第23話 雨音の距離
夜になっても、ラウノを濡らす雨は止む気配を見せなかった。
冷たい水音が、しんと静まり返った街へ絶え間なく響き渡る。だが、リンネの店舗屋内には魔導ランプの柔らかな橙色の灯りが揺れていた。
「……はぁ。なんで、どうしてこうなったんだろう……」
リビングのテーブルを囲むのは三人。家主のリンネ、年下騎士のルーク、そして突如として乱入してきた国家の天才、セレスト。
絵面だけを見れば優雅な夜の茶会だが、現実は違う。
セレストは淹れたての茶を一口含み、ふっと微笑んだ。
「ベリー系の酸味が抑えられて香りが柔らかくなっているわ。素敵ね」
「……っ!? え、わかるんですか!?」
「ええ。前よりも、少しだけ配合を変えたでしょう?」
リンネは内心で引きつった。初対面の一杯でそこまで見抜く観察力は、もはや恐ろしい。
ルークが肩をすくめる。
「姉上は昔から執拗に他人の変化を観察したがる。そういう執念深いところがあるからね」
「あら、あなたにだけは言われたくないわ。特に、リンネさんに関連した事象に対してだけは、あなたの警戒も過剰に見えるけれど?」
「あ、姉上……ッ!」
ルークが耳まで赤くして反論する。その息の合い方に、リンネは思わず苦笑してしまった。
――その瞬間、ルークがふと視線を向けた。
その瞳に宿る、慈しむような優しさ。リンネは心臓が跳ね上がり、慌てて視線を逸らした。
(意識しちゃ駄目だ、相手は騎士様だ……)
そんな中、わんこ精霊がトコトコとルークの腕に甘えるように寄り添う。
ルークが自然な手つきで撫でると、精霊は目を細めて光の尻尾を振った。
リンネはふと、猛烈な違和感に気づいて叫んだ。
「……待って! なんで二人とも、そんな普通に精霊を撫でてるんですか!?」
「え?」
「『え?』じゃないですよ! 精霊って、普通の人には見えない超常の存在ですよね!?」
「私達に関しては、純粋に見えている側の人間だからよ」
セレストが冷静に言い放つ。
「この世界には稀に存在するもの。高い魔力を持つ者や、世界の理と親和性が極端に高い人間には、彼らの姿がはっきりと視認できるの」
セレストは、ふとわんこ精霊を静かに見つめた。
(……あり得ない)
研究院の記録にも、これほどまでに人間的な感情を露わにする精霊など存在しない。
(この精霊は、何者なの)
思考の深淵を隠し、セレストが静かに紅茶を置いたその時、ルークが真剣な面持ちで口を開いた。
「リンネさん。……今日、黒い帽子を被った男を見ましたか?」
「えっ!? ……うん、お昼過ぎくらいに」
「やっぱり、見ましたか。一般人に紛れていましたが、あの男は素人の隠密技術じゃない。恐らく、この店を監視していた斥候であり、実行犯でしょう」
冷徹な宣告に、セレストも追い打ちをかける。
「あなたの生み出す技術も本質も、この狭い街に収まるには突出していた。どれだけ平和を望んでいようとも、標的である事実は変わらないわ」
――その絶望的な現実が突きつけられた瞬間だった。
わんこ精霊がビクゥッと光を静止させ、窓の外を睨みつける。
次の瞬間。
――ドクンッッ!!!!
リビングの床を突き破らんばかりの衝撃と共に、作業部屋から昏い鼓動が鳴り響いた。
それは、外から何者かが黒い石に直接呼びかけているかのような、鋭利な魔力の干渉。
セレストの表情から余裕が消える。
「……っ、これは、遠隔の同調……!?」
ルークが即座に立ち上がり、剣を引き抜いた。
「クソッ、何者かが店に接近している……! すぐそこまで!」
同時刻。
激しい雨が降りしきる、店舗すぐ外の暗い通り。
黒帽子の男が、静かに店を見上げて立ち尽くしていた。
男の掌には、禍々しく明滅する小さな黒い精霊鉱。
――どくん。
店の奥に眠る黒い石へ応えるように、もう一度、どくん。
男は静かに目を細めた。
「……ようやく反応したか。」
冷たい雨が男の肩を濡らしていく。
それでも男は、一歩も動かなかった。
獲物を見つけた狩人のように、ただ静かに、その店を見つめ続けていた。
雨はなおも降り続き、ラウノの夜は、すべてを飲み込むように深く沈んでいった。




