第16話 監視者たち
噴水騒ぎから一夜。ラウノの街は、目に見えて空気が変わっていた。
市場を往来する人々の表情には薄氷を踏むような緊張が張り付き、広場のあちこちで不穏な噂がささやかれている。
そんな喧騒から離れた店先で、リンネは黙々と木箱を並べていた。
(……眠い……)
先日の精霊鉱の異変が頭から離れない。意識を向けるほど輪郭が霧散するもどかしさに、心を焦がしていた。
その時、青白い光が飛び込んできた。わんこ精霊だ。
精霊はリンネの周囲をぐるぐると回り、通りすがる人々を異常なまでに警戒している。
「どうしたの?」
膝を折ると、精霊は待ってましたとばかりに胸へとダイブしてきた。両腕で抱き上げると、疑似的なはずの身体から、不思議と生き物のような温もりが伝わってくる。
「……最近、本当に甘えん坊だよね」
精霊は応えるように、光の尻尾をぴこんと一振りした。
最近、この子との意思疎通が成立し始めている。普通の精霊ではない。疑いようのない事実だった。
「リンネちゃん、おはよう! 早いねぇ」
振り返ると、食堂を営むオルガが野菜の籠を抱えて立っていた。
「おはようございます」
「今日もいい天気だけど、なんだか街がソワソワしてて嫌ねぇ。それに……変な連中も来てるだろ?」
オルガが顎で示した先、古着屋の前には数人の男たちがたむろしていた。ただの旅装束だが、立ち姿に隙がない。獲物を値踏みするような視線に、リンネの背筋が凍る。
わんこ精霊が低く喉を鳴らした。明確な敵意。
「……リンネちゃん? 顔色が悪いよ」
「あ、いえ! ちょっと寝不足なだけで」
無理やり笑顔を張り付けるが、視界の端で光り輝く精霊の姿を、オルガは完全に素通りしていた。
(見えていない……)
精霊は、特殊な能力を持つ者にしか認識できない。
(お願いだから、誰にも見つからないで)
異質で、危険な引き金。リンネは腕の中の小さな守るべき存在を、無意識に強く抱きしめた。
中央騎士団本部。
静寂に包まれた回廊を、ルークは無表情で歩いていた。
「……おい、あれ。またヴァンディールか」
「最近、辺境任務ばかりだな。多すぎないか」
「なんでも副団長直轄の特命らしい。さすが、俺たちとは違うぜ。」
わざと聞こえるように紡がれる、嫉妬と好奇の混じった声。
ルークは周囲から浴びせられる「エリートの特別扱い」という雑音を完全に無視する。今は、ラウノの異変に集中せねばならない。
副団長執務室へ入ると、ガルディアは組んだ両手に顎を乗せ、ルークを射抜くような眼光を向けた。
「お前、最近ずっと変だぞ。辺境で何があった」
「……ただの定時任務です」
「馬鹿を言え。お前がたかが任務の重圧ごときで、そんな『余裕のない顔』をするか」
ルークが不満げに眉をひそめると、ガルディアはフッと口元を緩めた。
「――自分以外の『誰か』を、何よりも優先し始めた男の顔だ」
ルークのポーカーフェイスが崩れる。
「女か」
「違います」
「図星だな。いるんだろ、ラウノに」
「違いますから!」
普段の冷静さはどこへやら、ルークは珍しく必死に弁明する。だが、ガルディアは楽しそうに笑い、やがて表情に影を落とした。
「……国が動き始めている。魔導研究院がラウノに異常な興味を示し始めた。噴水騒ぎは始まりに過ぎん」
ガルディアは机に一枚の報告書を放り出した。そこには、不気味に侵食された土地の写し絵がある。
「これが正式な国家案件となれば、本隊や研究院の狂人どもが大挙して押し寄せる。あの街は徹底的な査察対象になるぞ」
ルークの脳裏に、埃っぽいが温かい店と、顔を真っ赤にして誤魔化していたリンネの姿が浮かぶ。彼女が研究院に見つかれば、間違いなく捕獲される。
「……もし、現地の一般人が巻き込まれる可能性があるとするなら……」
「あるに決まっているだろう。だから聞いているんだ」
ガルディアの鋭い眼光が射抜く。
「お前は、あの街で何を、誰を見つけた。何を隠している」
ルークの拳に血が滲む。打ち明けるべきか、このまま彼女を逃がすべきか。激しい葛藤の渦中、ガルディアが視線を和らげた。
「……守りたいものがあるなら、なおさら一人で抱え込むな。ルーク」
「……」
何を守るべきか。
その答えだけが、ルークはどうしても口にできなかった。




