第11話 はじめてのおつかい(前編)
「帳面さん、おつかいに行きますよ」
「は、はい!」
明るい声で沖田さんに呼ばれた。
庭先で自主的に素振りをしていたおれは、急いで竹刀を片づけて馳せ参じる。
「お待たせしました」
「よし。いいこ、いいこ」
「はい!」
散歩に連れて行ってもらえる犬か、おれは。
おつかいは、食材の買い出しだという。
重たいものが多いらしいが、おれは足取り軽やか。沖田さんとふたりきりだからだ。斎藤先生は巡察中。副長も外出。
右、左、確認。よし! 邪魔者はいない。
つい、にやけてしまう。
「ずいぶんご機嫌ですね」
「そうですか? うーん、そうかもしれません」
邪魔者がいないのだ、浮かれてしまう……が、しかし。くんくん、くん。おれは鼻をひくつかせた。やっぱり犬かも。
「ひと雨、来るかもしれません。念のため、傘を持って行きましょう」
屯所に戻ろうとすると、沖田さんがおれの袖を引いた。
「雨? いいお天気なのに。面倒だからいらないですよ。それに、みそとかお野菜とかかかえて帰るんですから、傘があったら困ります」
それは確かにそうだ。『もうひとり連れて行きましょうか』なんてことになったら、悲しみの極み。
今は晴れているが、京の北の山々に雲がかかっている。比叡山も霞んできた。吹く風もやけに冷たく感じる。江戸者の沖田さんよりも京男のおれのほうが、断然京の天気に詳しい。
傘を持ち、増員を受け入れるか……否。
「では、急ぎましょうか」
おれは沖田さんと並んで歩きはじめた。
買い物はすぐに終わった。
しかし、沖田さんはそれからが長かった。『みんなに買って帰る』と、お菓子屋さんをはしごしたのだ。
一軒目で迷って決まらず、二軒目は売り切れ。三軒目でやっぱり一軒目に戻ると言い出す始末。
「付き合わせてしまって申し訳ありませんでした。帰ったらお茶を淹れますね」
「いいえ……」
静かに返答するものの、心はざわついてる。
帰ったら、沖田さんとおやつ! おれは忠犬・帳面。沖田さんのためなら何往復だってする。
しかし……間に合わなかった。
空が黒くなり、危惧していた雨粒が、ぽつり。ぽつり。大きい。
横風が吹き、落ち葉が舞う。
ぴかっと空が光ったと思ったら、大きな雷鳴。
夏の夕立ちだった。一気に本降りの雨になる。
「帳面さ……」
声もよく届かない。道のぬかるみに足を取られる。荷物が重い。走りたいのに。
どうする? おれは周囲を見渡した。雨が目に飛び込んでくるが、耐える。
「あ、沖田さん! あれです、あれ! あの中に入りましょう」
おれは沖田さんの袖をぐっとつかみ、地蔵堂の中に逃げることにした。
町ごとに地蔵が祀られている、京の都。
偶然逃げ込んだここのお地蔵さんは、小さな祠のようでいながら、立派な屋根を持っている。
「すみません、狭いですけど」
とはいえ、中はふたりで入るのがやっとだった。片隅に、荷物を置かせてもらう。
「いいえ、傘はいらないと私が言い張ったせいです。まずは、お地蔵さんにしばらくの雨宿りをお願いしましょう」
全身からぽたぽたと雨を垂らしながら、お財布を出してお賽銭を探す。
先に軽く雨を拭けばいいのに、お地蔵さんへのあいさつが先。そんなところも沖田さんらしい。
「お詫びに、帳面さんの分のお賽銭も出しますね。はい、手を合わせてください」
激しい雨の中、鈍い音を立てながら、賽銭箱に賽銭が吸い込まれる。そして、また雨音。
「かなりの強い雨ですね」
暗い空を見上げながら、沖田さんがつぶやいた。
「昼までは晴れていても、そのあと京は天気が変わりやすいです。あ、手拭いをどうぞ」
「ありがとうございます」
男どうしなのに。男なのに、どきりとしてしまう! 沖田さんは、愛らしく笑った。どうしてこんなに心が動く。悔しいぐらいに。
視線を動かすと、道の向こう側に甘味処があった。お地蔵さんの祠よりも、あちらのほうが雨宿りにはふさわしいかもしれない。
「あっちに、甘味処がありますけど行きますか。十歩ぐらいで着くはずです」
「んー。甘味は捨てがたいですが、私たちはずぶ濡れなのでお店に迷惑がかかりそうです」
確かに。そして、沖田さんの気配りに心を打たれた。
ふと、雷鳴が轟く。
「きゃっ!」
あろうことか、沖田さんがおれの腕にしがみついた。震えている。
「もしかして、雷が怖いんですか」
「は……はい」
少女みたいな沖田さん。愛らしい。
「とりあえず、水を拭きましょう。羽織は脱いだほうがいいですね」
雷のせいか、沖田さんはやけにしおらしい。黙って頷いてくれた。おれがだんだら羽織を脱がせてやる。ぐっしょりと濡れていて重い。
「か……髪も、拭きます、よ?」
このままでは体が冷える。かぜをひいてしまうかもしれない。
う、うなじの白さにどきりとしてしまうが、平常心、平常心。
しかし順番を間違えた。髪からしずくが垂れて着物がさらに濡れてしまった。
「すみませんすみません! おれってなんでこんなに段取り悪いのか」
「いいえ、ありがとうございます。だいぶ、軽くなりました」
じんわり、沖田さんのやさしさが沁みる。
「……髪、だいぶ長いんですね」
背中を流れるような髪がまぶしい。うっとりしてしまう。
「ああ、これは潜入調査のせいです。先日、女装して監察のまねごとをしたんです。でも、髪が短くてうまく結えなかったんです。またそんなことがあったら、次はもっと上手に女装したいなって思って。その覚悟で伸ばしています。わ、雷また光った!」
じょ、女装。沖田さんの女装! 見たかった……新選組の幹部は、なに考えてんだ。沖田さんが女姿になったら真っ先に隊士が討ち死にする。
はあ、任務に真面目で健気な沖田さん。しおらしい沖田さんもぐっとくる。
「通り雨だからすぐにやみますよ! こういう雨、京ではけっこう多いんです」
雷鳴がやむと、沖田さんはほっとしたようで元気を取り戻す。
「では、帳面さんの羽織は私が。雨も拭きましょう」
「いやいいです自分でできますていうかやめてくださいぃ」
身じろぎすると、触れ合ってしまう。逃げ場がない。
「じっとして。お地蔵さんが見ていますよ」
「は、はい……」
これ、稽古のときと同じ距離。しかし今は沖田さんの手が、おれの髪を、顔を、首筋をやさしく這っている。
ま、まずい。おれ、男に……沖田さんに、どきどきしている。まずい。
「かたいですよ、帳面さん」
そのひとことにおれはぶっ飛びそうになった。




