第7話 帳面さん、恋文を預かってしまった(後編)
「おはようございます。あれ、帳面さん。浮かない顔ですね」
ぼーっとして朝稽古に出たら、沖田さんにいきなり両肩をつかまれて顔を覗き込まれた。
「目が赤い。顔がむくんでいます」
一気に目が覚めた。な、な、なんてことをしてくれるんだ。沖田さんは今、このおれの頬を両手で包み込んだ。
「おおおおおおおおお、沖田さん。おはようございます。た、ただの寝不足です。て、手を放してください……」
「寝不足、そのようですね。あとで、目を休ませるといいですよ。手拭いを少し濡らして、閉じた瞼の上に当てるんです」
「……はい、やってみます」
稽古中には、まさか渡せない。左の袖がひどく重い。
昼休憩のときにでも、さりげなく渡すことにしよう。
様子を窺っていたが、人気者の沖田さんはなかなかひとりになってくれない。
昼餉は斎藤さんとずーっと剣術談議をしながら食べていたし、そのあとの巡察では沖田隊の先輩たちがいた。
ちらちらと沖田さんのことを見ていたせいか、喜助さんに『今日の帳面、沖田さんばっかり気にしている!』と大きな声で言い触らされた。
結局、渡せないまま陽が暮れてしまった。
夕餉のときも渡せずじまいで終わる。こうなったら、沖田さんの部屋まで届けるしかない。おれは一杯の酒を呷り、酔った勢いで沖田さんの部屋を訪ねた。
幹部が住んでいる八木家のほうには、ほとんど出入りをしたことがない。
丁寧に草履を脱ぎ、揃えてから沖田さんの部屋を探す。
場所は聞いてきたので、あとは沖田さんがいるのを願うのみ。履き物はあったけど。
「恐れ入ります。沖田さん、いらっしゃいますか。帳面です」
ややあってから、襖が開いた。
「珍しいですね。どうしたんですか」
沖田さん、いた! よかった。
……と、ほっとしたのも束の間。沖田さんは少し頬が赤い。息が上がっている。おれはどきりとした。沖田さんは、薄手の浴衣姿なのだ。
「だいじょうぶですか。お顔が」
「え? ああ、これは……」
部屋の中には斎藤先生がいた。この暑いのに、襖も障子もぴったり閉めてある。密室でふたりきり? 斎藤先生も寛いでいたらしく、袴を穿いていなかった。
しかも、奥には蒲団が並んでいた。ちょっと乱れていないか?
妄想が大爆発寸前になる。
「……自主練だ、自主練」
挙動不審になったおれを見て、斎藤先生はつぶやいた。
「私、よろけちゃって。蒲団の上に倒れ込んでしまって」
「室内なのに、総司は竹刀を振りすぎる」
「だって」
確かに、畳の上には竹刀が置いてある。
ひみつの稽古をするふたり。沖田さんは浴衣。打ち損なって蒲団に転がる。裾がめくれたのではないだろうか。それとも胸もとがはだけたとか。妄想が止まらない。
「話があるんだな、帳面。オレは少し出ている」
立ち上がった斎藤先生は、沖田さんの肩に羽織をかけた。気をつかって、外に出てくれるらしい。ありがたい。深く、一礼する。
この、ふたりの信頼は、ほんものだ。心が震える。
あらためて、沖田さんと向き合った。
沖田さんが起居している空間にいると考えるだけで、気持ちがふわふわする。落ち着け、帳面。あ、呑んだんだっけ。
「自主練の邪魔をしてしまって、申し訳ありません」
「いえいえ。なにかご用事ですか」
斎藤先生の羽織を着た、浴衣かわいい沖田さん。しどけないようで、隙がない。おっと、雑念。どこかへ飛んでいけ。俺はひたすら唱えた。
「あの……これを」
思い切って、おれは恋文を畳の上に滑らせた。青い結び文は、沖田さんの膝の前でぴたりと止まる。
そっと、沖田さんは文を取り上げた。まばたきを繰り返す。
「帳面さんからですか!」
実に嬉しそうな笑顔で、沖田さんは答えた。
ここで『おれです』と言えたらいいのに。
「違います! 預かりましたので、渡しに来たんです!」
「預かり……?」
文の端に名前が書いてある。沖田さん、ようやく察したようだ。
「なんだ、帳面さんからではなかったのですね」
そう言いながら肩を落とした。心なしか、声も小さい。
もしかして、残念そう? そんなまさか。心に浮かんでくる都合のいいことを必死に打ち消す。
「返事が欲しいと頼まれているので、書けたらください」
おれは部屋を出ようと決めた。渡すものは渡せた。
「待って。今から読んで書きます。もし、待っていただけるなら、もうしばらくここにいてください」
え……? 沖田さんの部屋で、ふたりきり?
おれの動揺には気がつかないのか、沖田さんはその場で文を開いた。文を読む横顔。字を追う睫毛。とても素敵だ。
文はそれほど長くなかったようで、沖田さんはすぐに顔を上げた。
「墨を磨ってくれますか、帳面さん。私は紙を用意します」
「は、はい」
文机に向かった沖田さんは紙を選ぶ。手に取ったのは色の紙ではなく、薄いけれども白い、普通の紙だった。
それだけで、沖田さんがこの文に心を動かされなかったことが分かる。お断わりの返事だ!
おれは……心底、いや体じゅうがほっとした。墨を磨る手が早くなる。おれの手、こんなにも高速で墨が磨れたのか。
墨が用意できると、沖田さんはさらさらっと返事をしたためた。短い。慣れているのだろうか。
「では、これをお願いします。お断りの文ですが」
「はい! 確かに預かりました」
返事がおれの懐に入ると、沖田さんはほほ笑んだ。
「面倒な役を押しつけてしまって、申し訳ありません」
「いいえ。おれが持ち込んだ件です」
「……こういうの、どうしていいかよく分からなくって……お気持ちは嬉しいんですが」
遠い目をした沖田さんに、思い切って尋ねる。
「嬉しいなら、一緒にいたいとか、お付き合いしてみたいとか、ないんですか」
「ないですね」
きっぱり。あらら。
「私には、ひとりを選ぶっていうことがよく分かりません。なぜ、誰かひとりを選ばないといけないの? もし、誰かとお付き合いしたら、ほかの人とは仲良くできないの? 私はみんなが好きで、毎日が楽しいのに」
揺れる沖田さんの双眸が、宝石のようだった。おれは動けなくなった。
――きれいだ。
見とれそうになったが、おれはおれを引き戻す。
「い、いいえ。今はそれでいいと思います。沖田さんの特別は、『とっておき』です。そのときまで、とっておきましょう。では、おれは戻ります! おやすみなさい」
もう、顔が見られない。おれの顔も、おかしなことになっているはずだ。
部屋に戻って蒲団に潜り込んだ。
***
文は翌日、高瀬さんに無事渡せた。
高瀬さんはとても残念そうだったが、清々しい顔つきをしていた。
『沖田さん宛ての恋文を預かってしまった。
なんとか渡せたが、返事はお断りだった。
でも、自分の気持ちを文で伝えられるなんて。尊敬に値する。
おれにはできそうにない。
しかし、沖田さんはおれからの文かと勘違いして、一瞬嬉しそうにしていた。
あれはなんだったのだろう。
以上』




