第10話 「お前も、諦めろ」
うちの沖田さんには、距離感というものがない。
慣れ親しんだ副長や局長にならともかく、おれにまでぐいぐい来る。
どうしてなのか、観察をすることにした。
特に、副長に懐いていることが分かった。
だいたい隣に座る。世話を焼く。でも、わがままを言って甘える。副長も悪い気はしないようで、特別扱いしている。
なので、視野を少し広げてみることにした。帳面を携え、沖田さんを追う。
話す。笑う。おどける様子もかわいい。剣を手にするとカッコいい。沖田さんの周りには、いつも人が集まっている。
しかし、稽古では……あっという間にあちこちで被害者が出た。
肩に触れた! 袖をつかんだ! 手を握った! とうとう隊士が倒れた!
沖田さん、全然気がついていない!
なんという破壊力。
被害者の名前を帳面に書きつけていると、すぐに紙いっぱいになった。
これは、新選組の天然兵器と呼べるのでは。
……と、おれが震えていたところ。
天然兵器に、まったく動じない人物がひとりだけあらわれた。
その人の名は、斎藤一。
沖田さんにほほ笑みかけられても、顔を近づけられても、体を寄せられても、顔色どころか眉ひとつ動かない。
それどころか、斎藤先生のほうが沖田さんを攻める。
「総司、今のはこうしたほうがいい」
「もっと、竹刀を倒して斬り込んでみてはどうだ」
「ではもう一度」
斎藤先生は沖田さんの背後に回り、包み込むような形で指導する。見守る周囲の隊士が赤面する。でも、見てしまう。
稽古中のふたりはいたって、普通。落ち着いた声で、真剣そのもの。
……異常だ。ほとんど抱き合っているのに、どうして平常心なの!
あんなに近かったら、お互いの息がかかってしまう。体温に気がついてしまう。鼓動が伝わってしまうのに。
「斎藤さん、勝負です!」
「腰が浮いている」
「あ、そうでした」
こ、こここし、腰! 腰に手を? 沖田さんのやけに細い腰に、斎藤さんの手が一瞬、乗っかった。おれの背後にいた隊士がいっせいに涎を呑み込んだ。おれもだ。
……これも、詳しく調査しなければならないようだ。『斎藤先生には天然兵器が効かない件』。
斎藤一。
沖田さんと同じ歳の二十二歳。強い。新選組では沖田さん、永倉先生、そして斎藤先生が最強とされている。
しかも、美形。
土方副長のように派手な美形ではないけれど、整った顔立ちとさらさら黒髪が羨ましい。もし、おれが女だったら、副長にするか斎藤先生にするか激しく迷うだろう。まあ、そんな日は一生来ないので、考えるだけ無駄だが。
我らが沖田さんよりも斎藤先生が優れている点は、やはり体力、持久力があるところだ。
華奢な沖田さんは瞬発力はあるが、疲れるのが早い。稽古中もはじまりは元気だが、終盤だれてくる。もしかしたら、おれでも一本取れるかもと思い、くたびれた沖田さんに試合を挑むが……さすがにまだ勝てない。
そんな沖田さんと対等に渡り合えるのが、斎藤先生なのだ。
「おかしいな。沖田さんを追っていたはずなのに、どうして斎藤先生を追いかける流れになったんだ?」
そもそもは、沖田さんの距離感がおかしいということだった。
副長ですら、沖田さんがすり寄ってくると照れる。なのに斎藤先生は、無。
沖田隊の一員として、沖田さんの距離感の秘密を知りたい。また近づかれても困る。嬉しいけれど困る。困るけれど嬉しい。いや、困る。
斎藤先生のように、あの距離感に耐えられる体が欲しい。じゃないと、おれは沖田さんを……おっと。おれは帳面を閉じた。
少し水でも飲もうかと、前川邸の広間から台所に出ようとしたところ、縁側に人影があった。
「え……」
声が出そうになり、慌てておさえる。
寝ている沖田さんに寄り添う斎藤先生がいた。
昼下がりの前川邸。
沖田さんは口を半開きにして、斎藤先生の肩に寄りかかるようになりながらくうくうと寝息を立てている。一方で、斎藤先生は沖田さんをじっと支えている。
けれど、抱き締めはしない――そんな形だった。
夕陽に照らされて、きれいだと思ってしまった。
そこだけ、切り取られた一枚の絵のようだった。
黙って消えようとしたが、おれは戸にぶつかってしまった。がたん。
「誰だ。ああ、帳面か」
気配に気がついた斎藤先生はおれを咎めた。
「す、すみません。じゃまするつもりはなかったんですけど」
「……じゃまではない。なにもない。むしろ助かった」
――え?
そっと、斎藤先生は眠っている沖田さんの体を、抱き上げた。沖田さんは起きない。しあわせな夢でも見ているのだろうか、くすりと笑ったような気がする。
「え、それ。沖田さんをどうするつもりなんですか」
「どうもしない。部屋に運ぶだけだ」
部屋に運ぶ……つまり、お持ち帰りするってこと? ふたりは同じ部屋で暮らしている。おおお、沖田さんを、お持ち帰り……!?
「妙な想像はするな。副長に預ける。それだけだ」
「あ、そうですか。そうでした」
沖田さん斎藤さんのほかにも、副長と井上先生、四人で使っている部屋だ。必要以上にどきどきしてしまった。
「お前も、諦めろ」
不意に投げかけられたそのひとことが、おれの心を射抜いた。すべて見透かされているようで、ぞわりと鳥肌が立った。
沖田さんをかかえた斎藤先生はすたすたと行ってしまった。部屋に戻って沖田さんを副長に預けたあとは、きっと素振りでもするのではないか。
だって、『お前も、諦めろ』だった。『も』。
そのたった一文字に、斎藤先生の心が乗っている。ふだんは、まったく動じないように見える斎藤先生の気持ちが。
『沖田さんの距離感は、やっぱりおかしい。
今日は、斎藤先生に寄りかかってよく寝ていた。
先生から『お前も、諦めろ』と言われてしまう。
では、先生は諦めているのですか?
問えない問いが増えてしまった。
以上』




