閑話⑤:首まくら騒動
朝の光が穏やかに差し込む、リンネ小物店。
カウンターの奥で、リンネは楽しげに手を動かしていた。そこへ、常連の街の老人がひょいと顔を出す。
「おや、リンネちゃん。おはよう」
「おはようございます! おじいさん、この前お渡しした『めぐり腹巻き』、体の調子はどうですか?」
「それがもう最高でな! 冷え性が嘘のようになくなったよ。それで今日はな……実は、肩から首にかけてもすっかり冷えるようになってしまってね。何か作れないかい?」
リンネは目をぱちくりと瞬かせ、すぐに楽しげに微笑んだ。
「肩と首ですか? なるほど……」
その場で迷うことなく、サクサクとスケッチブックにペンを走らせる。
「肩だけを温めるより、首の付け根まですっぽり包み込んだ方が、魔力も血行も巡りやすいかも……こうですね!」
ルークが朝の巡回ついでにと店に入ってきたのは、ちょうどその時だった。作業台を覗き込み、感心したように目を細める。
「……もう新しい設計図ができているんですか?」
「はい! 首から肩にかけてを優しく温める、『めぐり首まくら』を作ろうかなって思って!」
足元では、マロがぴょんぴょんと飛び跳ねていた。
「あるじ、がんばれ!」
「ふふっ、ありがとうマロ。いいものを作るからね!」
ルークは、リンネの迷いのない手際を見つめながら、穏やかに微笑んだ。
数日後。
試作品は見事に完成した。
リンネは出来上がったばかりのふかふかの布製品を手に取り、ルークに見せる。
「ほら、こうして寝る時でも、本を読む時でも、肩と首がすーっと楽になると思います。どうですか?」
ルークは差し出された試作品を受け取り、その絶妙なフィット感と、魔力のこもらない自然な温かさに深く息を呑んだ。
「……また、誰かが喜びそうですね」
リンネは小首を傾げ、まったくピンときていない様子でパチパチと目をパチクリさせる。
「えっ? 大げさですよ」
この、相変わらずの無自覚な温度差である。
場面は一転、王都。
魔導研究院の執務室。セレストが届いた荷物をざくざくと雑に開封していた。
「またラウノですか?」と部下が呆れたように尋ねる。
「ええ。ふふ、待ちわびたわ」
中身を取り出したセレストは、怪しく目を光らせた。
「……新作。来たわ」
一瞬にして噂が広がり、研究院の老齢研究者たちが我も我もと詰めかけてきた。
「今回は首か! 貸せ!」
「順番を守れ、この老骨が!」
「おい、俺に使わせろ!」
ガヤガヤと殺到する老人たちを、セレストは冷徹な一喝で制した。
「並びなさい。商品です。実験材料ではありません」
その一言に、研究者としての誇りと、リンネの作品を大切に扱う強い意志がしっかりと込められていた。
それから一時間後。
研究院の閲覧室には、紙をめくる音すら聞こえない。
響くのは、規則正しい寝息だけだった。
「……静かすぎる」と、若い研究員が青ざめながらそっと扉を開ける。
そこには、心地よさのあまり爆睡している上司たちの姿があった。
やがて、ガバッと長老の一人が飛び起きた。
「なんだこれは……!」
「肩が軽い……!」
「頭が回る、論文が書けるぞ!!」
全員「追加注文だ!!」と血眼で叫び出した。
「順番です。一人ずつ注文書を書きなさい」
セレストは冷ややかな目を向けながらも、きっぱりと言い放つ。
「納期は職人次第です。待つことも依頼人の務めですよ。……彼女は研究員ではありません。ラウノで穏やかに暮らす、一人の職人です。」
一方その頃、精霊協会。
調査から戻ったハンスの執務室。若手神官が書類を抱えながら話している。
「主任、魔導研究院では例の『めぐり首まくら』という魔道具が大変な人気だそうですね」
「眠るだけで疲労が取れるとか」
「……誇張でしょうか」
ハンスは淡々と答えた。
「噂だけで判断することはできません」
そう言って、机の上の荷物を開く。
中には、リンネからそっと手渡された試作品と、一枚の便箋が入っていた。
『ハンスさんへ
お仕事でお疲れだと思うので、お試しで使ってみてください。
よかったら感想を聞かせてください。
リンネ』
若手神官たちが一斉に目を丸くする。
「……っ! 本物ですか!?」
「主任、一晩だけ……!」
「私にも触らせてください!」
あっという間に群がる神官たちを、ハンスは冷徹な視線でピシャリと制した。
「……騒がしいですね。仕事に戻りなさい。これは私が検証するのです」
その夜遅く。
山積みの書類と格闘し、ハンスは激しい疲労に襲われていた。
試しにと、『めぐり首まくら』を肩にかけてみる。
目を閉じる
「……」
数刻後。
「…………」
(……十分な結果が得られました)
心の中では高く評価していたが、結論を急ぐつもりはない。
表情は微動だにしない。
翌朝。
若手神官が恐る恐る尋ねた。
「主任、いかがでしたか?」
ハンスは小さな手帳を開き、淡々と読み上げる。
「入眠までの時間は著しく短縮」
「夜間の覚醒なし」
「起床時の肩部の重さも認められず」
「総評――極めて有用」
若手神官は圧倒されて呟いた。
「そこまで記録するんですか……」
若手神官がふとハンスの顔を見て、さらに尋ねる。
「主任。つまり……」
ハンスは手帳を閉じた。
(……再現性の確認も必要ですが、現時点でも実用性は十分ですね)
ほんの数秒、考える。そして、
「購入を推奨します」
その一言だけで十分だった。
翌日には、精霊協会名義の注文書がラウノへ向けて発送された。
その備考欄には、実に簡潔な一文だけが記されている。
『共同購入を希望します』
ハンスはその書類に目を通すと、黙って承認印を押した。
再び、ラウノのリンネ小物店。
リンネは温かいお茶を飲みながら、のんびりと呟いた。
「ルークさん。次は、冬用の靴下でも作ろうかな」
ルークは聞いた瞬間、脳裏によぎった未来図をそっと想像した。
(冬用の靴下……)
(また、王都が静かに味方を増やしますね)
「……楽しみですね」
ルークが穏やかに微笑むと、リンネは目を丸くした。
「え? 何がですか?」
「いえ、何でもありません」
夕暮れの工房では、今日も小さな職人が、誰かの笑顔を思い浮かべながら、新しい「めぐりシリーズ」の設計図を嬉しそうに書き始めていた。
気づけば、朝晩の風は少しだけ冷たくなっていた。
実りの季節は、もうすぐそこまで来ている。




