第32話 地下深くへ
ガガガガガ――。
錆びついた昇降機が、悲鳴のような金属音を響かせながら地下へと沈んでいく。
頼りないワイヤーに吊るされた檻の中。天井のカンテラが揺れるたび、冷たい鉄肌に不規則な影が落ちた。
「っ……」
リンネは息を呑む。
むき出しの岩肌から、淡い蒼い光が滲み出ていていた。
「……綺麗」
「本来なら、ね」
セレストの声にハッと目を凝らす。美しい蒼を引き裂くように、どす黒い筋が血管のように走っていた。
グルルル……。
足元で、わんこ精霊が毛を逆立て、魔力の光を激しく明滅させている。
その小さな背中は、明確な警戒を示していた。
昇降機の中は鉛のような沈黙に包まれていた。
中央騎士団の面々は無言のまま、抜刀点検の金属音だけを響かせている。
すぐ隣に立つルークは愛剣の柄に手を置いたまま、微動だにせず暗黒の底を見つめていた。
ピピッ――。
静寂を破り、セレストの通信魔導具が青白く発光した。
直後、地鳴りのようなガルディア副団長の声が響く。
『――中央議会が動いた。ラウノの封鎖準備命令が正式に発令された』
ドクン、とリンネの心臓が跳ねる。
『当然、最終判断は現地での確認後だ。だが、もし地下核が完全に汚染されていた場合……ラウノの街は上層ごと速やかに切り離される。つまり、見捨てられるということだ』
誰も言葉を発せなかった。
リンネの脳裏を、笑顔の街並みがよぎる。
通信の最後、ガルディアはルークの名を呼んだ。
『お前……絶対に死ぬなよ。生きて、帰ってこい』
「っ……承知しました」
短く返されたルークの声には、ほんの少しだけ年相応の柔らかさが混じっていた。
通信が切れた直後、わんこ精霊がこれまで聞いたこともないような鋭い咆哮を上げる。
ガルルゥ、ワンッッ!!
――ガァァンッッ!!!
「っ!?」
凄まじい衝撃が昇降機を襲った。
足元をすくわれたリンネの身体が宙に浮く。だが、地面に叩きつけられる寸前、強い腕が腰を支えた。
「大丈夫ですか、リンネさん」
「はい……っ!」
昇降機の外、格子戸の向こうの闇から、無数の赤い光が浮かび上がってきた。
ドロリとした殺意を孕んだ、生き物の眼光。
「魔力汚染体……!」
異様に膨れ上がり、全身に黒い結晶を這わせた小型魔獣たちが、一斉に群がってくる。
ルークが、そして騎士たちが動いた。
「ハァッ!」
銀色の軌跡が闇を払う。
しかし斬っても焼いても、黒い霧を巻き上げて魔獣は瞬時に再生していく。
津波のように迫る敵の中、網の目を潜り抜けた一匹がリンネめがけて弾丸のように飛び込んできた。
逃げ場はない。リンネが恐怖に目を瞑った瞬間――。
キャンッ!
視界が爆発的な青白い閃光に包まれた。
割り込んだわんこ精霊の身体から純粋な魔力が弾け飛ぶ。
衝撃波に吹き飛ばされ、魔獣は坑道の壁へと叩きつけられて霧散した。
わんこ精霊の身体が、ぶわりと青白い光に包まれる。
光が収まった時、そこにいたのは、もはや小型犬ではなかった。
狼を思わせる堂々たる体躯。
その背中は、リンネを守る壁のように大きく見えた。
「高位化が加速しているわ。周囲の精霊魔力を片っ端から吸収しているのよ!」
セレストが驚愕の声を上げる。
大きくなったわんこ精霊がリンネの前に立ちふさがったその瞬間、リンネの脳内に澄んだ声が響いた。
『――ついた。あるじ、ここ』
直後、ズゥゥン……と重い衝撃と共に、昇降機が完全に停止した。
鉄格子の扉が開く。
そこは、坑道の最深部だった。
湿った岩壁には無数の精霊鉱が埋め込まれ、脈打つ蒼い光が不気味に周囲を照らし出している。
だが、わんこ精霊は低く首を横に振った。
『ちがう。もっと、した』
ルークが岩壁へ歩み寄り、ゆっくりと指先で岩肌をなぞる。
「……ここです」
視線の先には、自然の岩肌とは明らかに異質な人工術式が刻まれていた。
「……隠蔽用結界ね」
セレストが魔力を込めた掌を壁に当てた瞬間――。
ゴゴゴゴゴ……!!
岩壁が左右へと割れ、現れたのは底の知れない奈落へと続く巨大な縦穴だった。
立っているだけで吐き気がするほどの、ねっとりとした負の魔力が吹き上がってくる。
「ここが本命ね」
セレストが静かに呟く。
ルークは迷いなく愛剣を抜き、冷たい刃で這い寄る闇を照らし出した。
「全員、警戒。ここから先は一瞬の油断も許されません」
「ハッ!」
一行は、公式の地図にすらない、さらなる深淵の地下へと足を踏み入れた。
闇の階段を降りきった先。
そこは想像を絶する広さの、巨大な地下空洞だった。
その中心に鎮座していたのは――。
禍々しく黒に変色し、脈動を繰り返す、巨大な精霊鉱脈の核。
空洞の至る所に黒い魔法陣が張り巡らされ、そこから供給される負のエネルギーで、鉱脈は巨大な心臓のようにドクン、ドクンと嫌な音を立てていていた。
その、どす黒く光る核の真ん前。
漆黒の外套を身にまとった痩せこけた男が、背を向けた状態でぽつんと立っていた。
こちらの気配を察し、男がゆっくりと振り返る。
口元だけが笑っていた。
男の視線は騎士たちを素通りし、まっすぐリンネへ向けられる。
「……やはり来たか」
その声音には、驚きはなかった。最初から知っていた者の声だった。
「長かったぞ。――精霊と共鳴する付与術師」
ルークが鋭く剣を構える。
「貴様……!」
男は気に留める様子もなく、ふっと笑った。
「街が崩れれば、お前は必ず来る。そういう人間だからな。邪魔をするな。私は最初から彼女だけを待っていた」
リンネの肩がわずかに震える。
「……私を?」
「そうだ」
男は両腕をゆっくりと広げ、ねっとりとした瞳でリンネを見据える。
「精霊鉱脈の最深部へ黒化を浸透させるには、精霊との完全共鳴が必要だ。」
男はゆっくりと笑みを深める。
「その器は、黒化精霊鉱との共鳴反応でしか判別できない。」
一拍置き、男は静かに告げた。
「そして――お前だけが適合した」
その言葉に、背後でルークたちが息を呑む。
男の足元で、巨大化したわんこ精霊が殺意を帯びた低いうなり声を上げた。
男は、わんこ精霊の姿をひと目見て、ほんの一瞬だけ目を細める。
「……なるほど。もう目覚めていたか。守護精霊まで現れたとはな」
『……あるじに、さわるな』
わんこ精霊の低い声が、リンネの脳内に直接響く。
男はそれを聞いて、どこか面白そうに目を細めた。
「面白い。まだ幼いのに、自我を持つか。だが――」
男は不敵な笑みを深くする。
「安心しろ、小娘。殺しはしない」
ルークは剣を一歩前へと突き出し、鋭い眼光で男を睨み据えた。
「……なるほど。監視、誘拐未遂、黒衣の襲撃……すべて繋がった。最初から、お前たちの狙いは彼女だったんだな」
ルークの推理を耳に入れながらも、男は一切動じることなく、ただ嬉しそうに歪んだ笑みを浮かべる。
「お前は死なれては困る」
ワンテンポ置いたのち、男は静かに囁いた。
「お前が泣こうが叫ぼうが構わん。世界が完成するなら、それは必要な犠牲だ。――ようやく見つけたのだから。この世界を完成させるためにな」
沈黙。地下空洞の重い空気のなか、誰もが動けずにいた。
その静寂を切り裂くように、わんこ精霊の耳がぴくりと震えた。
自然を司る精霊だけが、その言葉に宿る淀みを感じ取っていた。
守護精霊は、小さく首を振る。
『……うそつき』
男の笑みが、ほんの一瞬だけ消えた。
初めて、その瞳に戸惑いが走る。
「……何?」
守護精霊は静かにリンネへ身を寄せる。
『あるじ』
『いたい』
『だから』
『うそ』
地下空洞の空気が凍りついた。




