第53話 秋風が運ぶ招待状
あの日の共同調査から、二週間。
ラウノは以前と変わらない穏やかな日常を取り戻していた。
秋が訪れ、朝露に濡れた石畳を、赤や黄色の落ち葉が静かに転がっていく。
研究室も開設され、神官や研究員が街を歩く姿も、住民たちはすっかり見慣れていた。
リンネは店先を掃きながら、小さく息をついた。
「もう夏も終わりだねぇ」
足元ではマロが落ち葉を追いかけて、ぴょんぴょんと飛び回っている。
店内には、新しく完成した『めぐり首まくら』がいくつも並び、その横には魔導研究院や精霊協会から届いた注文書が、束になって積まれている。
しかしリンネはそれを見ても、
「ずいぶん人気なんだねぇ」
くらいにしか思っていなかった。相変わらず、自分の生み出す価値や影響力には無自覚なままだった。
そこに、いつもの巡回を兼ねたルークが店へとやってきた。
しかし、今日のルークはどこか様子がおかしい。店へ入ってきても、いつもなら交わす軽やかな挨拶がなく、言葉を濁している。
リンネは不思議そうに首を傾げた。
「ルークさん? 何かあったんですか?」
ルークは少し考え込むように視線を落としてから、意を決したように顔を上げた。
「……お願いがあります」
「お願い、ですか?」
「父と母が、リンネさんにお会いしたいそうです」
その瞬間、リンネは完全停止した。
「…………え?」
思考がフリーズし、数秒間そのまま固まる。
「えぇぇぇぇぇっ!?」
あまりの大きな声に、足元のマロも「きゅっ!」とびくっと飛び上がった。
慌てるリンネを前に、ルークは苦笑しながら理由を語り始める。
「研究院の話は、姉のセレストから聞いているようです。それに、精霊協会からも色々な噂が届いていますからね」
「父は、領民の暮らしを支える職人に以前から敬意を持っています。あなたが作る品の話を聞き、一度会ってみたいと思ったようです」
そして、ルークは少しだけ照れくさそうに笑った。
「母は……『そんな優しい子なら、ぜひ一度お会いしたい』と言っていました」
リンネは頭を抱え、ひきつった笑みを浮かべる。
「え、ええぇ……あの、待ってください」
おそるおそる、震える声で確認する。
「侯爵家って……あの、ヴァンディール侯爵家ですよね?」
「はい」
「お父様って……」
「現ヴァンディール侯爵です」
「お母様は?」
「もちろん、侯爵夫人です」
「…………。」
リンネはバタンと音を立てて、机へ盛大に突っ伏した。
「無理です。私、そんな偉い方々のところに行ったら緊張で胃に穴が空きます」
ルークは思わず声を上げて笑ってしまう。
「そんなに緊張しなくても大丈夫ですよ。父も母も穏やかな人ですから」
リンネが「それなら……少しだけ安心しました」と顔を上げると、ルークは続けて自然に家族のことを語った。
「我が家は四人きょうだいです。姉がセレスト。長兄は父に似て真面目で、今は侯爵家の仕事を学んでいます。次兄は王都で官僚をしていますが、人付き合いが上手ですね。そして末が私です。」
リンネは再び頭を抱えた。
「長女様がセレストさんで、お兄様方もそんな立派な方々で……!そんな輝かしいご家族の中に、なんで私みたいな、ただのしがない雑貨職人が混ざらなきゃいけないんですか!」
ルークは優しく首を横に振った。
「だからこそ、家族はあなたにお会いしたいのだと思いますよ」
少しの間を置いて、ルークはまっすぐな瞳でリンネを見つめた。
「私が信頼している方です。だから、安心して家族に紹介できるのです」
その言葉に嘘偽りはない。恋愛のロマンチシズムというよりも、お互いの生き方に対する深い「信頼」が、その声と言葉の端々から温かく伝わってきた。
圧倒されつつも、リンネは真剣に悩み始めた。
もちろん、断る理由などない。けれど――。
「……もし、粗相があったらどうしよう」
「その時は、私が全力でフォローします」
「……本当にですか?」
「もちろんです。私がついていますから」
心強い言葉に背中を押され、リンネはようやくか細く、しかししっかりと頷いた。
「じゃあ……その、よろしくお願いします」
夕暮れ時。
任務を終えて侯爵邸へと帰る道すがら、ルークは澄み渡る秋空を見上げた。
(父上。母上)
(きっと、あの人は気に入っていただけるでしょう)
胸の内でそう呟きながら、ルークの口元には自然と穏やかな笑みが浮かんでいた。
一方その頃。
店に残されたリンネは、一人で大パニックに陥っていた。
「侯爵家……。着ていく服はどうしよう? 手土産は何がいいの? 挨拶の敬語は合ってる? 食事のマナーなんて私できるかな……!」
部屋の中をぐるぐると歩き回りながら頭を抱えて転げ回るリンネを、マロが心配そうに首を傾げながら覗き込む。
「あるじ?」
愛おしい相棒の姿に、リンネはふっと苦笑をもらし、その小さな体をぎゅっと抱き上げた。
「ううん、大丈夫……じゃないかも」
するとマロは胸を張って元気よく言った。
「だいじょうぶ!」
その根拠のない一言に、リンネは思わず吹き出した。
「……そうだね。きっと、大丈夫だよね」
秋風は、新しい出会いを乗せるように、静かにラウノの街を吹き抜けていった。




