6話:帳簿と薬草と嫌な予感
——カイ視点——
殿下が、また生き延びた。
決闘を二合で片付けた——それは想定内だ。レクト殿下の剣の腕は、外から見る以上に高い。日々の鍛錬を間近で見ている自分が一番よく知っている。
問題はその後だ。
カスティーリャの従者に短剣を持たせたのは自分だった。決闘で勝った直後、勝利の余韻で注意が緩む瞬間。背後から刃が迫る。殿下の反応速度では間に合わない。完璧な段取りだった。
——のに、あの男は転んだ。
何もないところで。砂地の上で、まるで誰かに足を引っかけられたように。
杯もそうだった。入学の夜宴で毒を仕込んだ杯は、殿下の手から弾け飛んだ。あの時も誰も近くにいなかった。偽手紙の件は令嬢の自滅に見えたが、あの封筒に練習紙が紛れ込んだ経緯も不自然といえば不自然だ。
一度なら偶然。二度なら幸運。三度は——苛立つ。
仕掛けを変える。刃では駄目だ。刃は運で弾ける。情報は弾けない。
殿下は性格上、不正を見過ごせない。正しい情報を渡せば正しく裁く。では——嘘の情報を渡したら?
嘘を掴んだまま動けば、殿下は自滅する。嘘だと見抜いて動かなければ、次の手を考えるだけだ。
薬品庫の帳簿を偽造する。上級生のヴェルナー・クラウスが備品を横流ししている、という筋書きで。
あの男を選んだ理由は単純だ。学園の上級生で、薬品庫の管理補佐を任されている。殿下とは接点がない。潰しても足がつかない。
羊皮紙を広げた。薬品庫の書式は事前に控えてある。帳簿の数字を少しいじるだけでいい。在庫と出庫の差を広げて、横流しに見える痕跡を作る。
ペンを走らせた。蝋燭の灯りが揺れている。
嘘を掴んだまま殿下がクラウスを糾弾すれば、クラウスは身の潔白を証明する。残るのは偽の証拠で人を陥れようとした王子の評判だけだ。
殿下はきっと動く。あの人は、見て見ぬふりができない。
それが弱さだと、いつ気づくのだろう。
ペンを置いた。蝋の塊を火にかざして柔らかくし、帳簿の表紙に管理印を押した。じわり、と紋様が沈む。
偽造帳簿を蝋燭の灯りに透かす。悪くない出来だ。
◇
——リゼット視点——
短剣の一件から三日。
学園は妙に静かだった。決闘で殿下が圧勝したこと、その直後に暗殺未遂があったこと。二つのニュースが生徒たちの間を駆け巡って、しばらくは殿下に手を出しにくい空気ができている。
——束の間の平和。ありがたい。
殿下の部屋の壁にもたれて、天井を見上げていた。石壁のひんやりした感触が背中に気持ちいい。窓の外から鳥の声。午後の陽光が床に四角く落ちている。
殿下は机に向かって書き物をしている。ペンが紙を走る音。時々、小さく息をつく。集中してる時に前髪が少し落ちてくる癖、本人は気づいてないんだろうな。
——透明人間になって悪いことばかりじゃない。この距離で推しの日常が見られる。もちろんストーカーの自覚はある。あるけど。
ここまで毒杯はゲームのイベントだったから予測できた。でもマリエルの偽手紙ぐらいから徐々にシナリオから大きくずれていて、もう原作知識から展開が予測できない。次に何が来るか——
扉が開いた。
カイが入ってきた。いつもの詰め襟の従者服。片手に帳簿のようなもの。
「殿下。少し、お耳に入れたいことがありまして」
殿下がペンを置いた。
カイが帳簿を机の上に広げた。
「薬品庫の管理帳簿です。知り合いの教官から、不審な点があると相談を受けまして」
「薬品庫?」
「はい。在庫数と出庫記録に差があると。少しずつですが、長期間にわたって備品が消えているようです」
殿下が帳簿に目を落とした。数字の列を指でなぞっている。
「……確かに、合わない」
「管理補佐を務めているのは上級生のヴェルナー・クラウスという生徒です。この差異が事実であれば、横流しの可能性が」
殿下の眉が寄った。
「はい。決闘の件で殿下のお名前が広まっております。今ならば風向きも良い。この不正を正せば——」
「手柄が目的ではない」
殿下の声が少し硬くなった。カイが一瞬黙って、軽く頭を下げた。
「失礼しました。ですが、放っておける話でもないかと」
「……そうだな」
帳簿をもう一度見る。数字を追う目が真剣になっていく。
——ほら。不正って聞いたら放っておけない顔してる。普段の穏やか王子モードとのギャップ、ずるい。
殿下が帳簿を巻き直した。
「明日、薬品庫を確認する。カイ、この帳簿は預かっておく」
「かしこまりました」
カイが一礼して退室する。扉が閉まる。
殿下が机の上の帳簿を見つめている。窓の外を見る。夕日が横顔を染めている。
推しが正義感で動く顔、好きだけどさ。
——なんか引っかかる。カイの態度、いつも通りすぎて。
……考えすぎか。
◇
翌日。
殿下とカイが薬品庫に向かうのについていった。
薬品庫は教員棟の地下にあった。石造りの階段を降りると、薬草の匂いが鼻をつく。棚が壁一面を覆っていて、瓶や箱がぎっしり並んでいる。台帳が机の上に積まれている。
管理補佐のヴェルナー・クラウスという上級生が立っていた。背が高い。痩せている。神経質そうな目つき。制服の袖口だけが妙にきっちりしている。
「殿下がわざわざこんなところに……何かございましたか」
声は落ち着いている。でも指先が台帳の角を触っていた。
「帳簿の数字について確認したいことがある」
殿下がカイから預かった帳簿を差し出した。
ヴェルナーが目を通す。ページをめくる。一瞬だけ、ほんの一瞬だけ眉が上がった。
「これは……正規の帳簿とは数字が違うようですが」
「違うのか」
「はい。こちらが正規の台帳です」
机の上の台帳を開く。数字を指で示す。確かに、カイが持ってきた帳簿とは合わない。
——どっちが本物なんだ?
殿下がカイの帳簿とヴェルナーの台帳を見比べている。
「……どちらかが正しくて、どちらかが間違っている」
「殿下、これは何かの誤解かと。私の帳簿は教官にも確認いただいております」
ヴェルナーの声は穏やかだった。正規の台帳を持っている側の余裕。
殿下の目がカイに向いた。カイはいつもの表情で立っている。
「……カイ。この帳簿の出所をもう一度確認してくれ」
「はい」
薬品庫を出た。殿下が回廊を歩きながら黙っている。
帳簿が二つ。どっちが嘘か。殿下はまだ判断していない。
——自分で調べよう。
◇
夜。
殿下が寝た後、薬品庫に忍び込んだ。
地下への階段。暗い。蝋燭もない。壁に手をつきながら降りた。足音は聞こえない。それだけが救い。
薬品庫の扉は閉まっていたけど、鍵がかかっていない。
——管理補佐のくせに鍵かけないの? ずさんすぎない?
中に入った。薬草の匂いが昼間より濃い。棚の瓶が暗がりの中でぼんやり光っている。
台帳を開いた。昼間ヴェルナーが見せた正規の帳簿。月別の入庫と出庫の記録が整然と並んでいる。
——きれいすぎる。
前世で半年だけ経理部の手伝いをさせられたことがある。
あの時の上司が言ってた。「帳簿がきれいすぎる会社は怪しい。人間は必ず間違える。間違いがゼロなのは、間違いを消してるからだ」。
上司の顔は思い出せないけど、この教えだけは覚えてる。ありがとう前世の上司。あなたの教えは異世界でも通用します。
帳簿って、こんなにきれいにはならない。書き損じとか、修正の跡とか。何ヶ月も使い続けて一字の訂正もないのは、むしろ——
台帳の下に、別の帳簿があった。古い。表紙が擦り切れている。中を開く。
こっちには書き損じがある。訂正の跡がある。インクの種類も途中で変わっている。
二冊を並べた。在庫数が違う。
正規の台帳では「消耗品として使用済み」になっている薬草が、古い帳簿では出庫記録がない。使ってないのに、使ったことにされている。
——ガチだ。こいつ、ほんとに横流ししてる。
カイが持ってきた帳簿は嘘だった。でも、ヴェルナーの不正は本物だった。
……なにその偶然。怖いんだけど。嘘から出た真ってやつ?
前世で読んだラノベにこういう展開あった気がする。主人公がハッタリかましたら偶然当たってた的な。
あれ読んでた時は「ご都合主義じゃん」って思ってたけど、当事者になるとご都合とか言ってる余裕ない。
いや、今はいい。殿下にこれを——
ペンを手に取った。古い帳簿を開いて、表紙の裏に——
『殿下、こちらが本物の』
文字が消えた。書いた端から、いつも通り。インクの跡すら残らない。
わかってた。わかってたけど。
ペンを置いた。指先のインクのぬるっとした感触だけが残ってる。
——毎回試すの、もうやめた方がいいのかな。いや、もしかしたら急に書けるようになる可能性だってゼロじゃないし。ゼロじゃないよね? ゼロかもしれない。
古い帳簿を持ち出す?——帳簿がなくなったらヴェルナーが気づく。処分される。
じゃあ何ができる。
棚の瓶。ラベル。壁に画鋲で留めてある紙。——在庫リスト。
手に取った。棚の中身の在庫数を書き出したもの。
数字を追った。古い帳簿と照らし合わせる。——一致する。ヴェルナーは台帳は書き直したけど、ここまでは手が回ってなかった。
台帳の順番を入れ替えた。古い帳簿が一番上に来るように。角を少しだけ机からはみ出させた。
在庫リストの紙を握りしめた。これを殿下の机に置けば、台帳と数字が合わないことに気づく。調べに来る。古い帳簿が目に入る。
——これしかできない。でも、これでいい。殿下なら気づく。
石段を上がった。薬草の匂いが背中で遠くなる。
殿下の部屋に戻った。机の上にそっと在庫リストを置いた。ペンの横。朝起きたら目に入る位置。
推しを信じるしかないって、けっこうしんどい。
◇
朝。
殿下が目を覚ました。寝台から降りて、水で顔を洗って、机に向かう。
——寝起きの殿下、髪がちょっとはねてる。かわいい。不謹慎だけどかわいい。
紙に気づいた。
「……何だ、これは」
手に取る。数字を見ている。眉が寄った。
「カイ」
扉の向こうに声をかけた。カイが入ってくる。
「これは薬品庫の在庫リストだと思うが、私の机にあった。心当たりは?」
カイが紙を見た。一瞬——本当に一瞬だけ、目が細くなった。
「いえ。私は置いておりません」
「……そうか」
殿下が在庫リストと、カイが持ってきた帳簿を並べた。しばらく黙って見比べている。
「カイ。もう一度薬品庫に行く」
「はい」
——よし。動いた。
殿下の後について、薬品庫へ向かった。
◇
殿下が薬品庫に入った。
ヴェルナーはいなかった。午前の講義中。
机の上。——古い帳簿が、一番上に出ている。
殿下の手が止まった。
「……これは」
古い帳簿を開いた。数字を追う。ページをめくる。在庫リストと照合している。
「合う。こちらの帳簿と在庫リストの数字は一致する。だが正規の台帳とは——」
一致しない。
殿下が二冊の帳簿を並べた。同じ月、同じ品目。数字が違う。
「正規の台帳が書き直されている」
静かな声。確信の声。
カイが横に立っている。表情は読めない。
「殿下。これはつまり——」
「横流しだ。在庫の一部が出庫記録なしに消えている。その分を隠すために台帳の数字を操作していた」
殿下が帳簿を閉じた。
「教官に報告する。——それと、カイ」
「はい」
「お前が持ってきた帳簿は、どちらとも数字が違う。あの帳簿の出所を、きちんと確かめてくれ」
カイが軽く頭を下げた。
「承知しました」
殿下が薬品庫を出る。カイがその後を追う。
私は少し遅れてついていった。
回廊を歩く殿下の背中。その半歩後ろを歩くカイの背中。
カイの手が、一瞬だけ——ほんの一瞬だけ、懐に触れた。何かを確かめるような仕草。
すぐに手は戻った。歩調も変わらない。殿下は気づいていない。
——今の、何。
立ち止まった。二人の背中が回廊の奥に遠ざかっていく。
そういえばさっきの薬品庫でも。ヴェルナーが台帳を出した時、カイの表情がぴくりとも動かなかった。数字が食い違ってたのに。自分が持ち込んだ帳簿と違う数字を見せられて、普通ちょっとは反応しない?
……考えすぎかな。カイっていつもポーカーフェイスだし。有能な従者ってそういうものかもしれないし。
でも——なんか、引っかかる。前世の直感がざわざわしてる。OL時代に「この取引先なんか変だな」って思った時と同じ感じ。あの時は結局、相手が請求書を水増ししてたんだけど。
……まあ、カイと請求書水増しは関係ないか。たぶん。
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