第18話 見えない檻
辺境の街ラウノを包む空気が、ここ数日で明らかに変質していた。
表面だけを見れば、いつも通りの平和な日常だ。だが、何かが決定的に違う。楽しげな喧騒の隙間に、ねっとりとした不快な「監視の目」が混ざり込んでいるのだ。
リンネは自分の店先で魔導具を並べながら、朝からずっと肌を刺すような視線を感じていた。少なくともリンネには、街を歩く王都の人々の視線が、どこか冷たく、値踏みをするようなものに映った。
「……気のせいじゃないよねぇ」
小さく呟くと、足元へ青白い光の塊――わんこ精霊が張り付いた。リンネの不安を察したのか、精霊は淡い光をちりちりと揺らして周囲を警戒している。
「大丈夫だよ、ありがとう」
精霊の頭を優しく撫でる。だが、この子がここまで警戒しているという事実が、逆にリンネの不安を煽った。
そこへ、隣の食堂の女主人・オルガが顔を出した。
「リンネちゃん。……最近、街の付与術師への聞き込みがひどいんだよ。昨日なんて、うちの店にも来たんだ。客を追い出してまで、『見慣れない客はいなかったか』『最近、妙な魔道具は売れなかったか』って根掘り葉掘り聞かれてね。常連さんも怖がって、もう誰も寄り付かなくなっちまったよ」
「……そんな」
ピキリとリンネの動きが止まる。事態は、一番恐れていた方向へ進んでいる。
その時、足元の精霊が低く唸って硬直した。
通りの向こう側、人混みの途切れた場所に、一人の女性が佇んでいた。
絹糸のような白金の髪。数日前に店へ来た、王都の研究者・セレストだった。
彼女は滑るような足取りで近づいてくる。
「ごきげんよう、リンネさん。……この魔力の循環、本当に美しいわ。普通の術師なら何十年も研究して辿り着く答えを、あなたは自然に作っているのね」
それはお世辞ではない。専門家の「確信」だった。
一触即発の空気を割って、ルークが飛び込んでくる。
「……姉上」
「おや、ルーク。あなたこそ、こんなところで何を?」
ルークの声音は硬い。いつもの穏やかな雰囲気は消え、目の前の実姉に対して最大級の警戒を払っていた。
「姉、上……!?」
驚くリンネをよそに、セレストは柔らかな笑みを崩さない。
「私はただの研究者として、彼女の才能に感銘を受けているだけだわ。……では、また近いうちに。今度はもっと、ゆっくりお話ししましょうね」
セレストが去った後、ルークの表情は険しく沈んだ。
「……ルークさん。あの人、本当にルークさんのお姉さんなんですか」
「ええ。魔導研究院のセレスト・ヴァンディール。……姉上は、一度『価値がある』と判断したものは、研究対象として最後まで見届ける人です。数日前にこの店に来た段階で、すでに確信を持っていたんだ」
ルークの瞳が鋭く引き締まる。
「今日の接触は、単なる最終確認だ。……あなたの周りにいる『それ』の存在も、おそらく完全に感づいているでしょう」
ルークの言葉が、リンネの心に重く突き刺さる。
街には調査員が溢れ、自分を狙う視線が至る所にある。そして、自分のそばにいる「特別な存在」も、王都の至宝に露見してしまった。
リンネは腕の中の小さな温もりを抱き寄せる。
わんこ精霊は、いつものように甘えることもなく、街のどこかをじっと睨み続けていた。
逃げようと思えば、逃げられる。
けれど、どこへ行っても誰かが見ている――そんな錯覚が、胸の奥から離れない。
見上げたラウノの空は、どこまでも青く澄んでいる。
その青さだけが、不思議なくらい息苦しかった。
街はもう、見えない檻になっていた。
その鍵がどこにあるのか、リンネにはまだ分からなかった。




