第9話 秘密の共有
「……終わったかもしれない」
翌朝。リンネは作業机に突っ伏したまま、消え入るような声で呟いた。
そんな彼女の絶望をよそに、机の上では青白い光がころころと転がるように楽しげに漂っている。
「なんでそんなに我が家に馴染んでるの……?」
光はぴこんと跳ねる。最近ではその感情表現があまりに分かりやすく、無駄に意思疎通ができてしまうことに危機感を覚える。昨夜ルークから聞かされた話は重すぎた。あの光の正体が「高位精霊」であると中央に知られれば、平穏など一瞬で霧散する。
「私はただ、静かにのんびり暮らしたいだけなのに!」
魂の叫びなどどこ吹く風で、光は小さな工具をふよふよと浮かせて遊んでいる。
その時、玄関の扉が小気味よく鳴った。
「……嫌な予感しかしない」
半目で扉を開けると、そこには案の定、爽やかな笑顔のルークが立っていた。今日の彼は、騎士服ではなく簡素な旅装に身を包んでいる。
「おはようございます、リンネさん」
「……あの、うちへの出現率高すぎません?」
「あはは、否定はしません」
国宝級の笑顔で流された。
「今日、この街を出発します」
その言葉を聞いた瞬間、リンネの顔がパッと輝く。
「やったぁぁ!」
「……露骨ですね」
「だって、お偉いさんたちが近くにいるの怖いですし!」
本音だった。ルークは苦笑しつつ、すぐに表情を引き締める。
「出発前に、話しておきたいことがあって」
作業場へ通すと、ルークは部屋の隅の冷風機の前で足を止めた。隙間から、ひんやりとした冷気が漏れ出ている。
「……これ、自作ですか?」
無言の沈黙が答えになる。ルークはそっと額を押さえた。
「リンネさん、あなた『自重』という言葉を知っていますか?」
「店ではもっと簡単なものしか売ってないから自重してます!」
「自宅で一切していないじゃないですか」
「夏の快適さには勝てないんです!」
大真面目な言い分に、ルークは深いため息を吐いた。
「……その発想、本当にあなたらしい」
呆れつつも、その瞳には職人に対する純粋な関心が混じっている。
「普通、腕のある付与術師は、もっと金になる高級魔導具を作りたがるものですが」
「へぇ……そうなんですか?」
リンネは首を傾げた。戦闘用の武器よりも温水が出るお風呂の方が、彼女にとっては百倍重要だ。
ルークが呆れ笑いをしたその時、光がふよふよと現れた。ルークの姿を認識した瞬間、あからさまに嫌そうな空気を出して背後へ隠れる。
「……やはり、俺は嫌われています?」
「みたいですね」
しょんぼりとしたルークが可哀想になり、リンネはフォローを試みる。
「でも、昨日よりは距離が近づいてますよ?」
「慰めになっているような、いないような……」
苦笑したその時、光が弾丸のようにルークの腰袋へ突撃した。
「っ!?」
慌てて袋を押さえようとするルークを無視し、光は器用に「何か」を引っ張り出す。小さな黒い結晶だった。見た瞬間、リンネは本能的に眉を寄せる。肌に泥を塗られたような、ゾワゾワとざらつく不快な魔力。
「……昨夜の大型魔獣から回収した『核』です。放置すれば魔力汚染の原因になる」
ルークの低い言葉に頷く。その核に向かって、青白い光が威嚇するように激しく震えた。
パキリ。
核に亀裂が入り、脆く崩れ始める。内部から溢れ出た汚染魔力を、光は待ってましたとばかりに吸い込んでしまった。床に残ったのは、魔力を失ったただの黒い砂だけ。
「……汚染の、浄化?」
ルークが信じられないものを見る目で呟く。リンネも絶句した。教本でも聞いたことがない。満足げにふるふると揺れ、光はリンネを振り返る。「僕、すごいでしょ?」という視線。
「……え、えらい?」
ぴこーーん!!
光は狂喜乱舞するように部屋中を飛び回った。
「完全に犬だこれ」
「ですね……間違いなく犬です……」
ルークも遠い目で同意する。だが、すぐに真剣な騎士の眼差しへ戻った。
「リンネさん。あなたの技術も、その精霊も……この世界にとっては危険すぎる」
「王宮には力を欲しがる者たちが多すぎる。一度見つかれば、あなたは二度と平穏な生活には戻れない」
「提案があります。あなたの技術と、精霊の存在――俺が全て隠蔽します」
「…………え?」
「視察報告書には、『辺境のごく一般的な付与術師』とだけ記載します。俺の権限で揉み消せるでしょう」
「そんなことして、ルークさんは大丈夫なんですか?」
ルークは静かに頷いた。
「問題ありません」
リンネは眉をひそめる。
「……なんでそこまで?」
ルークは言葉を探すように一度だけ口を閉じた。
「……後味が悪いんです。面白い人が、権力争いで潰されるのは」
少し照れたように笑う。
「それに、騎士として」
リンネは黙ってルークを見つめた。
「……本気で言ってるんですか」
「もちろんです」
リンネは大きく息を吐き、覚悟を決めて右手を差し出す。
「……分かりました。その提案、乗ります」
「では、契約成立ですね」
「ただし! 条件があります。何があっても『私の平穏』を最優先にしてください!」
「約束します」
「……本当に?」
「……努力します」
「弱気になった!」
嫌そうな顔をするリンネを見て、ルークは堪えきれずに声を上げて笑った。仕事の仮面ではない、魅力的な少年のような顔。
リンネは互いの重なった手を見下ろす。少し迷ってから、ぎゅっと握り返した。
「……よろしくお願いします」
「こちらこそ」
その横で、青白い光が嬉しそうに二人の周りをぐるぐる飛び回る。
リンネは小さく笑った。
「……なんであなたが一番嬉しそうなの」
ぴこん。




