第二話 祖母の誕生日
祖母の誕生日は、毎年この家でやる。
店は取らない。伯母と母が台所で作って、伯父が飲み物を運ぶ。それだけの集まりだ。
俺は皿を並べる係で、佳帆姉は箸を配る係だった。小学生のころからこの分担が変わっていない。
「直人、取り皿はそこ。足りなかったら言ってね」
「はい」
伯母が鍋敷きを置いて、すぐ台所へ戻っていった。
祖母は上座で、まだ何も出ていないテーブルを見ている。
「おばあちゃん、今年でいくつになったの」
「言わない」
「えー」
「去年も言わなかったでしょ」
佳帆姉が俺の脇腹を肘で突いた。
「聞くなって、それ」
「先に聞いたのは佳帆姉じゃん、去年」
煮物と揚げ物と、母が持ってきた惣菜が順番に出た。父と伯父はビールを一本ずつ空けて、あとはお茶に切り替えた。
食べ終わるころ、俺は空いた皿を重ね始めた。
「まだ食べてるよ。私の皿は置いといて」
「あ、ごめん」
祖母の前には、煮物が3切れ残っていた。
「早いんだよ、直人は。昔から」
伯父が自分の皿を差し出した。
「皿はこっちで拭く。洗ったら渡してくれ」
「はいはい」
台所では母と伯母が並んで立っていて、入る隙がなかった。俺は流しの端に皿を置いて、戻った。
居間では、伯父が佳帆姉に何か聞いていた。
「あれ、まだ続いてるのか。ネットの」
「続いてる」
「俺は読んでないぞ」
「読まなくていい。お父さんが読んだら怖くならないもん」
「なんでだよ」
「知ってる人が書いたと思うと、途中で顔が浮かぶの。だから身内はだめ」
「直人は読んでるだろ」
「直人は例外。文句しか言わないから」
「褒められてる気がまったくしない」
祖母が煮物の最後の一切れを箸で割った。
「怖い話ばっかり書いて。夜、眠れなくならないの」
「書いてるときは平気。読み返すときのほうが、ちょっとね」
父が湯呑みに手を伸ばしながら、笑った。
「昔から本ばっかり読んでたもんな、佳帆は」
ケーキは父が箱ごとテーブルに出した。切り分けるのは佳帆姉で、配るのが俺だ。この分担だけは、なぜか逆にならない。
「これ、俺の」
いちごが二つ乗っているほうへ手を伸ばした。
「その大きいのは自分の分かい。切った人が先に取るの?」
祖母が俺の手元を見ていた。切ったのは佳帆姉で、取ろうとしたのは俺だ。訂正する気にもなれない。
「……やっぱりこっちで」
「往生際が悪いなあ」
佳帆姉はいちご二つの皿を持ち上げて、祖母の前に置いた。
「おばあちゃんが主役だから」
「いま考えたくせに、いい人みたいな顔するのやめて」
「残ったケーキ、二人で分けて持って帰って」
「え、いいの」
「箱、そこの棚にあるから」
伯母が立って、棚から白い紙箱を出した。折り目に沿って組み立て、テーブルに置く。
「半分ずつね。潰さないように」
「はい」
*
居間に移ってから、佳帆姉が俺の袖を引いた。
「席、替わって」
「なんで」
「全員の顔が見えるほうがいいの」
嫌な予感しかしなかった。俺は座布団ごと右へずれた。
「やるの」
「やる。昨日のやつ」
「怒られるからな」
「怒られたら直人のせいにする」
最低だった。
最初の相手は伯父だった。テレビの音量を下げながら、車をどこに停めたか、という話をした。
佳帆姉は答えない。父親の顔を、まっすぐ見ているだけだ。
3秒。5秒。
「ああ、裏な。わかった」
伯父は自分で納得して、湯呑みを取った。娘が黙っていたことには、たぶん気づいていない。
佳帆姉は俺を見ずに、指を一本立てた。1人目、という意味らしい。
次は祖母だった。
「佳帆、お茶いる?」
無言。
祖母は湯呑みを持ったまま、佳帆姉の顔を見た。それから、眉のあたりを見た。
「どうしたの。具合でも悪い?」
「……ううん。ごめん、考えごと」
「食べたらすぐ横になんなさい」
早い。2人目。
3人目は母だ。母はお茶菓子の袋を開けようとしていて、佳帆姉の無言をそのまま受け取ると、
「あはは、何それ。新しい芸?」
と言った。芸ではない。
最後は伯母だった。台所から戻ってきて、テーブルの上を一度見渡してから、
「佳帆、食べるなら温めるから、声かけて」
佳帆姉は答えなかった。
伯母は湯呑みを一つ動かして、置き場所を直した。
「お茶、ここに置くね。今は飲まなくてもいいから」
そのまま座布団に座った。それだけだった。
そこで佳帆姉が、俺のほうへ顔を向けた。
向けて、俺の名前を呼ばなかった。
「……やめろって」
背中が座布団から浮いていた。椅子のない部屋で、俺だけが椅子ごと下がる動きをしていた。
「はい、終わり」
佳帆姉が肩の力を抜いて、お茶に手を伸ばした。
*
帰りは途中まで同じ方向だ。ケーキの箱は俺が持たされた。
「で、結果は」
「5人中、止まったのが二人。おばあちゃんと、直人」
「俺は参考記録じゃない? 仕掛け知ってるし」
「知ってても下がってたよ、体は」
「うるさい」
「おばあちゃんは体調を疑った。おじさんは気づかない。おばさんはお茶を置いた。全部、私との付き合い方の違いでしょ」
「で、小説には使えると」
「使えない」
佳帆姉が立ち止まった。
「誰も、私を私じゃないとは思わなかったから。怖がった人はいたけど、それは返事が変だったから。返事を戻したら、全員そのまま戻った」
「怖い、は入口の看板ってこと」
「看板の先には、まだ何もない」
俺はケーキの箱を持ち替えた。紐が指に食い込んでいる。
「じゃあ逆は。怖がるほうじゃなくて、違うほうから探す」
「違うほう」
「見た目が同じなら同じでいいじゃん。同じなら人間だろ」
「同じものなんて、ないよ」
佳帆姉が街路樹の下で顔を上げた。
「同じ葉は二枚ない。双子でも違う。もし完全に一致するものが並んでたら、そっちのほうが変」
「……それ、条件になってる?」
「なってない」
即答だった。
「どこまで一致したら変なのか、数字がないでしょ。似てるだけの他人なんていくらでもいる。今のところ、私がやってるのは言葉遊び」
葉は何百枚も重なっていた。形の似たものばかりで、同じものはひとつもない。
「じゃあ猿人は何を見たんだよ。あの夜、思い出したんだろ」
「それ」
佳帆姉が俺を指差した。
「それが書けたら、この話は終わるの」
信号が青に変わっても、佳帆姉は渡らなかった。




