第31話 まもるもの
「……うん。一緒に行こう」
リンネのその静かな決意に呼応するように、セレストが鋭く右手を振り下ろした。
「転移門広間へ急ぐ! 第一隊は私に続いて!」
その号令を皮切りに、ルークを先頭とした騎士たちが崩れかけたバリケードを飛び越え、封鎖されていた地下への保守坑道へと突入していく。
一歩足を踏み入れた瞬間、地上とは違う重く湿った空気が一行を包み込んだ。
照明の精霊灯はすべて割れ、黒く変色している。
足元には砕けた黒化精霊鉱の破片が散らばり、歩くたびにジャリリと不気味な音を立てた。
進むほどに、坑道の壁面に刻まれた古い魔導回路が赤黒く変質していく。
壁の精霊鉱そのものが毒に侵されたように黒く染まり、空間全体が異質なものへと書き換えられていく。
「……っ」
リンネは不意に胸を抑え、顔を歪めた。
剥き出しの神経を引っ掻かれるような、突き刺さる痛覚。
セレストが手元の魔導端末へ素早く視線を落とし、冷徹な声で告げる。
「侵食速度が想定値を超えている……」
「このままでは、坑道そのものの構造が持たないわ」
ルークが前方を警戒しつつ、振り返らずに告げた。
「地下核は転移門広間のさらに下層です。この保守坑道は転移門広間へ直結しているようです」
さらに奥の分岐点に差し掛かった時、ルークがふっと足を止めた。
「……待ってください」
その視線の先、崩れた木箱の陰には、黒化した採掘夫だけでなく、力尽きて倒れている若い騎士の姿もあった。
「うっ……助けてくれ……」
かすれた声で意識を保つ騎士の露出した皮膚は、すでに黒い結晶に覆われ始めている。
しかし、その周囲には激しい瘴気が渦巻いており、仲間であっても安易に近づくことはできない。
救出に向かおうとした別の騎士が足を踏み出すが、その圧倒的な黒化の広がりを見た瞬間、恐怖に足がすくんだ。
ルークは自分の剣を一瞥し、歯噛みした。この瘴気に満ちた状態で近づくことは、命を捨てるに等しい。
誰もが絶望に息を呑んだその時、リンネの足元からわんこ精霊がスッと前に出た。
精霊は小さな体を震わせながらも、倒れた男たちの傍へ歩み寄り、その鼻先をそっと触れさせる。
――ジジジッ!
淡い青白い光が広がり、暴れていた黒化の進行がピタリと抑え込まれた。
男たちの苦悶の表情はわずかに和らぐ。
代わりに、小さな精霊の輪郭が、また一段、淡くなった。
「急ぎましょう……この子の負担も限界です」
リンネが精霊をそっと抱き上げ、一行はさらに加速して地下最深部へ駆け抜けた。
そして――。
重い鉄扉を蹴破った先で、彼らはついに目的地へと辿り着いた。
そこは、保守坑道の先に広がる巨大な転移門広間。
到着した瞬間から、そこはすでに「最悪」の光景だった。
大気を引き裂くような軋み音とともに、目の前の光景が最悪の色彩へと塗り替えられていく。
ラウノの要とも言える転移門。
その床一面に刻まれた精緻な魔法陣へ、不気味な黒い筋が、まるで生き物の血管のように這い回っていた。
「全員下がって! 術式に近づかないで!」
セレストの硬く鋭い声が響き渡る中、前衛が重厚な大盾で壁を作り、後衛が術式を展開する。
だが、制御を失った真っ黒な魔力は決壊したダムの濁流となって噴き出し、セレストの展開する銀色の障壁を容赦なく侵食していく。
ルークが長剣に闘気を纏わせて一閃するも、斬られた黒煙はドロドロと不気味に再生するばかりだった。
終わりが見えない絶望の中、リンネの脳裏へ再びあの悲鳴が響き渡る。
『――いたい。苦しいよ、たすけて』
「っ……! 目の前の転移門だけじゃない。この街の遥か地下深く、大地の血脈そのものが……精霊鉱脈の核が蝕まれている!」
リンネの叫びに、ルークが固い声を絞り出した。
「俺が先行して下層へ向かいます。本隊の到着を待っていては手遅れになる」
「単独行動は許可できないわ!」
「ですが、猶予はありません!」
膠着する中、リンネが胸に流れ込む声へ意識を集中させる。
「地下核ならここからさらに下です!あそこからしか行けません!」
絶望の膠着状態を打ち破るように、わんこ精霊がトッと前へ飛び降りた。
地下深くから届く悲鳴に呼応するように、その小さな身体を包む青白い光が静かに脈打つ。
それはリンネから与えられた魔力ではない。
傷ついた精霊鉱脈そのものが、小さな守護精霊へ助けを求めているかのようだった。
光が、小さく揺れた。
わんこ精霊は振り返り、まっすぐリンネを見る。
『――いっしょに、いこう。あるじ』
「……ほんと、ずるいんだから」
リンネの唇から、吹っ切れたような笑みが零れる。
その時、ルークがすっとリンネの前に進み出た。
「俺があなたを守ります。……そして、この街も」
その瞳には一切の迷いがなかった。
セレストが覚悟を決めたように前を向く。
「全戦力、さらに下層の地下核へ」
失敗すればこの街は住民ごと隔離されるという重い現実を背負いながら。
その重圧の中、足元のわんこ精霊がそっと身体を擦り寄せてきた。
『――まもる』
リンネは、小さな頭を優しく撫でた。
「……一緒に守ろう」
『まもる』
短い返事だった。
重厚な音を立て、地下核へと続く封鎖扉がゆっくりと開いていく。
吹き抜けてきたのは、冷たい風ではない。街の命脈そのものが上げる、か細い悲鳴だった。
ルークは剣を握り直す。
セレストは前を見据える。
リンネは隣に寄り添う小さな精霊へ微笑みかけた。
「行こう」
『……まもる』
誰一人、もう振り返る者はいなかった。




