第59話 鉄壁の関所
二日目の旅路が進むにつれて、周囲の景色は徐々に変化していった。
まばらだった木々は減り、綺麗に整備された白い石畳の道幅が広がっていく。街道を往来する馬車の数も増え、どこか急ぎ足の旅人たちの姿が目立ち始めた。
「そろそろですね」
御者台のルークが後ろを振り返り、柔らかく声をかけた。
リンネは馬車の窓から外を覗き込み、思わず息をのむ。
前方の街道を塞ぐようにして、天を突くほど巨大な白い石壁がそびえ立っていた。
それは王都の外郭を守る厳重な関所――「白亜の門」と呼ばれる検問所だった。
「この城壁は百年以上前、大戦のあとに築かれました。王都を守るための、最も重要な防衛線の一つです」
ルークの静かな説明に、リンネは「すごい……お城みたいだね」と圧倒されたように呟いた。
高い城壁の上には整然と並んだ騎士たちの姿があり、門の前には王都へ入ろうとする長蛇の列ができている。商人の荷馬車、地方からやってきた旅人の一団、そして武具をガチャガチャと鳴らしながら目を光らせる衛兵たち。
あちこちから馬のいななきや、書類の確認をする厳しい怒声が飛び交い、昨日の宿場町とは比べ物にならないほどの張り詰めた空気が漂っていた。
「あそこが王都の玄関口です。物資や人の出入りを厳しく管理するため、王都へ入る者全員の身元や所持品の検査が行われます」
馬車が列の最後尾につき、ゆっくりと停止した。
周囲を見回すと、他の旅人たちは緊張した面持ちで自分の荷物を確かめたり、衛兵の厳しい視線におびえたりしている。王都は、決してただの賑やかな街ではない。その厳格さが、肌でヒリヒリと伝わってきた。
「リンネさん、緊張していますか?」
ルークが心配そうに覗き込んでくると、リンネは少しだけ首を横に振った。
「ううん、びっくりしたけど……ルークさんが一緒だから、大丈夫」
そのまっすぐな瞳に、ルークはふっと肩の力を抜いた。
「ありがとうございます。では、手続きをしてきます。馬車で待っていてください」
ルークが席を立ち、馬車から降りて検問所の受付へ歩いていく。
背中に背負った騎士の剣と、整った身のこなし。その姿は、周囲の慌ただしい雰囲気に飲まれることなく、どこか毅然としていた。
列の前では荷馬車の荷が一つひとつ改められ、樽を叩く音や荷袋を開く音が絶えない。旅人の中には質問を受けて立ち往生している者もいた。
受付の前に立ったルークを見るやいなや、若い衛兵たちの表情が一変した。慌ただしい空気の中ですら、彼らは背筋を伸ばし、鋭く敬礼する。
「――ラウノ駐屯小隊隊長、ルーク殿! ご到着ですね!」
「ご苦労。入都の手続きを頼む」
ルークが冷静に書類を差し出すと、衛兵は分厚い台帳をめくりながら素早く確認をとっていく。
遠くからそのやり取りを見つめながら、リンネは改めて思う。
(やっぱり、ルークさんはすごいなぁ……)
旅の途中での優しい笑顔や、荷馬車を押して手伝った気さくな姿とは違う、騎士としての頼もしい横顔。
しかし、手続きの途中で、担当の衛兵がピタリと手を止めた。
「……ルーク殿。こちらの馬車に乗っているお連れ様についてですが、所持品の確認をさせていただきます」
「あ、はい!」
呼ばれたリンネは慌てて御者台を下り、二人のもとへ歩み寄った。
衛兵はリンネの足元に置かれていた小さな木箱に視線を落とす。
「それを開けてもらえますか」
「はい、どうぞ」
リンネがそっと蓋を開けると、細い針金、蜜蝋、細工用のナイフ、小さなヤスリ、木片を削るための小さな彫刻刀──旅先でも修理ができるよう最低限の道具だけが几帳面に収められていた。
衛兵の眉が、ピクリと険しく動く。
「失礼ですが、その工具を一つ手に取って確認させてもらっても?」
「あ……はい、どうぞ」
促されるままリンネが細工用のナイフを差し出すと、衛兵は慎重に刃を確かめ、柄の刻印にも目を落とした。
「……職人道具で間違いないようですね」
「確認しました。失礼しました。」
わずかな一呼吸のあと、衛兵は厳しい視線を緩め、納得したようにうなずく。
「付与術師、とおっしゃいましたか?」
「はい。付与術師です」
物々しい関所の空気の中、一瞬だけ周囲の視線が集まる。だが、その緊迫した空気を、横に立ったルークが静かな声で断ち切った。
「彼女は私の同行者です。身元については、私が責任をもって保証します」
ルークの落ち着いた低い声と、その確かな言葉に、衛兵はすぐに姿勢を正した。
「承知しました。ルーク殿の同行者でしたら問題ありません。……通過を許可します」
「職務ご苦労。引き続き頼む」
「はっ! お気をつけて!」
若い衛兵は背筋を伸ばし、力強く敬礼した。
ルークが軽く頭を下げ、リンネも「あ、ありがとうございます!」と慌ててペコリと頭を下げた。
馬車に戻り、リンネがそっと自分の工具箱の蓋を閉めると、肩の上でマロがひんやりとした青白い光を揺らしながら、ほっとしたようにくるりと丸まった。
「ひとがいっぱい、きびしかったね」
「うん……でも、無事に通れてよかったよ」
リンネがそっと手のひらを工具箱に添えると、マロは安心したように呟いた。
「あるじがいれば、どこでもだいじょうぶ」
その無邪気な言葉に、リンネはくすりと笑った。
ルークが再び御者台に乗り込み、手綱を軽く引く。
馬車がゆっくりと動き出し、巨大な鉄格子の門をくぐり抜けていく。
巨大な門を抜けた瞬間、まるで別の世界へ足を踏み入れたかのようだった。
門の陰から、眩しいほどの光が一気に差し込んできた。
視界が開けたその先には、白い石造りの街並みが幾重にも広がり、白い石畳の通りの両脇には四階、五階建ての建物が隙間なく並んでいた。空を見上げると、建物の屋根や幾本もの尖塔が青空へ伸び、まるで街そのものが一つの城のようにそびえている。
朝日に照らされた白壁はまるで光そのものをまとっているかのようだった。焼き立てのパンの香りに混じって、香辛料の匂いや鍛冶場から響く金属音が風に乗って流れてくる。人々の笑い声と馬車の車輪の音が大通りに溶け込んでいた。
行き交う人々の数、ざわめく活気、聞いたこともない地方の言葉。そのすべてが、新しい世界だった。
リンネは馬車の窓から顔を出し、大きく息を吸い込む。
「……よろしくね、王都」
隣で、ルークが小さく、けれど温かく笑った。
「ようこそ、王都へ」
馬車はゆっくりと、新しい出会いと未知の驚きに満ちた大通りへと入っていった。
ラウノを旅立った少女は、今日、王都へ辿り着いた。
新しい街。
新しい出会い。
新しい日々。
そしてここから──
付与術師リンネの、本当の物語が始まる。




