第24話 黒雨の気配
夜が深まるにつれ、雨脚はさらに激しさを増していた。
作業部屋の机の上で、黒い精霊鉱がまるで心臓のように不気味な脈動を繰り返している。
――どくん。
――どくん。
見ているだけで頭の芯が灼けるように痛む。ルークが硬い表情で問いかけた。
「姉上、これの正体は」
セレストは顎に手を当て、沈黙したまま石を凝視していた。やがて、彼女は研究者として、淡々と告げた。
「外部から魔力誘導をされているわね。この精霊鉱へ意図的に干渉し、強制的に励起させている」
「これ、私たちがどうにかできるレベルを超えていませんか?」
リンネが震える声で問うと、ルークが微塵の迷いもなく頷いた。
「かなり危険な状態です。黒化精霊鉱は存在するだけで周囲の魔力環境を汚染する。長時間の接触は精神汚染を招く」
セレストが冷酷に言い放つ。
「あなたがこれに触れても昏倒せず、加工しかけた。……向こうからすれば、これ以上ない最高の人材を見つけたと狂喜したはずよ」
「普通の術師なら、この石に触れた時点で精神を侵されるか、魔力を蝕まれて二度と術式を扱えなくなる。加工どころか、正気を保って立っていることすら難しいのよ」
その時だった。わんこ精霊が窓際へ飛び退き、毛を逆立てて闇を睨みつけた。
激しい雨の中、薄明かりの下に男が立っていた。黒い帽子を被ったその男は、静かに店を見上げている。
男の右手に握られた、もう一つの黒化精霊鉱。
二つの石が呼応した瞬間、室内の空気がガラスのように震えた。
「――っ!」
男が店へ向けて漆黒の魔力を放つ。
轟音とともに窓ガラスが砕け散り、鋭い破片が店内へ飛び散る。
「きゃっ……!」
リンネが息を呑んだ、その瞬間。
前へ躍り出たわんこ精霊が、小さな身体から命を削るように青白い光を解き放つ。
眩い光の障壁が店内を包み込む。しかし、敵の魔力は凄まじかった。
障壁に次々と亀裂が走り、青白い光が激しく明滅する。
「きゅぅっ……!」
精霊は悲鳴のように光の粒子を散らしながら、それでも最後の力を振り絞って魔力の奔流を弾き飛ばした。
爆風のような衝撃が収まる。
店内には、砕けたガラスと雨音だけが残った。
セレストは初めて言葉を失う。
(高度な防御術式……。それなのに、この精霊は一人で受け止めたというの……?)
わんこ精霊は光を弱々しく明滅させながら、ふらりとリンネの足元へ戻る。その小さな身体は限界まで消耗していた。
リンネは慌てて抱き上げ、その身体を優しく胸へ抱き寄せる。
「ありがとう……本当に、ありがとう」
精霊は小さく鳴くと、安心したようにリンネへ身体を預けた。
一方、男は店の様子を静かに見つめると、目的は果たしたと言わんばかりに踵を返す。
「待て!」
ルークは剣を掴み、迷うことなく砕けた窓から飛び出した。
激しい雨が鎧を叩く。
黒帽子の男は振り返ることもなく、雨煙の向こうへ歩みを進めていく。
「逃がすか!」
ルークは石畳を力強く蹴り、その背中を追って夜の路地へ駆け出した。
吹き込む雨風の中、セレストは静かに窓の外を見つめた。
「……試されたわね」
その声には怒りも焦りもない。ただ、冷え切った確信だけが宿っていた。
「こちらの力量を測るための襲撃……。十分だったのでしょう。彼らは欲しい情報を得たはずよ」
その淡々とした分析に、リンネは背筋が冷たくなるのを感じた。
セレストはそれ以上何も語らず、雨に霞む闇をじっと見つめ続けている。
リンネは腕の中で震えるわんこ精霊を、そっと抱きしめた。
障壁を張った精霊は光を弱々しく揺らし、小さな身体をリンネへ預けている。
「……絶対に、守るから」
その小さな温もりを確かめるように抱き締める。
外では激しい雨が降り続き、夜の街は深い闇に包まれていた。




