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辺境の付与術師は静かに暮らしたい ~リンネ小物店のひみつ事情~  作者: 隅乃 けい


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第14話 平穏の亀裂

市場は今日も賑わっていた。露店商の威勢のいい声。子どもたちの笑い声。オルガ食堂から漂う香ばしい匂い。どこからどう見ても、いつものラウノの風景だ。

……そう見えるだけだった。

リンネには分かる。


昨日までなかった視線が、確実に増えている。三日続けて同じ角に立っている男。三十分も同じ露店を眺め続けている旅人。彼らは街並みを眺めているようでいて、その実、住人たちの動向を執拗に監視していた。


「……はぁ」


リンネは店先で深いため息をついた。

足元では、青白い光を纏ったわんこ精霊が、リンネのスカートの裾を固く掴んでいる。通りに馬車の駆動音が響くたび、精霊は耳を伏せて身体を縮める。それでも、リンネの服だけは決して離そうとしない。


「そんなに怖いなら、奥に隠れていればいいのに」


声を掛けても、精霊はスカートの裾から顔だけを出し、通りを警戒し続けている。


(本当なら、もっと大規模な浄化装置だって作れるんだけどな……)


前世の知識と、今世の理論を組み合わせれば技術的には不可能ではない。だが、それはリンネが守り抜いてきた「平穏」を自ら壊す行為だ。


「……目立ちたくないしなぁ」


そう呟いた、その時だった。カラン、とドアの鐘が鳴る。


「いらっしゃいま――」


店内へ一歩入った瞬間、空気が変わった気がした。入ってきたのは一人の女性。艶やかな白金の髪、淡い青の瞳。優雅に微笑んでいるだけなのに、呼吸が浅くなるような圧迫感がある。


「生活魔導具を扱っていると耳にして。少し見せていただいてもよろしいかしら?」


セレストと名乗った女性は、浄水ポットを手に取ると、店内の光へ透かすように角度を変えた。


「……面白いわ」


底面を軽く弾き、しばらく目を細める。


「魔石の位置を中央からずらしているのね」


リンネの肩がぴくりと震える。


「それに、この魔力の流れ……付与を二段階に分けているのかしら。循環を整えたあと、効率だけを補正しているように見えるわ」


セレストは楽しげに笑う。


「見当違いだったら、ごめんなさいね」


リンネは返事ができない。心臓が早鐘を打つ。


(全部、合ってる……)


「辺境にも、思わぬ才能が眠っているものね。また伺います」


セレストは優雅に去っていった。


扉が閉まったあと、リンネは力なくカウンターに手をついた。店内は何も変わっていない。それなのに、誰かに工房の奥まで踏み込まれたような、引き出しの中身まで覗かれたような居心地の悪さが残っている。


「……もう帰った、よね?」


そう呟いても、胸のざわつきは消えなかった。



数日前。王都中央転移門。

巨大な石柱が空を支え、その中心では白銀の光が水面のように揺れていた。白銀の光の前には長い列ができている。商人は荷札を提出し、貴族の使者は封印書簡を抱え、騎士たちは無言で順番を待つ。魔導具へ許可証がかざされるたび、澄んだ音が響き、光の膜が一人ずつ開いていく。


王都と各地を数瞬で結ぶこの門は、王国の血管そのものだった。だからこそ、有事の際には最初に封鎖される場所でもある。

門の両脇には管理局の詰所があり、一人の通行も見逃さぬよう、厳重な監視が敷かれている。


「所属を提示してください」


「魔導研究院、第四開発室」


セレストは淡々と身分を明かす。光に包まれた彼女の姿は、静かに門の向こうへ消えていった。

管理官は魔導具へ記録を残し、次の通行者を呼ぶ。



その数日後。再び王都中央転移門。

列の中に、ルーク・ヴァンディールの姿があった。ルークは騎士団の制服を正し、静かに門を見上げる。


(井戸の件もある。街は警戒を強めているはずだ……それでも、あの人は一人で抱え込む)


それが騎士としての責務だから――そう自分に言い聞かせながら、彼は思考を塗り替える。

それ以上でも、それ以下でもない。そう何度言い聞かせても、脳裏に浮かぶのは味気ない報告書ではなく、笑って「大丈夫です」と答えるリンネの姿だった。


己の胸に芽生えつつある感情の正体から逸らしたまま、ルークは光の中へ足を踏み入れた。


二人の思惑を乗せた転移門の光が、静かに消える。その出会いが、リンネの日常へ静かに影を落とし始めることを、まだ誰も知らなかった。


そして、その日の夜――。


窓を叩く音に、リンネは飛び上がった。


「……やっぱり」


開いた窓の向こうには、ルークが立っていた。夜風が部屋へ流れ込む。銀灰色の髪を見た途端、張り詰めていた糸が、ぷつりと切れる。


(……あ)


今日一日、誰にも見せなかった不安が、この人の姿を見るだけで薄れていく。


「いい加減、玄関から入ってください」


「申し訳ありません。少々、急ぎの用だったもので」


理由なんて分からない。でも、安心してしまう。


わんこ精霊だけは、夜の闇から目を離さなかった。耳を伏せ、小さく唸る。何もない。誰もいない。それでも、精霊には「そこに何か」が見えている。

浄化されたはずの井戸の底で、黒い泡が一つだけ浮かび、音もなく弾けた。波紋は静かに広がり、闇へ溶ける。


遠く離れたどこかで、小さな笑い声が、静かに夜風に溶けていった。

平穏の亀裂は、誰にも気づかれぬまま、静かに広がり始めていた。


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