『あなたは、従姉が書いていた話の続きを公開しています。あの話は、結局なんの話なのですか』
俺はその欄に、別の話を書いた。
弁護士の人は、俺が書き終わるまで壁のほうを見ていた。なぜそれを書くのか、とは一度も聞かなかった。
書き終わって渡すと、ページの端を揃えてから封筒に入れた。それだけだった。
以下が、そこに書いたものだ。
*
『8歳の少女』
その家には、居間の奥に書斎があった。書斎の窓の外はベランダで、物干し竿が2本渡してあった。
その日、少女は8歳になった。
居間には大人が6人いた。祖母と、父の弟の一家と、少女の両親だ。テーブルには寿司の桶と、まだ箱から出していないケーキがあった。
大人は、少女の話をしながら、少女を見ていなかった。背が伸びた、学校はどうだ、去年は何をした。そういう話ばかりだ。
「ケーキ、まだ出さないで。ろうそく探してるから」
母親の声だった。少女は、そっちを見なかった。
従弟は6つで、座布団の上で膝をついたまま、桶の海老を数えていた。
少女は居間を出た。子どもが席を立つのは、珍しいことではない。誰も顔を上げなかった。
廊下は冷たかった。夏の終わりで、日は高いのに、床だけが冷たい。
居間の声が、戸一枚ぶん遠くなった。誰かが笑って、誰かが皿を回している。少女の名前は、まだ何度か出ていた。
書斎の棚の下の段に、おもちゃの箱がある。少女はそれを取りに来た。
書斎は暗かった。昼でも、この部屋は電気をつけないと本の背が読めない。
しゃがんで、箱に手をかけたとき、窓のほうで明るさが変わった。
顔を上げた。
ベランダを、横切っていくものがあった。
落ちるのでも、歩くのでもない。横に流れていった。風に押されたものの速さだった。
それには、顔がついていた。
少女はその顔を知っていた。毎日見ている顔だ。朝、髪を後ろでまとめている顔。温めようか、と聞く顔。
顔は薄かった。向きが変わると、横の幅がなくなった。
少女は口を開けた。
音は、あとから出た。
大人が走ってきた。父が先で、そのあとに祖母と、父の弟が続いた。
「どうした」
「何があった」
少女は窓を指さそうとした。腕が上がらなかった。
見たものが、頭の中から出ていくところだった。手を伸ばしても、もう届かない。残ったのは、口の形だけだった。
「泣くな。8つにもなって」
父がそう言った。少女は泣きやまなかった。
誰かが少女を抱き上げようとした。少女は身をよじって、床に降りた。
書斎を出て、大人のあいだを抜けて、廊下を走った。
台所にいない。居間の座布団も空いていなかった。ベランダに出る戸は閉まっていて、鍵もかかっていた。
少女は階段の下で止まり、上を見た。
「お母さん」
返事はない。
もう一度、同じ大きさで呼んだ。
「お母さん」
2階で、床の鳴る音がした。
足音が階段を降りてくる。一段ずつ、いつもの速さで。
少女は待たなかった。手すりを両手で掴んで、上を向いたまま、もう一度呼んだ。
「お母さん」




