閑話③:オルガ食堂の噂会議
リンネの小さなお店は開店したばかりで、予約のない日は驚くほど暇になる。
そんな日は決まって、
「リンネちゃん、ちょっと手伝って!」と、すぐ近くのオルガ食堂から声がかかる。
というわけで、今日のリンネは臨時の看板娘だった。
そして、昼時のオルガ食堂は、誇張抜きで戦場そのものだった。
「三番テーブル、日替わり追加ァ!」
「はいはい、今行く!」
「おい、スープが底突いたぞ!」
「今、回すわよ、火傷すんじゃないわよ!」
「うわあああパン焦げる焦げるーー!!」
怒号と鉄板の焼ける音、香ばしい匂いが店中を満たしていた。ラウノ一番の賑わいを誇る食堂は今日も騒がしい。
そんな混沌の中、リンネは料理の乗った配膳盆を抱え、人混みを滑るようにすり抜けていく。
「お待たせしました、日替わりの一角獣肉のステーキです!」
「お、リンネちゃんありがと! 相変わらずいい手際だねぇ」
「今日も目が回るような忙しさだね。大丈夫かい?」
「ほんとですよー、もう腕がもげそうです……」
冗談めかして笑いながら、ふと、リンネは自分自身に驚いていた。
前世なら、こんな賑やかな場所は苦手だった。笑顔は作れても、心までは開けなかった。
でも、この世界にきて、街の人々とかかわるようになってからは違う。
「リンネちゃん! こっちお水頂戴!」
「はーい、ただいま行きます!」
呼ばれれば自然に声が出るし、誰かが笑えばつられて頬も緩む。そんな温かい日常が、確実に彼女の当たり前になっていた。
「……なぁ、聞いたか?」
カウンター席の隅で、常連の冒険者たちが声を潜めた。
「最近、この街に駐屯する騎士団の数がまた増えてるらしいぞ」
「例の黒い鉱石の件だろ。中央の偉いサンたちがピリピリしてるって噂だ」
一瞬にして男たちの間に緊張が走る。
給仕をしながら、リンネの耳がぴくりと動いた。ここ最近のラウノは、どこに行ってもこの話題でもちきりだ。
そして――。
「そういや、その件に絡んで中央のエリート護衛付きの付与術師がこの街にいるって話、マジか?」
「付与術師って誰だ?」
「そりゃあお前……」
ゴクリと唾を呑み込んだ男たちの視線が、一斉に水を注いでいたリンネの元へと集まる。
「…………」
リンネは極めて真顔で、トンと水差しを置いた。
「やめてください、その『お前だろ』って言いたげな目は」
「だってなぁ、リンネちゃん!」
「そうそう! 最近さ、あのめちゃくちゃ強そうな中央の騎士様とすっごく仲良いじゃん!」
「違いますううううう!!」
全力の叫びに、食堂内がどっと爆笑に包まれた。
「あははは! リンネちゃん顔真っ赤だぞー!」
「赤くないです! 湯気のせいです!」
「いやいや、中央騎士団所属のエリートだぞ? 玉の輿じゃん!」
「しかもあの騎士様、めちゃくちゃ顔がいいよな」
「だから、そういうんじゃないですってば、やめてください……!!」
恥ずかしがるリンネに、カウンターの奥からオルガがニヤニヤと追撃してきた。
「リンネちゃん、最近ずいぶん自然に騎士様の名前を呼ぶようになったよねぇ?」
「っ!?」
「前は『騎士様』って頑なに距離置いてたのに。最近じゃ普通に『ルークさん』だもんねぇ?」
「うっ……それは業務上の都合というか……」
「……で? 今日も迎えに来たの?」
背後から飛んできたオルガの追撃に、リンネは盛大に息を詰まらせた。
そこに、タイミングよく、店内に新しい客が入ってくる。
カランコロン、と扉が開き――。
「こんにちは、皆さん」
穏やかで低い心地よい声。薄墨色の騎士服に、整った銀灰色の髪。まごうことなき中央騎士団のエリート、ルークその人だった。
途端、店内にいた全員の視線が、一斉にリンネへと突き刺さる。
「だーかーら! やめてくださいってば!?」
ルークは突然の静寂とリンネの叫び声に、少し困惑したように首を傾げた。
「……何か、俺がおかしなことでもしましたか?」
「いえー? 別に?」
「なーんにも?」
常連の男たちは全員でニヤニヤしている。ルークは不思議そうにまっすぐリンネの方へと歩み寄ってきた。
「リンネさん? どうかしたのですか?」
「……なんっでもないです!!」
その足元では、誰にも見えないわんこ精霊が、ピョンピョンと嬉しそうに跳ね回っている。ルークはすっかり慣れた様子で、自然にその足元へと視線を落とした。
「おや、今日は一段と機嫌がいいですね」
「「「…………」」」
その光景を見た瞬間、食堂が再びシーンと静まり返った。
「なぁ……あの騎士様、今、誰に話しかけたんだ……?」
リンネは遠い目をした。
普通の人間には精霊は見えない。周囲から見れば、「誰もいない空間に向かって、超絶美形の騎士が優しく話しかけている」という、ただの怪奇現象である。
「中央の任務って……相当きついんだな……」
店内の誰も、それ以上は触れなかった。
「いや違うんです、そうじゃないんです……!」
ルークも周囲の哀れむような視線にようやく気づき、「あ……いや、これは……」と言葉を濁した。
「『あ』、じゃないです! 何やってるんですか!」
「すまない、つい……」
ルークは口元を片手で隠し、小さく肩を揺らして笑っている。絶対に面白がっている。
そこに、オルガがニヤニヤと声をかけた。
「ルーク様。リンネちゃん、最近ちゃんとご飯食べてる?」
「そうですね……以前よりは食べるようになってくれましたが」
「ちょっとルークさん!?」
「俺からも、魔道具の徹夜作業は体に毒だから減らすようにと言っているのですがね」
「なんでそれを今言うんですか!?」
「事実ですので」
「裏切りものー!!」
「裏切るも何も、俺は最初から貴方の健康管理における味方ですが?」
「うわぁぁぁもうやだ……」
息の合った二人の掛け合いに、食堂は本日一番の大爆笑に包まれた。
「息ぴったりじゃねぇか」というヤジまで飛び、リンネはもう木目に同化して消えたかった。
その横で、わんこ精霊がこれでもかと楽しそうに飛び跳ねている。
「……絶対、あなたも私のこと笑ってるでしょ」
リンネがボソッと呟くと、すかさずルークが反応した。
「え?」
「あ、何でもないです!!」
危うく自分も「何もない空間に話しかけるヤバい人」の仲間入りをするところだった。
けれど。
ドタバタと騒がしい空気の真ん中で、リンネは自分の胸の奥が、ちっとも嫌がっていないことに気づいていた。
前世の彼女なら、こんな風に騒がれたらすぐに逃げ出していただろうに。
お腹を抱えて笑っている常連たち。
呆れ顔をしながらも温かく見守ってくれるオルガ。
どこまでも優しい瞳で見つめてくれているルーク。
そして、足元にいる大切な精霊。
胸の奥が、熱いお湯を注がれたみたいに温かくなっていく。
――ああ、そうか。
この街に、自分が自分らしく笑っていられる、本当の居場所がちゃんとできている。
リンネは小さく、今度は照れ隠しなしで、ふわりと微笑んだ。
その笑顔を見たルークの口元にも、ごく小さな笑みが浮かんでいた。
その穏やかな昼下がりは、オルガ食堂らしい笑い声に包まれながら、いつまでも続いていくのだった。




