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辺境の付与術師は静かに暮らしたい ~リンネ小物店のひみつ事情~  作者: 隅乃 けい


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第22話 偽りの訪問者

ラウノの街へついに雨が降り始めたのは、その日の夕方のことだった。

鉛色の雲から落ちる冷たい雨粒は、街全体の活気を消沈させていく。


(……気のせいじゃない。絶対に、あの男に見られていた)


リンネは店のカウンターに突っ伏しながら、今日一日の緊張を反芻していた。わんこ精霊が心配そうに、ツンツンと温かい鼻先で髪を撫でてくれる。


――カラン、コロン。


静かな店内に響くベルの音。顔を上げたリンネは、言葉を失ってフリーズした。

冷たい雨を連れて入ってきたのは、白金の髪を濡らした一人の女性。すべてを見透かすような理知的な瞳と、柔らかな微笑を湛えた旅装の女性――セレスト・ヴァンディールだった。


「あら」


彼女はリンネの硬直を面白がるように、ふっと口元を綻ばせた。


「嬉しいわ。その様子だと、私のことをしっかりと歓迎してくれているようね?」


「……セレスト、さん……っ」


背筋に冷たい汗が流れる。


「ええ。色々と面白いサンプルがこの街には集まっているから。あちこちじっくりと見て回っていたのよ。特に、あなたの作った魔導具のことが忘れられなくてね」


どこまでも柔らかい返答。しかし、言葉の裏にある見えない刃が、リンネの喉元に突きつけられているような圧迫感があった。


胸元で、わんこ精霊が全身の光を硬直させ、警戒の唸りを漏らす。

セレストの視線が、精霊の放つ青白い光へと注がれた。


「ふふ。……本当に、理を外れた不思議な子ね。実に珍しいわ」


――その時だった。

奥の作業部屋から、不意に。


――どくん。


室内の空気がガラスを軋ませるような悲鳴を上げた。

セレストの瞳が、ふっと細められる。笑顔のまま、彼女は静かに問いかけた。


「……おや。今、奥の部屋からひどく不快な波動を感じたけれど。……あそこに、何があるのでしょう?」


店内に漂う静寂が、不自然なほど重く沈む。誤魔化せない。この人は、昨夜あの部屋で起きた本質に勘づいている。


――バァァァンッッ!!!


扉が荒々しく押し開けられた。


「リンネさん……っ!! 頼むから無事で――」


雨に濡れ、髪を乱したルークが剣の柄に手をかけたまま飛び込んでくる。しかし、カウンター前の姉の姿を見るやいなや、彼は彫刻のように固まった。


「……また、あなたですか、姉上」


ルークの口から苦々しい言葉が零れる。人生で一番最悪なものを見たというようなその表情に、セレストは優雅に微笑んだ。


「お久しぶりね、ルーク。相変わらず歓迎されていないようで悲しいわ」


「どうして黙ってリンネさんに接触しているんですか。騎士団の管轄を無視するなと、あれほど言ったはずだ」


「必要だったからよ。私の研究にとってね」


二人の間に漂う、凍てつくような緊張感。


「……あの、ルークさん。お二人って、仲が良いんですか?」


緊迫に耐えかねて尋ねると、二人が見事なシンクロで振り返った。


「普通よ。姉弟だもの」


「非常に微妙です。できれば関わりたくない」


即答の不一致に、リンネは思わず苦笑しそうになる。だが、セレストが妖艶な光を瞳に灯し、ルークに意地悪な微笑を向けた。


「でも、そうね。あの生真面目だったルークが、ここまで個人的に執着するお相手というのは、人生で初めてお目にかかったわ」


「っ!?!?!?!?」


ルークの耳が真っ赤に染まる。


「団長への口頭報告の際、無意識に『ラウノへ行く』ではなく、『街へ戻る』と表現している時点で、もう色々と手遅れよ?」


戻る。ラウノの、街へ。

その意味を理解した瞬間、リンネの胸が爆発しそうなほど激しく跳ねた。


そのやり取りの最中、わんこ精霊だけが呆れ果てた様子で、ふすーっと鼻から大きなおため息の光を吐き出した。


店内に甘酸っぱい空気が流れる。しかし、その平和な空気を嘲笑うかのように、リンネの心には警鐘が鳴り止まなかった。


「……あ、あはは。外の雨、急に強くなってきたねー……」


リンネは顔の熱を隠すように視線を逸らした。

セレストは楽しそうに目を細め、ルークは絶望したように顔を覆う。



嵐の前の、奇妙で騒がしい夕暮れ。


店の外では、冷たい雨が静かに降り続いていた。雨に溶けるように佇む黒い影は、その店から決して視線を外さなかった。


ふいに、男の掌に隠された小さな黒化精霊鉱が、


――どくん。


生き物の心臓のように、一度だけ脈打つ。


男は何も言わない。


ただ、フードの奥で口元だけをゆっくりと歪めた。


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