9話:転校生とハイデン
転校生の名前は、ルーク・ヴァイセンと名乗った。
殿下の前に立ちはだかったまま、一歩も引かない。回廊に居合わせた生徒たちが遠巻きに見ている。ひそひそ声。「あの転入生、殿下に何を」「知らない。平民だろう?」
「ヴェルナー・クラウスの件。——聞きたいことがある」
殿下が半歩下がりもしないまま、静かに答えた。
「聞こう」
「あんたがクラウスをハメたって話。本当か」
——あ。この子、ヴェルナーと何か繋がりがあるんだ。
殿下の表情が少しだけ硬くなった。
「帳簿の不正は事実だった。教官の審問を経て処分が決まっている」
「帳簿がどうとか、そういう話じゃねえよ」
ルークが一歩詰めた。声量は上げない。でも回廊の石壁に反響して、ざわめきが止まった。
「あいつが俺に何してくれたか知らねえだろ。あいつがいなかったら俺はここにいない。その恩人を、王子様の正義ごっこで潰されたんだ。納得いく説明しろよ」
殿下の目が、一瞬だけ揺れた。——怒りじゃない。相手の言葉をちゃんと受け止めようとしてる顔。
「クラウスがお前にとって恩人であることと、帳簿の不正は別の話だ。——だが、お前がそう感じるのは理解できる」
「理解できる、じゃねえんだよ」
ルークの声が低くなった。
「俺は田舎の貧乏騎士の家だ。学園に入る金なんかなかった。クラウスが口を利いてくれたから入れた。あいつに恩がある。それを——」
「恩があることは否定しない。だが、横流しで平民の生徒の実習が潰されていた。それも事実だ」
ルークが黙った。拳が握られている。でも振り上げない。——この子、直情的だけどバカじゃない。
しばらく二人が睨み合った。殿下は視線を外さない。ルークも。
「……証拠、見せろよ」
「教官が保管している。確認したければ学生課に申し出ればいい」
「自分の口だけじゃ信じられねえって言ってんだ」
「それでいい。自分で確かめろ」
殿下の声は穏やかだった。挑発でもなく、突き放しでもなく。ただ、事実を差し出している。
ルークが舌打ちした。背を向ける。
「……覚えとけよ」
捨て台詞にしては弱い。本気で怒ってるなら殴ってる。こいつは確かめたいんだ。ヴェルナーが本当に黒だったのか、自分の目で。
ルークの背中を見た。あの足の速さ。迷いなく歩いてる。行き先はたぶん——
ヴェルナーのところだ。
二秒迷った。殿下についていくか、ルークを追うか。
殿下はこれから学生課に行く。安全な場所。ルークはヴェルナーに会いに行く。何が起きるかわからない。
——ルークを追おう。
殿下に「ごめん、ちょっと出かけます」と心の中で言って、ルークの後を追いかけた。
◇
ヴェルナーの謹慎先は、学園の端にある古い寮棟の一室だった。
ルークが扉を叩く。返事がない。もう一度叩く。
「……誰だ」
くぐもった声。
「ルーク・ヴァイセンだ。開けてくれ」
沈黙。長い沈黙。それから、鍵の回る音。
扉が開いた。
ヴェルナー・クラウス。——前に見た時と全然違う。制服じゃなくて寝巻きのような薄い服。髪が乱れている。あのきっちりした袖口はどこにもない。部屋の中が薄暗い。カーテンが閉まっている。
「……ヴァイセン?」
ヴェルナーが目を細めた。ルークの顔を見ている。思い出そうとしている。
「忘れたか? あんたが学園に推薦してくれた——」
「ああ。お前か」
思い出した、という顔。でもそこに喜びはなかった。
「入れ」
部屋に入った。私もルークの後ろに滑り込んだ。扉が閉まる。
椅子は一つ。ヴェルナーが座って、ルークは立ったまま。
「……で、何の用だ。わざわざ訪ねてくるようなことか」
「あんたの件。王子にハメられたのか、それとも本当にやったのか」
ルークの声はまっすぐだった。回りくどいことは言えないタイプ。
ヴェルナーが鼻で笑った。
「お前に関係あるか?」
「ある。あんたに恩がある」
「恩?」
ヴェルナーが椅子の背にもたれた。天井を見上げる。
「お前を学園に入れたのは恩じゃない。腕っぷしが強そうだったから使えると思っただけだ。下級生の中に手駒がいると便利だからな」
ルークの肩が強張った。
「……そういうことかよ」
「そういうことだ。——もう使えないがな。こんな状態じゃ」
ヴェルナーが自分の寝巻きを見下ろした。自嘲。でも被害者面でもある。
「あいつのせいだ。第三王子。あの男が首を突っ込んできたから——」
「やったのか、やってないのか」
ルークが遮った。
ヴェルナーが口を閉じた。しばらく黙ってから、ふっと笑った。
「やったよ。横流しはやった。——だがな、俺だけが悪いわけじゃない」
「どういう意味だ」
「上がいるんだよ。ハイデンっていう講師。あいつが学園への納品利権を握ってて、俺はそのおこぼれを受け取ってただけだ。上前をはねてたのはハイデンの方だ」
ヴェルナーの声に力が戻った。——自己正当化する時だけ元気になるタイプ。前世の職場にもいたな、こういうの。
「じゃあそいつを告発しろよ」
「したところで揉み消されるに決まってる。ハイデンは学園の講師で、国の役職も持ってる。俺みたいな処分された生徒の言うことなんか誰が聞く」
——それ、正しいかもしれない。でも行動しない理由にしてるだけ。
ルークが黙ってヴェルナーを見ていた。長い間。
「……わかった」
「何がわかったんだ」
「あんたが自分から動く気がないってことが」
ヴェルナーの顔が歪んだ。でもルークはもう背を向けていた。
「ハイデン、って言ったな。覚えとく」
扉が開いて、閉まった。
——ハイデン。
その名前、私も覚えた。
◇
ルークは寮棟を出ると、中庭を突っ切って教員棟の方に歩いていった。
——え、もう行くの? 情報得たばっかりなのに。
速い。考えるより先に足が動くタイプ。殿下と真逆。殿下は情報を集めて分析してから動く。この子は名前を聞いた瞬間に本人に会いに行こうとしてる。
教員棟の入口。ルークが中に入っていく。私も続いた。
廊下に貼り出された教官の一覧。ルークが指でなぞっている。
「ハイデン……ハイデン……」
名前を見つけた。部屋番号を確認して、迷いなく歩き出す。
——待って。ちょっと待って。講師にいきなり何するつもり?
ルークがハイデンの執務室の前に立った。扉を叩く。
「はい」
中から声。落ち着いた低い声。
扉を開けた。
執務室は広かった。書棚が壁を覆っている。机の上に書類の山。窓際に薬草の鉢植えが並んでいる。
椅子に座っていたのは、四十代くらいの男。眼鏡をかけている。髪を後ろに撫でつけていて、顎髭が整えられている。白衣の下に仕立ての良い服。——教官の給料にしては上等な服だ。
「——何か用かね」
ハイデンがルークを見た。品定めするような目。
「転入生のルーク・ヴァイセンです。聞きたいことがあるんですが」
——お、敬語使えるんだ。一応TPOはわかってるらしい。
「ああ、新しく入った生徒か。何かな」
「ヴェルナー・クラウスのことです。あいつが薬品庫の横流しで処分されましたけど、上に指示してた人間がいるって聞きまして」
——直球すぎる!
ハイデンの表情が一瞬だけ固まった。ほんの一瞬。すぐに穏やかな笑みに戻る。
「それは初耳だな。クラウスの件は教官会議でも議題に上がったが、単独の不正行為として処理されている。指示者がいたという話は——誰から聞いたのかね」
「本人からです」
「処分された当人の弁明か。それは、まあ……」
ハイデンが眼鏡の位置を直した。
「自分だけが悪いわけではないと言いたい気持ちはわかるが、証拠もなしに講師の名を出すのは感心しないな。転入して間もないのだろう? 不確かな噂に振り回されない方がいい」
声は柔らかい。でも目が笑っていない。
「噂じゃなくて——」
「ヴァイセン君」
ハイデンの声のトーンが変わった。柔らかさの中に、芯が通った。
「講師に対して根拠のない嫌疑をかけることは、学則に照らしても問題になりうる。転入生という立場を考えれば、なおさらだ。——君の将来のためを思って言っている」
脅してる。やんわりと、でも確実に。「黙らないとお前の立場が危ないぞ」と。
ルークの拳が握られた。でも——ここで殴ったら終わりだ。講師に暴力を振るった転入生。即退学。
「……わかりました」
ルークが引き下がった。声は低い。目は据わったまま。
「失礼しました」
扉が閉まった。
廊下に出たルークの横顔。歯を食いしばっている。
「……クソ」
小さく吐き捨てた。壁を拳で叩こうとして——寸前で止めた。音を立てたら講師の部屋に聞こえる。
この子、我慢できるんだ。直情型だけど、限界を知ってる。
ルークが教員棟を出ていく。
私はその場に残った。
——ハイデン。あいつの顔、ルークの名前を聞いた時に一瞬固まった。やましいことがなきゃあんな反応しない。
もう少しだけ、ここにいよう。
◇
一時間ほど待った。足が痛い。透明人間は壁にもたれることはできるけど、座ると通行人に踏まれるリスクがある。立ちっぱなし。
ハイデンの執務室の扉が開いた。
白衣を脱いで、外套を羽織っている。鞄を持っている。
——退勤? まだ午後の講義があるはず。
ハイデンが廊下を歩き出した。教員棟の正面出口ではなく、裏口の方へ。人目を避けてる。
ついていった。
学園の敷地の端。倉庫が並んでいる区画。普段は生徒が来ないエリア。
一番奥の倉庫。ハイデンが鍵を開けて中に入った。閉まりかけた扉の隙間に滑り込む。
薄暗い倉庫の中。棚に木箱が積まれている。奥に蝋燭の明かり。机。
もう一人いた。商人。学園の人間じゃない。革の上着に、腰に錠前付きの鞄。
「お約束の分です、ハイデン先生」
革袋を差し出した。金属の音。金貨。
ハイデンが受け取って、中身を数えている。
「……先月より少ないな」
「クラウスの件で仕入れルートが一つ潰れまして——」
「時間はない。次の納期までに数を揃えろ。帳簿上は正規の納品として処理する。手数料は据え置きだ」
——これだ。ヴェルナーが言ってた構造。ハイデンが納品利権を握って、商人から上前をはねて、帳簿は合法に見せかけている。
商人が帰り、ハイデンが帳簿を鞄に戻す。蝋燭を消す。足音が遠ざかり——扉が閉まった。鍵の回る音。
——閉じ込められた。
暗い。埃っぽい。高い位置の窓まで棚を登って、錆びた留め金をこじ開けた。外に出る。夕暮れの空。
息を整えながら、頭を回した。
ハイデンが黒なのは確定。でも帳簿上は合法に見せてる。物証を抜いても「正規の手数料です」で逃げられる。
密会の現場を、殿下に直接見せるしかない。
◇
殿下のもとに戻った。
部屋に入ると、殿下が机の上に書類を広げていた。何かの報告書と、走り書きのメモ。
独り言が聞こえた。
「……ハイデン、か」
——え?
殿下の机の上のメモ。そこに「ハイデン」の名前があった。殿下の字で。
「クラウスの背後に講師がいる。ベーレン教官の口ぶりでは、薬品の納品経路に不審な点があったが追及できなかったと……」
独り言の続き。殿下が自分で辿り着いていた。ベーレン教官に話を聞いて、ハイデンの名前を引き出していた。
私がルークを追いかけて、ヴェルナーの愚痴から「ハイデン」の名前を拾って、ハイデンの密会を目撃して、倉庫に閉じ込められて窓から脱出してる間に——殿下は自力で同じ場所に辿り着いてた。
——この人、天才なの?
カイがいなくなって、一人で。誰のヒントもなく。正攻法で、同じ答えに。
胸の奥がじわっと熱くなった。誇らしいのと、ちょっと悔しいのと。いや悔しくはない。推しが優秀なのは嬉しいことだ。嬉しいんだけど、私が体張って手に入れた情報を殿下が普通に持ってるの、なんかこう……報われないOLの気持ちってこういうのだっけ。
——いやいや。大事なのは、私が見た密会の現場だ。殿下は名前に辿り着いたけど、現場は知らない。あの倉庫を、殿下に見せなきゃ。
◇
数日後の午後。
ハイデンが教員棟の裏口から出ていくのを確認した。外套。鞄。あの倉庫に向かってる。
——今だ。
殿下は図書室にいた。本を閉じて、寮に戻ろうとしている。
中庭の門の鍵を閉めておいた。殿下が門の前で立ち止まる。
「……閉まっている?」
東回廊に回る。突き当たりで花瓶を少しずらして、殿下の視線を右に誘導した。窓の向こう。倉庫区画。建物の影に沿って歩く人影。
殿下の足が止まった。目が細くなる。
——いい。その調子。
倉庫区画。殿下が慎重に歩いている。足音を殺して。一番奥の倉庫の前まで来た。中から声が漏れている。
殿下の背中が壁についた。耳を傾けている。
——やった。ここまで完璧。殿下が自分の耳で聞けば動ける。あとは——
倉庫の裏手から、足音が聞こえた。
隠れようともしない、大股の足音。
「おい! ハイデン! 出てこいよ!」
——なにしてんのあいつーー!!
ルーク・ヴァイセンが倉庫の正面に回り込んできた。袖をまくって、目が据わっている。
殿下が壁から身を起こした。
私の完璧な誘導計画がぁああ——!!
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