第33話 深淵の研究者
アルヴェインの言葉が地下空洞に不気味な余韻を残した。
誰も動けない。
重苦しい沈黙だけが、その場を支配していた。
狂気に歪んだ笑みを浮かべるアルヴェインだけが、リンネを真っ直ぐ見つめていた。
空洞を満たす濃密な負の魔力が、全身へまとわりつく。
頭が割れそうな痛みと吐き気に襲われ、思わず身体が揺らいだ。
「っ……!」
その瞬間、わんこ精霊がそっと足元に身体を寄せる。
青白い光がリンネを優しく包み込み、苦しさがすっと和らいだ。
その様子を見たアルヴェインが、愉快そうに目を細める。
「なるほど……やはり、あの暴走を抑え込んだ異物は、お前だったか」
「……あなた、一体何者なの」
男は芝居がかったように一礼する。
「魔導研究院・旧第七研究室主任。アルヴェインだ」
セレストの表情が険しく変わる。
「……二十年前、禁忌の研究で追放された狂人」
「禁忌とは失礼だな」
アルヴェインは肩をすくめて笑った。
「精霊とは神に近い存在。人は恐れ、檻へ閉じ込めた。私は、その檻を壊そうとしただけだ」
「そのために街を犠牲にするつもり!?」
「街程度、進化の代償としては安いものだ」
――シャキィン!
ルークの剣が静かに抜かれる。
その瞳から温度が消えていた。
「……それ以上、その口を開くな」
アルヴェインは笑みを崩さない。
そして、不敵な笑みを深めて告げた。
「それでは――証明を始めよう。」
パチン――。
アルヴェインが指を鳴らした瞬間、周囲の黒化精霊鉱が一斉に赤黒い光を放った。
「来るわよ! 構えなさい!」
セレストの警告と同時に、ズブズブと地面の岩盤が溶け、無数の黒い腕が這い出してきた。
「迎撃!」
騎士たちが動き、炎が走り、剣閃が闇を裂く。
だが、斬っても焼いても、黒い腕はドロドロとした魔力を撒き散らして瞬時に再生していく。
「埒が明かないわね……!」
セレストが前へ飛び出し、指先で空中に流麗な軌跡を描いた。
『――理を紡ぎ、秩序を敷け。燃え盛る黄金の劫火よ、我が命に従い、万象の穢れを焼き尽くせ!』
高速の詠唱とともに、天井に巨大な黄金の魔法陣が展開される。
滝のような黄金の炎が降り注ぎ、周囲の腕を一瞬で灰へと変えた。
だが、次の瞬間。
灰となったはずの地面から、再び黒い腕が猛烈な速度で再生してニョキニョキと生い茂る。
「だ、駄目です! 魔力の供給源が精霊鉱脈そのものになっています!」
「ハハハ! 素晴らしいだろう?」
狂った笑い声を遮るように、わんこ精霊がゆっくりとリンネの前へ歩み出た。
その身体から放たれる青白い光が、眩い輝きを増していく。
精霊はアルヴェインを真っ直ぐに見据え、その毅然とした瞳に射抜かれ、男の笑みが初めてピキリと揺らいだ。
「……その光。まさか――」
男の声から余裕が消える。
その視線の先で、わんこ精霊の身体は神話に語られる白狼のような神々しい姿へと膨れ上がっていった。
青白く輝く美しい毛並みが風もないのに揺らめき、鋭くも深い瞳が空洞を青白く照らし出す。
同時に、リンネの脳裏に澄んだ声が響いた。
『――みつけた』
「……え?」
精霊の視線はアルヴェインに向けられていた。
それは出会ってから一度も見せたことのない、深い、深い怒りの感情だった。
『――こわした。おまえ、すべてを。むかしも、いまも』
瞬間、アルヴェインの顔色が土気色に変わる。
「っ……! まだ……まだ残っていたというのか……ッ!」
狼狽する男を見て、セレストが鋭く目を細める。
「アルヴェイン、何を知っているの。その精霊は一体――」
誰もが息を呑み、静まり返る巨大な空洞の中。
白狼となった精霊は、ゆっくりと首を巡らせてリンネを見つめた。
その、優しく、どこか切なげで、絶対的な信頼を湛えた瞳。
あたたかな光だけが、その場の静寂を満たしていた。
その横顔に見覚えを覚えた瞬間、リンネの頭の中で、前世の記憶が鮮烈にフラッシュバックした。
(あ……ああ、そっか……)
前世で、死ぬその最後の瞬間まで寄り添ってくれた愛犬。
あの温もりだった。
その時――。
――ズズズズズズッ!!!
地下空洞全体が、これまでにない規模で激しく震動した。
バリバリと岩盤に亀裂が走り、天井から巨大な落石が降り注ぐ。
中央の巨大精霊鉱脈。
その核にどす黒い稲妻のような亀裂が走り、制御不能の黒い魔力が濁流のように噴き出した。
「まずい、最悪の展開よ! 地下核の暴走が始まったわ!」
セレストが声を荒らげる。
このエネルギーが爆発すれば、地上のラウノの街ごとすべてが跡形もなく吹き飛ぶ。
しかし、アルヴェインは破滅の光景を見つめながら狂気じみた歓喜の笑みを浮かべた。
「素晴らしい……! ついに、新世界への門が――」
その狂言をかき消すように、わんこ精霊が天を仰いで高く、美しく、雄叫びを上げた。
ワンオォォォォォンッッ!!!
爆発的な青白い光が、黒い術式を呑み込み、空洞を満たす。
世界は、白に染まった。
リンネの頭の中へ、確固たる決意を秘めた最後の言葉が響いた。
『――いっしょに』
白い光が、リンネを包み込む。
リンネは頷いた。
そして、二人は黒く脈打つ地下核へ向かって歩き出した。
―世界の終わりを告げる心臓のような鼓動だけが、静かな地下空洞に響いていた。




