第13話 命の危機だよ、帳面さん(前編)
昨日の雨のせいか、今日は朝から清々しい。
晴天の一日になりそうだ。素振りをする手にも力が入る。
「おい帳面、朝から元気だな!」
ばーん、と肩を強打される。
「ちょっと……痛いですよ。熊吉さん」
「気合いを入れろ、気合い! 気合が足りなーい」
がははと熊吉さんが大声で笑った。喜助さんがそれに乗っかる。
「なかなかいいじゃねえか、太刀筋。沖田さんによく似ている筋だ。帳面は沖田さんのことばっかり見ているからなあ。気になるのか? 気になるんだろ」
「そ、そんなこと」
ありません……とは言い返せなかった。ひそかに、おれは沖田さんを観察している。沖田さんの周りではいつも事件が起きるからだ。
「分かります。沖田さんは、今朝もうつくして、し・あ・わ・せ♡」
沖田さん信者の秋津さんは、隊士に稽古をつけている沖田さんの姿を眺めてうっとりしている。
「おい、さぼるなよ」
隊長補佐の榊原さんの鋭いひとことが飛んできた。
「ちなみに、沖田さんの袖は財布がすっからかんで軽そうですね。この前、給金が出たばかりなのに」
会計係の徳井さんは、常に沖田さんのお財布事情を把握している。沖田さんが隊の予算を甘味に使い込もうとするからだ。
今朝も沖田隊は賑やかだなあと、おれが苦笑していると沖田さんがぱたぱたと、こちらに向かって駆けてきた。
「帳面さん!」
「は、はいっ」
素振りをみてくれるのだと思った。竹刀を握り直す。密着指導がはじまるのかもしれない、と内心焦る。
「今日はいいお天気ですね!」
なんだ、天気の話か。ちょっとがっかり。
「そうですね。稽古日和です」
「巡察のあと、お昼から夕稽古までは休みですよね」
「え、ええ。そうですね」
その空き時間は帳面を書くか、昼寝をするかの二択だ。
「天気もいいし、買い出しもありませんし、さっそく行きませんか」
「……え」
おれは固まった。まさかこの流れ。
「やだなあ、約束したじゃないですか。一緒に行こうって、出合茶屋へ!」
「うぎゃあ!」
変な声が出た。慌てて沖田さんの口を手をおさえたが、遅かった。
沖田隊の全員に聞かれてしまった! みんながこちらを見ている。
「おいおいおーい、帳面! お前、我らが沖田さんといつの間にそんな約束を?」
さっそく喜助さんが冷やかしてきた。
「秘密の特訓か。急に進展したな」
ちょっと羨ましそうにしている、熊吉さん。いや、違いますって。
「え……沖田さんが帳面さんと? 嘘ですよね」
ぐるぐる妄想しはじめたのは秋津さん。や、やめてほしい。
「沖田さん、今日はそいつが相手なんですか。任務には支障のないようにしてくださいよ。男遊びはほどほどに」
とんでもない忠告をしてくれたのは、榊原さん。
「ちなみに、茶屋代は帳面持ちですね」
やっぱり? そうなの? それって、いくらなの?
沖田隊の面々に聞かれたのは困るが、もっと致命的なのは土方副長や斎藤先生の耳に届くことだ。
「あの、誤解ですから。ご・か・い! これは、内密にしてくださいよ。くれぐれも、な・い・み・つ、に」
必死に叫んだが、届いているかどうか。
昼餉。
自分のお膳を持って大広間を出た。縁側で、おれはひとり急いで食事をしている。
夕稽古まで誰にも見つかりたくない。これを食べたら屯所から逃げ出す。
「こんなところにいたのか、帳面」
うわ、永倉先生に見つかってしまった。すごい笑顔だ。
無視するわけにはいかない。
おれは胸もとに手を置いて帳面を撫でた。こうすると、落ち着くことを最近知った。
「おつかれさまです」
「これから、総司と出合茶屋行くんだってな。よろしく頼む」
「ぶっ!」
あぶない。ご飯を吹きそうになった。
すでに永倉先生の耳にまで届いているとは。誰だ、知らせたのは。
「まさか、総司がお前を選ぶとは思わなかったが、そういうことなら仕方がないな。土方さんに報告しておいてやろうか」
「いいえ、いいえ! おれたち、先生によろしく頼まれるような仲ではありません。ただ、沖田さんがとにかく出合茶屋ってなにかを知りたくて行きたい、と。おれは巻き込まれただけです」
「え。そうなのか」
「はい」
「もう、隊士じゅうの間で噂になっているぞ。どうすんだ」
持っていた箸を落としそうになる。
「い、行きませんよ! 行けるわけないです。おれの身が持ちません」
食事は諦めてすぐに逃げたほうがいい。危機を感じ、おれは膳を片づけようとした。
「ふうん。じゃあ帳面、この永倉新八がお前の代わりに総司を連れ出してもいいんだな。総司は誰でもいいんだろ、出合茶屋がなにか分かれば」
「それは……」
永倉さんは恋多き人。経験豊富なのはいいけれど、沖田さんのことを末永く大切にしてくれるかどうか。
沖田さんには幸せになってほしい。永倉先生が信じられないとかではない。
「答えられない、と。じゃあ、いいんだな」
「だめです!」
つい、おれは大きな声を出してしまった。
おれが逃げたら、沖田さんはほかの人と行こうとするかもしれない。それはなんだか許せない。どうしてか分からないが、考えただけでいやな気持ちになる。
「……だってよ、総司! 帳面、行くってさ!」
がらりと障子が開いた。笑顔の沖田さんが立っている!
「こんなところにいたんですね、帳面さん。探しましたよ。永倉さん、ありがとうございました」
「おうおう。初々しい者どうし、仲良く行ってこい。ふたりでどんな感じだったか、あとで教えてくれ」
「はい、任せてください。さあ帳面さん、お食事もあと少しですね。私、待っていますからどうぞ召し上がって」
一縷の望みをかけて永倉先生に『たすけて』と目で訴えるも、完全無視。即却下されたようだ。
「い、い、いたい……いたたた! おなかが……急におなかが痛いです」
この日、おれははじめて沖田さんに嘘を……仮病を使った。
翌日も、翌々日も腹痛でごまかしたが、そうもいかなくなってきた。
もちろん沖田さんは、腹痛を訴えるおれには無理強いはしない。
おれと行きたがっている。それはうれしい。しかし、ただ行きたいだけ、知りたいだけ。
この数日、沖田さんには誰も出合茶屋とはなんなのか説明してくれない。頼みの綱の土方副長は出張で留守。
新選組に、おれを助けてくれそうな人はあとひとりだけいる。
「斎藤先生! どうか、おれを助けてください……ぃい」
ようやく話せる時間を得たおれは斎藤先生の袖に縋った。ぎゅっと。
「よせ」
「すみません、斎藤先生。お願いします、どうかお願いします。おれ、このままでは死にます。沖田さんと出合茶屋に行ったら、欲望爆発で即死します。斎藤先生が沖田さんを誘ってください」
最後はほぼ涙声だった。情けないことに。
しかし、切実なおれの訴えにも、斎藤先生は軽くため息をつくだけ。
「……総司は、お前と行きたいんだ。だったら、察しろ」
「そんなことありません。話の流れでおれと、ってなっただけです。沖田さんは斎藤先生を信頼しています。ですから今回も斎藤先生が」
「総司は言い出したら聞かない。諦めろ」
「そんなあ」
がっくり、首を垂れるおれの肩を斎藤先生は叩いた。
「そこまで鈍いやつではない。出合茶屋がなんなのか、入ったらさすがに総司も察するはずだ。それまで耐え抜け」
それだけ言い残し、斎藤先生は去って行った。
どうしよう。沖田さんと出合茶屋。助けてくれそうな人はいない。行くしかないのか。
男どうしなのに、雰囲気に呑まれてとんでもないことになったらどうしよう……!
無邪気で明るい、沖田さん。
助けてくれない沖田隊。
楽しむだけの永倉先生。
耐えろと言う斎藤先生。
……四面楚歌だよ、帳面よ。




