第21話 崩れた静寂
――ガシャァァァンッッ!!!
鼓膜を激しく震わせる、派手な破砕音。レンガ造りの建物の外、いつもは穏やかな通りから響いた。
「ひゃっ……!?」
リンネが身を縮めると、わんこ精霊が低く唸り声を上げ、彼女の胸元へと飛び込んでくる。
その刹那、ルークの空気が変わった。優男の雰囲気は消え、中央騎士団のエリートらしい冷徹な眼差しになる。
「――下がって」
ルークは滑らかな動きでリンネの前へ踏み込み、その背中で彼女を庇った。
外では阿鼻叫喚の怒号が響いている。
「井戸水が、また変な色になっているぞ!」
「水に触るな!離れろ!」
リンネは顔を強張らせ、ルークの服をぎゅっと掴んだ。
「また、井戸の異変? どうして……っ」
「……予想以上に早い」
ルークは忌々しげに唇を噛む。
「あちらにとっても、昨夜の精霊鉱の沈黙は予想外だったはず。即座に次の手を打ってきた」
こちらの動きを見張っている。その事実にリンネの背筋が凍る。
「外の様子を見てきます」
ルークが扉へ手をかけると、リンネは縋るように声を上げた。
「待って、私も行く!」
「駄目です」
ルークは厳しい表情で振り返った。
「今のあなたは、向こうにとって喉から手が出るほど欲しい最高適性の付与術師であり、狙われる側の当事者なんです。外に出ることは、罠に飛び込むのと同義だ」
あまりの正論にリンネは言葉を詰まらせた。その手がルークの服から離れる。
「少しだけ状況を確認してくるだけです。――いいですか、絶対に店から出ないでください」
ルークは突風のように外へ飛び出していった。
静まり返る店内で、リンネは伸ばした手の行き場をなくす。
「……ルークさん、無茶しなきゃいいけど」
呟くと、わんこ精霊が自身を励ますように光を強めた。その健気さに苦笑が漏れる。
――その時だった。
ぞわり、と首筋を冷たい蛇が這うような、強烈な不快感が走り抜ける。
リンネは弾かれるように店のガラス窓を振り返った。
どんよりとした曇り空の下、人混みの中で一人の男が立ち止まっていた。黒い帽子を被った男が、じっと、真っ直ぐにリンネを凝視している。
ガラス越しに目が合った。男は不気味に口元を歪めると、そのまま流れるような動作で人混みの奥へと紛れ、消えていった。
「…………な、に、今の……」
喉がカラカラに乾く。わんこ精霊もまた、窓際を睨みつけながら低く警戒の振動を刻んでいた。
その頃、ラウノの中央広場は混沌の極みに達していた。
中心にある井戸から溢れ出す水はどす黒く濁り、油膜のような虹色の魔力が浮いている。
「クソッ……また付与術師を炙り出すための罠か!」
ルークは舌打ちを飲み込む。その時、部下の騎士が息を切らせて駆け寄ってきた。
「魔導研究院から至急の連絡です! 今回の調査対象を地元民だけに限定せず、潜在的な特異能力者も含めて徹底的に洗うように、との通達です」
「……チッ、あの人か」
ルークの顔が曇る。実姉セレスト・ヴァンディール。冷徹無比な天才である彼女が、すでにこの街で独自の調査を開始している。一度興味を持てば、真実へ辿り着くまで決して手を止めない姉の性格を、ルークは誰よりも知っていた。
ルークは苛立ちを隠せない。姉なら、リンネの異常さに気付くまで時間はかからないだろう。
――その時、ルークの直感が警鐘を鳴らした。
(――いる。確実に、すぐ近くに)
広場から外れた薄暗い路地裏。
先ほどの男が、壁に背を預けて低く笑っていた。
男の掌には、禍々しく脈打つ小さな黒い精霊鉱が握られている。
「黒化精霊鉱が反応する相手……ようやく見つけた」
帽子の下、男の口元が狂気的に歪む。
リンネは店内で空を見上げていた。
先ほどまでの薄曇りが、嘘のようにどす黒い暗雲に塗りつぶされていく。まるで、街全体が巨大な何かに飲み込まれようとしているかのように。
男が笑みを闇に溶け込ませる中、ラウノの空は、全てを飲み込むように沈黙を深めていった。




