第12話 はじめてのおつかい(後編)
「え! か、かたい? 触りましたか」
「はい、今。ずいぶんと、かたいですね。どうしたんですか」
いつの間に? ていうか、気がつかなかったんだけど! 剣だけじゃなくて、沖田さんって手も早いの??
鼓動がうるさいほど高鳴っている。
「す……すみません……沖田さんで妄想して、かたくなるなんて」
きょとん、沖田さんは首を傾げた。
「もう、そう? なんのことですか。私は帳面さんの雨を拭いていて、肩や腕に力が入ってかたいなって思ったんですよ」
「え……」
な、な、なんだ。そっちかい! おれは盛大に気が抜けた。ふう、よかった。かんじんなところは触られていなかった。雨だか汗だかよくわからないが、おれはもう全身が水分まみれだった。
しかし、まだ雷である。
再び雷が光って抱きつかれたらどうしよう! 抱き締めてしまうではないか。我慢できるだろうか。自信がない。
雷、来るな。光るな。鳴るな……強く念じると、遠ざかってしまった。
少しずつだが、降り方が弱くなっている。雲も薄くなった。
空を見上げた沖田さんも変化に気がついたようだ。
「やむかもですね、そろそろ」
「え。あ、は、はい」
目に雨空を映す横顔もきれいだ。あ、左の首筋に小さなほくろ、発見。帰ったら、帳面に記さないと。
「聞いてもいいですか。帳面さんは、どうして新選組の入隊試験を受けたんですか。立派なご実家がちゃんとあるのに」
おれを見ようとはせず、沖田さんは空に問うているようだった。
「おれの話ですか」
「帳面さんは、私の隊の隊士です。聞いておきたくて。剣術未経験で入隊を希望する人ってめったにいないですよ。あ、でも言いたくないなら結構です」
にこり。
そんなほほ笑みの前では抵抗できない。隠す必要もない。
「つまんないですよ、普通です。実家にいたくなかっただけです。おれは、お菓子屋の次男。店を継ぐのは兄夫婦です。兄は健やかでしっかり者で、親からも頼りにされていて。兄嫁も客あしらいがうまくて、すでに子どももいて。うちのお菓子屋はそこそこ人気がありますし、この先も安泰なんです」
久しぶりに思い出す、実家の風景。
父と母、兄夫婦。
おれの居場所は、あの家にはない。
「偶然だったんです、新選組の隊士募集を知ったのは。住み込みでお給金がもらえるなら、実家を出る理由にもなりますし。でも、面接で土方副長の圧を感じて『だめだ』と悟りました」
「確かに、土方さんは帳面さんを落とそうとしました」
「逆に聞きたいです。沖田さんこそ、その……どうして、おれを残そうとしたんですか。実家が菓子屋という、おれの肩書きに惹かれたんですか。菓子好きゆえに」
一瞬目が点になって苦笑した沖田さん。
「う……まあ、それもありますけど、帳面さんは真面目そうで、京のことにも明るそうだったので、いいなって」
いや、菓子屋が気になったって白状すればいいのに。うろたえて目を逸らす沖田さんもかわいい。
「ではおれも聞きます。沖田さんは、なぜ上洛を決めたんですか。江戸に、病の兄君を置いてまで」
「それは、京に行きたかったからです」
「ですから、なぜ」
「土方さんに誘われたからです。京に行かないかって。みんな行くって言うし……というのは建前で、きっと違う景色を見たかったんだと思います」
……違う景色?
おれはその問いを投げようとしたが、沖田さんが跳ねるように笑った。
「ほら帳面さん、見てください。虹ですよ、虹。虹!」
ぽた、ぽた。地蔵堂の祠の屋根から水がしたたり落ちる。
「わあ、見事な七色。ほんとうにきれいですね」
沖田さんと一緒に見上げた京の虹を、おれは死ぬまで忘れないだろう。
雨やんで、帰途。
「あ。雨宿りは、あそこに行けばよかったですね」
沖田さんが指を差した先にあるのは。出合茶屋だった。
「ぶっ!」
吹いてしまった。荷物を落としそうになった。あれは、ない。絶対にない!
「永倉さんや藤堂さんが楽しそうに出入りしているのを、何度か見ました」
「いや見ないでください」
「どうしてですか」
通った道が悪かった。違う道を歩けばよかった。
まっすぐな沖田さんはいたって真面目。
「男女で行くところらしいのですが、私は縁がなくて。帳面さんは、行ったことありますか」
行きたい、知りたいと好奇心いっぱいの目で訴えかけてくる。そんなん無理!
「ないです。ありません! お願いですからあの店のことは忘れてくださいっ」
おれは早足で立ち去ろうとするも、沖田さんが追い縋る。
「ちょっとだけ覗いてみましょうか」
「だめです。今はこんなに濡れて、荷物も持っています。そもそも男どうしてはいれてもらえないかもしれません。さっさと帰りましょう」
きっぱり言ったのに、沖田さんはふと勘違いをしてくれた。盛大に。
「では、濡れていなくて、荷物を持っていないときならいいんですね! 私、変装しますから、今度一緒に行きましょう。約束ですよ」
「え、ええ? だめですってそんなの! おれ、士道不覚悟で切腹ですって」
「だいじょうぶですって」
水たまりを蹴り上げながら、沖田さんは大きく飛び跳ねた。
『今日は沖田さんと買い出しに行った。
楽しかったが、帰路は雨に降られる。
雨宿りした地蔵堂で沖田さんと近くなってしまい、卒倒寸前。
共に見上げた虹はきれいだったが、帰り道に出合茶屋に興味をいだき、一緒に行く約束をさせられた。
明日、忘れてくれていると嬉しい。でないと、おれの命が危ない。
怖ろしい。
以上』




