第38話 王都の怪物と不穏な兆候
王都中央。
魔導研究院・中央棟。
白亜の石材で築かれたその巨大な政府建造物は、今日も外界の喧騒を拒絶するように静まり返っていた。
高い天井。
鏡のように磨き抜かれた漆黒の石床。
肌を刺すような冷たい空気。
ここには無駄な装飾や華美な調度品など存在しない。
代わりに、壁面から柱の細部に至るまで、建物全体に刻み込まれた膨大な魔導式が淡く、青白い光を放っている。
コツ、コツ、と靴の音を響かせ、セレストは長い廊下を歩く。
紺を基調とした隙のない装い。
そして、国家への貢献を示す金糸の精緻な刺繍。
彼女の姿を認めた瞬間、すれ違う研究員たちが一斉に顔を強張らせ、左右へと道を開ける。
「セレスト様、お疲れ様です」
「あ、お、お帰りなさいませ……っ」
怯えと羨望の混じった視線に対し、彼女は表情一つ変えず、軽く頷くだけだった。
誰もが羨む穏やかな美貌。
鈴の音のように柔らかな声音。
だが――その美しき仮面の奥底にある、血も涙もない冷徹さを知る者は多い。
王都魔導研究院。
有象無象の天才と怪物が蠢くその頂点へ、女性でありながら、若くして上り詰めた真の怪物。
それが、ルークの姉でもあるセレストという存在だった。
最深部、機密会議室。
巨大な黒曜石の円卓を囲むように、既に研究院の最高幹部たちが居並んでいた。
歴史に名を残す老術師。特権階級の貴族研究者。国家顧問の重鎮。
誰もがこの国の政策を左右する中枢級の人間ばかり。
その張り詰めた沈黙の中で、中央に座る一人の老人が重々しく口を開いた。
「……セレスト殿。ラウノについての最終報告を」
「承知いたしました」
セレストは手元の暗号化された資料を机へ滑らせる。
その口調は私情も感情も一切交えず事実だけを紡ぐ。
「黒化精霊鉱による地下鉱脈の汚染。これについては、対象地域の完全な鎮静化を確認しました」
「汚染の核はどうなった?」
「消滅しました」
その一言で、円卓の空気が変わった。
「……消滅、だと?」
「はい。封印でも破壊でもなく、極めて高純度の浄化エネルギーによる対消滅です」
「馬鹿な……! 黒化精霊鉱の負の莫大なエネルギーを、完全に相殺して対消滅させるなど、理論上不可能だろう!」
にわかにざわめき立つ幹部たち。
セレストは彼らの狼狽を冷ややかな瞳で見据えながら、淡々と続けた。
「詳細な経緯や精霊鉱の性質については資料の通りです。今回は地下の巨大鉱脈と直接接続されていたため、最悪の場合、辺境都市ラウノ全域を消滅させる規模の国家災害へ発展する危険性がありました」
「首謀者、アルヴェインの真の目的は何だったのだ」
「精霊界との強制接続、門の解放です」
セレストの凛とした声が、重苦しい空気が満ちる会議室に響いた。
「狂人めが。世界を崩壊させる気か」
円卓の奥に座る老研究員の一人が、吐き捨てるように顔をしかめる。
深く刻まれた眉間の皺が、彼の抱く嫌悪と恐怖を雄弁に物語っていた。
他の幹部たちも、一様に青ざめた顔で互いに顔を見合わせている。
「ただし――」
セレストの一言で、騒ぎかけた会議室がピたりと静まり返った。
彼女は机の上に置かれた魔導端末を操作し、新たなホログラムを空間に投影する。
「現時点でアルヴェインを首謀者と断定していますが、単独犯だったと結論付けるには不自然な点が残っています」
「どういう意味だ?」
口を開いたのは、白髭を蓄えた老術師だ。値踏みするような視線がセレストに注がれる。
「黒化精霊鉱の入手経路と規模です」
セレストは手元の薄い資料をめくり、冷徹なトーンで告げた。
「個人が秘匿しながら収集・運搬できる量を明らかに超えています。さらに、あの複雑な地下鉱脈への汚染工作も含めると、いくら天才とはいえ一人で実行したとは考えにくい」
幹部たちの表情が一段と険しくなる。
椅子のきしむ音が、静寂の中でやけに大きく響いた。
「協力者がいたと?」
「その可能性は極めて高いと考えています」
セレストは淡々と、淡色の瞳に冷徹な光を宿して続けた。
「事件直前、魔導都市ラウノ周辺にある、複数の鉱脈と転移門を同時に襲撃されています」
「襲撃者の身元は?」
「確認できていません。防衛結界の記録にも残っていない」
「追跡は」
「失敗しています。まるで最初から霧のように、気配ごと消え去ったとのことです」
短い、そして重い沈黙が一同を支配する。
「また、一部住民からは夜間に複数の男が物陰で話し合っていたとの証言も得ています。ただし、いずれも状況証拠に留まり、現段階で特定の組織的関与を断定するには至っていません」
「……つまり」
老術師が、喉の奥から絞り出すように低く唸った。
「アルヴェインは倒した。だが、背後にいたかもしれない何者かは捕まっていない、と。我々はまだ、爆弾の導火線を踏んでいるようなものか」
「その通りです」
セレストは静かに、だが毅然と頷いた。
「研究院としては、本件を最高警戒レベルの『継続監視案件』として扱うことを提案します」
「異議なし」
「妥当だな。すぐに手配を」
老術師たちが重々しく頷き、張り詰めた空気のまま議題は次へ移ろうとしていた。
セレストの脳裏に、かつて何度も読み返したアルヴェインの調査資料の記述が、鮮明に蘇った。
天才。狂人。傲慢。
そして――極度の独善主義者。
(アルヴェインは確かに狂人だった)
セレストは、胸元に手を当てて思考を巡らせる。
(けれど、あの男は自分以外の人間を信じる類の人間ではない。他者を「等しく価値なき羽虫」と見下していたはず)
他者を駒として利用することはあっても、対等な協力者を作る人間ではなかった。
誰かと理想を共有することも。誰かに計画の中核を明かすことも。
彼の歪んだプライドからすれば、絶対にあり得ない。
(それでも――あの男が誰かと手を組んでいたのだとしたら――)
セレストの美しい瞳が、僅かに細められる。
嫌な予感がした。
(その相手は、彼と同等かそれ以上に歪んだ「同じ狂人」か)
あるいは。
(あの傲慢なアルヴェインですら、気付かぬうちに「利用される側」に回るほどの、底知れない何かでしょう)
彼女は、その考えを口にはしなかった。
証拠はない。
だが、胸の奥の違和感だけは、どうしても消えなかった。
今はまだ、ただの推測に過ぎない。
しかし、後になって振り返れば。
薄暗い会議室の片隅で、彼女が抱いたこの小さな違和感こそが――後に王国全体を、そして世界の均衡すらも揺るがすことになる未曾有の大事件へと繋がる、最初の兆候だったのかもしれない。
――だが、懸念すべき「不確定要素」は、何も事件の黒幕だけではない。
むしろ、今この瞬間も王都の喉元に突きつけられている、最大級の特異点。
沈黙を保ったまま、セレストは手元の魔導端末へ指先を滑らせた。
ホログラムの光が切り替わり、そこへ一人の女性の姿が立体的に浮かび上がる。
ラウノの街並みを背景に、どこかおっとりと、しかし確かな存在感を放って佇む彼女。
そのホログラムが表示された瞬間、円卓を囲む老人たちの視線が一斉に険しさを増した。
ある者は不快げに目を細め、ある者はごくりと息を呑む。
アルヴェインの残した爪痕と同じか、あるいはそれ以上に彼らが恐れ、警戒し、同時に喉から手が出るほど欲している存在。
「……例の、不可解な付与術師のことか」
「はい」
空気が、再び限界まで張り詰める。
ラウノの街で静かに店を営んでいるはずのその女性、リンネの名は既に王都上層部の一部でも急速に共有され、警戒され始めていた。
幹部たちの手元にある彼女の経歴は、あまりにも異質だ。
「辺境出身」
「爵位なき平民」
「測定不能レベルの高位付与適性」
「高位精霊との完全な共鳴」
「前例のない黒化精霊鉱の浄化成功」
一人の国家顧問が、絞り出すように低く呟いた。
「……存在自体が、既存の魔導理論に対する異常だな」
「ええ、その通りです」
セレストは否定しなかった。
むしろ、彼らの認識などまだ生ぬるいとさえ思っている。
「高位精霊が術者の魔力に惹かれ、一時的に顕現することはあります。ですが、あの個体のように自発的に、かつ長期にわたって人間に定着している時点で、魔導史に前例がありません」
「さらに、戦闘のたびに自己成長しているとの報告もある」
「言語を介さない、完全な意思疎通能力の保持」
「何より……特定の対象に対する、異常なまでの執着」
会議室が、今度こそ完全に静まり返った。
精霊とは、本来人間にそこまで深く干渉しない。自然の具現であり、超越種。
ましてや、人間に犬のように懐くなど、世界の理として有り得ないのだ。
(……まあ、ルークが公式に送ってきた報告書には『青白く光る小型犬の霊体』として大真面目に記載されているけれど、中身は完全にただの甘えん坊な犬っころなんですが)
セレストは完璧な無表情の裏側で、密かに激しい頭痛を覚えていた。
実は、中央騎士団の副団長であり、ルークの師でもあるガルディア経由で回ってきた「現地定期報告書」を精査した際、本気で頭を抱えたのだ。
何せ、卓越した魔力と「眼」を持つルークの報告書には、普通の人間には見えないはずの精霊の、あまりに締まりのない生態が公式文書として生々しく並んでいた。
『対象、付与術師リンネに対し、頻繁かつ過剰な身体接触を敢行する』
『護衛の騎士へ、明確な対抗意識を燃やす傾向あり』
『隙あらば膝の上を占領する行動を確認』
(何の報告書よ、これ……。恥ずかしくて承認のサインが書けないわ……)
「セレスト殿」
「はい」
内なる葛藤を完璧に押し殺し、セレストは声の主へ視線を向けた。
「その、彼女に憑いている精霊の危険性についてはどう判断する」
セレストは少しだけ、思考の海に沈んだ。
危険。その言葉は、魔導の観点から見れば完全に正しい。
高位精霊を完全に使役しているのだ、もし本人がその気になれば、たった一人で軍隊を、ひいては国家を壊滅させられる戦力になり得る。
だが、彼女の脳裏に真っ先に浮かぶのは――。
からかわれてパニックになるリンネの足元で、嬉しそうに尻尾を振っていた、あの最高に締まりのない青白い小型犬の姿だった。
「……現時点での危険性は、極めて低いと判断します」
「理由は?」
「その精霊の行動理念が、世界への破壊衝動ではなく、対象への保護行動に完全に特化しているためです」
「つまり、リンネという付与術師が健在である限りは暴走しない、と?」
「はい。むしろ――」
セレストは資料を一枚めくり、幹部たちを見据えた。
「本当に懸念すべき問題は、今後の世界が、彼女を放っておかなくなることです」
沈黙。
円卓の誰もが、その言葉の重さを理解していた。
未曾有の精霊鉱汚染の解決。高位精霊の所持。黒化精霊鉱の完全浄化。
これだけのカードを揃えた存在を、他国や国内の過激派、あるいは軍部が無視できるはずがないのだ。
「……では、現在の彼女の護衛体制はどうなっている」
幹部の一人が、話を本題へと戻すように尋ねた。
「既に、私の権限で最適と思われる人員を配置済みです。中央騎士団第三部隊の精鋭――ルーク・ヴァンディールを含めた数名に、現地の警護を任せています」
「ヴァンディール」。
その大陸中に名を知られた大貴族の名が、あるいはセレストの実の弟の名が出た瞬間、数人の貴族研究者たちの表情がピクリと動いた。
「あの、ヴァンディール家の……三男か。実力、血筋共に申し分ないな。彼が張り付いているのであれば、並の暗殺者や賊では触れることすらできまい。……だが」
老術師の一人が、不審そうに眉をひそめてセレストを見つめた。
「腑に落ちん。それほどの戦力を割いているのなら、なぜそのリンネという娘を今すぐ王都へ連行し、研究院の厳重な保護監視下に置かない?」
「国家級の重要個体だろう。辺境の魔道具店などに放置しておく理由がないはずだ」
その冷酷とも言える合理的な問いに対し、セレストはため息すら見せず、淡々と新たな資料を円卓へ展開した。
「不可能なのです。強制連行を行おうとした瞬間、彼女を完全に損失する危険性が極めて高いためです」
「損失? 中央騎士団の網から、平民の小娘一人が逃げ切れるとでも?」
「はい。彼女自身の意思、あるいは――彼女に憑く高位精霊の防衛本能が働いた場合、世界の果てまで逃げ隠れるでしょうね。手元にある、彼女の行動心理の分析報告をご覧ください」
幹部たちが一斉に手元の書類へ目を落とす。
そこには、セレストが現地からの報告を元に作成した、あまりにも前例のない「重要危険人物」のプロファイルが記載されていた。
【権力・名誉に対する執着度】:皆無。
【推奨する対応策】:過度な干渉を避け、ただのしがない店主としての生活を擬似的に維持させること。
【特記事項】:本人の根本的な行動理念は「全力を尽くした現状維持」および「平穏な生活の死守」。国家からの召喚、あるいは強制的な身辺調査を察知した瞬間、強い拒絶反応または、逃亡行動へ移行する可能性が極めて高い。
「な……何だ、この報告書は」
老術師が絶句した。
「国家の庇護を嫌がるだと? 稀代の付与術師としての名声を求めず、高位精霊の力を背景に成り上がろうとする野心すら無いというのか?」
「はい。本人の口頭での供述、およびこれまでの行動歴を精査した結果、彼女が望んでいるのは、辺境の田舎町で隠居生活を送ること。ただ一点です」
「……馬鹿な。それほどの力を持ちながら、ただ静かに暮らしたいだと?」
会議室に、何とも言えない奇妙な困惑が広がっていく。
これまで研究院が扱ってきた規格外の能力者といえば、どいつもこいつも自らの才能に溺れた野心家か、世界を呪う狂人ばかりだった。
国家を揺るがす大事件を解決しておきながら、「目立ちたくないから放っておいてくれ」と本気で逃げ腰になっている人間など、歴史上のどこを探しても存在しない。
あまりのスケールの小ささと、秘めたる力の巨大さのギャップに、円卓の怪物たちが完全に調子を狂わされている。
「皮肉なものだな。中心人物が世界の中心に行きたいがっていないとは」
「国家を滅ぼせる剣を持った雛鳥、か。……扱いが難しすぎるな」
「うむ。ヘタに刺激して敵対されるよりは、自分は安全な日常の中にいると錯覚しているうちに、外側からそっと包み込むように監視を続けるのが上策か……」
セレストの狙い通り、老術師たちはリンネを「無理に引っ張り出せない、極めて繊細で厄介なガラス細工」として認識し始めた。
「……では、当面は現状維持とする。ルーク・ヴァンディールには、彼女の日常を壊さぬよう影から護衛を続けさせろ」
「承知いたしました」
セレストは内心で小さく、勝利の笑みを浮かべた。
(ええ、実力の面では完璧な配置よ。問題は……)
問題は、これまで剣を振るうことしか知らず、恋愛だの浮いた話だのとは世界がひっくり返っても縁がなかった、あのクソ真面目な弟が、現在進行形でその平民女性に、人生のすべてを賭ける勢いで感情移入し始めていることだ。
幼い頃から一緒に育ってきたからよく分かる。
ルークは昔から融通が利かないほど生真面目なくせに、自分のこととなると致命的に鈍い、本当に手のかかる可愛い弟なのだ。一度「自分が守る」と決めた相手ができると、平気で自分の命を天秤に載せて無茶をする悪癖がある。
そして今、あの弟は確実に、リンネのことを特別視している。
タチが悪いのは、本人がそれを護衛としての騎士の義務だと勘違いしている無自覚な点だ。
周囲の人間は全員ニヤニヤしながら気づいているのに、気づいているのは当事者の二人だけという、最高にじれったい状況に陥っている。
「セレスト殿? 何か問題でも?」
「……いえ、何も」
セレストは一瞬で現実に思考を戻した。
「現状、ラウノの監視および防衛体制を最優先で継続します。――それから」
「……例の協会側は、どう動いている」
幹部の一人が、声を低くして尋ねる。
「あちらも、ラウノに現れたという高位精霊の噂を聞きつけているようです。近いうちに『聖遺物』、あるいは『奇跡』の調査と称して、公式に動き出す兆候があります」
一気に、会議室の空気が重くなった。
精霊協会。
精霊に関する研究に特化する研究機関かつ、国教として国に深く食い込み、時に王権すら脅かす巨大組織。
セレストは窓の外、王都の空を見つめながら、確信を込めて告げた。
「彼らの『正論』は時に刃よりも厄介です。……おそらく、近いうちに何らかの接触があるでしょう」
遠くない未来に訪れる不穏な予感を残し、張り詰めた会議は幕を閉じた。
長時間の会議が終了し、セレストはようやく自らの執務室へと戻ってきた。
バタン、と重い扉を閉めると同時に、硬く張られていた背筋の緊張を解く。
デスクの椅子へ、どさりと腰を下ろし、彼女は綺麗な長い指で眉間を揉みながら、深くため息を吐いた。
「……はぁ、疲れる。本当に、政治の相手は昔から嫌いだわ」
本来の彼女は、純粋な魔導の探求者だ。
だが、自分の大切な場所や身内を守るためには、この退屈で汚い政治の舞台で勝ち続けなければならない。それだけ。
ふと、デスクの上に置かれた一枚の魔導記録写真へ視線を落とす。
それは、中央騎士団の定期連絡用封筒に同封されていた、ある日のラウノの日常の切り抜きだった。
「……相変わらず、写真越しでも分かるほど緊迫感がないわね」
セレストは呆れたように吐息を漏らす。
デスクに広げたルークの報告書。その添付資料である魔導写真の中、リンネの膝の上には、まるで現像ミスのように不自然にブレた、青白く丸い光の輪郭が浮かんでいた。
精霊ゆえ、一般的な魔導カメラのレンズではその真姿を捉えきれず、ぼんやりとした光の塊にしか写らないのだ。
だが、その光の塊が、どう見てもリンネの膝の上を我が物顔で占領し、とろけたように丸くなっていること。そしてその横で、あからさまに不機嫌そうなオーラを放ちながら、その「ただの光の塊」を凄まじい眼力で睨みつけている実の弟の姿。
報告書に添えられた、師匠であるガルディア副団長からの手書きの付箋には、
『ヴァンディール卿は精霊の暴走を未然に防ぐため、文字通り一瞬の隙もなく対象を注視している。実にもどかしいほどに、な』
と、公式の体裁を装いつつも、明らかにルークの不器用な好意を察して面白がっている、意地の悪い追記が残されていた。
「ガルディアも、楽しんでるんじゃないわよ……」
切り取られているのはどう見ても、ただの嫉妬混じりの日常の一コマ。
姉だけでなく、上司の副団長にまで生温かい目で見守られている当の本人は、未だに自分の恋心に気づいていないのだから頭が痛い。
セレストは写真の中の弟の顔を見つめ、静かに目を細めた。
「……本当に、変わったわね。ルーク」
昔のルークの笑顔は、どこか空虚だった。
優しかったけれど、同時にいつ死んでも構わないと思っているような、酷く危うい、薄氷の上を歩くような目をしていた。
自分を後回しにすることに慣れすぎていたのだ。
物理的に強くなっても、心はどこか壊れかけていた弟。
でも、今の写真の中の彼は違う。
しっかりと地に足をつけ、「この戦いが終わったら、ちゃんとあの場所へ帰ろう」としている。
彼の中に、人生で初めて、死んでも手放したくない帰りたい場所ができ始めているのだ。
姉として、それが少しだけ、いや、猛烈に嬉しかった。
……けれど同時に、強烈な不安の種でもある。
「間違いなく、過去最高に厄介なことに巻き込まれるわね。これは」
セレストは本日何度目か分からない、けれど一番深い、盛大なため息を吐き出した。
「……神様というものは、本当に趣味が悪い。世界を変える力ほど、決まって静かに暮らしたい人間を選ぶ。」
そう言いながらも、セレストの唇の端は、どこか楽しげに、好戦的な笑みを刻んでいた。
愛しい弟と、その弟がようやく見つけた帰る場所。
それを脅かす者が現れるなら――この国の怪物たる姉が、徹底的にその牙を剥いてやるまでだ。




