5話:剣と短剣
決闘は三日後に設定された。
場所は学園の練武場。正式な立ち会いのもとで行う、とカイが説明しているのを殿下の部屋で聞いた。
「ギルバート・カスティーリャ。上級生で、剣術科の首席です」
「首席か」
「はい。腕は確かだと聞いています。——お受けにならない選択肢もあります。王族には決闘を辞退する権利が」
「辞退すれば、私が妹の名誉を傷つけた上に逃げたという話になる」
カイが黙った。殿下が正しい。辞退は政治的に最悪の手だ。
「それに——筆跡の件は事実として彼の妹が悪い。でもそれと、兄が怒ることは別だろう」
……殿下。あなた本当にそういうとこだよ。
怒る理由は理解できる。だから受けて立つ。筋が通っているようで、結局「見捨てられない」の亜種だ。相手の感情に律儀すぎる。
「カイ。剣の手入れは終わっているか」
「昨日のうちに。——殿下、一つだけ」
「ああ」
「お怪我だけは、なさらないでください」
殿下が小さく笑った。
「善処する」
——また善処。でも今回は、少しだけ頼もしく聞こえた。
◇
決闘の当日。
私は殿下の部屋にいなかった。
朝の礼拝の時間に殿下を見送って、その後——情報を集めに行っていた。ギルバート・カスティーリャの戦い方。得意な型。癖。上級生の練武場に忍び込んで、過去の試合記録が貼り出されている掲示板を読んだ。
右利き。突きが速い。間合いが広い。体格は殿下より一回り大きい。
——やばい。普通に強い。
焦っていた。殿下の剣の腕は、ゲームのステータス上は高かった。でもゲームのステータスと現実の強さが同じとは限らない。数値じゃない。ここは三次元で、剣は本物で、怪我をしたら血が出る。
対策を考えなきゃ。何かできることは——砂を撒く? 足元に何か置く? いやそんなの決闘の場で不自然すぎる。じゃあ相手の剣に細工——
考えながら練武場を目指して走っていたら。
歓声が聞こえた。
遠い。練武場の方角から。大勢の声。
——え。もう始まってる?
走った。全力で。足音は聞こえない。息だけが耳の中で暴れている。
練武場の入口が見えた。人だかり。生徒たちが立ち並んで、中を覗き込んでいる。隙間を縫って中に入る。肩と肩の間をすり抜けて——
見えた。
練武場の中央。円形の砂地。
殿下が立っていた。
剣を片手に。構えは低く、重心は前。
対面にギルバート。詰め襟の制服を脱いで、白いシャツに革の胸当て。殿下より頭半分高い。肩幅も広い。手にした剣は殿下のものより一回り大きい。
——もう始まってる。間に合わなかった。何も準備できてない。
ギルバートが踏み込んだ。
速い。情報通り、突きが鋭い。剣先が殿下の胴を狙って一直線に伸びる。
殿下が半歩横にずれた。
それだけだった。半歩。剣先が空を切る。ギルバートの体勢が崩れる。殿下の剣がすっと持ち上がって——
峰が、ギルバートの手首を打った。
甲高い音。ギルバートの手から剣が弾け飛んだ。砂地に落ちて、乾いた音を立てた。
——え。
一合。たった一合で。
ギルバートが手首を押さえてよろめいている。殿下は構えを解いていない。涼しい顔——というか、息すら乱れていない。
「……続けますか」
殿下の声が静かに響いた。
ギルバートが歯を食いしばった。落ちた剣を拾おうとする。左手で。殿下がそれを待った。待って、構えを取り直した。
二合目。ギルバートの左手からの振り下ろし。力任せ。さっきの突きの精密さはない。
殿下が剣を合わせた。受けて、流して、踏み込む。ギルバートの懐に入る動きが、滑らかすぎて目が追いつかない。
峰が、今度はギルバートの首筋に触れて止まった。
練武場が静まった。
審判役の教官が声を上げる。
「——そこまで。勝者、レクト殿下」
歓声が弾けた。周囲の生徒たちがざわめく。
殿下が剣を下ろした。ギルバートの方に手を差し伸べている。
「大丈夫ですか。手首は——」
負けた相手に手を差し伸べてる。この人は。こんな時でも。
ギルバートが殿下の手を払った。立ち上がって、背を向けて、観客の間を割って歩いていく。
殿下が差し伸べた手を静かに下ろした。
……かっこいい。
膝から力が抜けた。練武場の壁にもたれて、ずるずる座り込んだ。
助けに来たのに。焦って走って、間に合わなくて、何の準備もできなくて——結局、殿下は一人で勝った。涼しい顔で。二合で。
守るつもりだったのに、完全に推し活になってる。応援上映で拍手してる観客と変わらない。
——いや。よかった。殿下が無事なら、それでいい。
息を整えた。心臓がまだうるさい。でも、安堵の方が大きい。
殿下が審判の教官と何か話している。カイが駆け寄って水を渡している。殿下がそれを受け取って、一口飲んで——
練武場の隅で、動いた人影があった。
ギルバートの従者。決闘の間、観客席の端にいた男。地味な服。目立たない顔。さっきギルバートが去った方を見送っていた——はずが、向きが変わっている。
殿下の方を向いている。
歩き出した。ゆっくり。観客が散り始めた中を縫うように。手が——腰の後ろに回っている。
——何。
目を凝らした。腰の後ろ。服の裾に隠れて——柄が見えた。短剣の柄。
殿下は気づいていない。カイと話している。背中を向けている。
男が歩く速度が上がった。
足が動いていた。
考える前に。また。いつもそうだ。頭より先に足が動く。
砂地を蹴った。足音は聞こえない。でも砂を蹴る感覚はある。走っている。男に向かって。
男の手が短剣を抜いた。殿下の背中まであと五歩。四歩。三歩——
私の方が近かった。
男の足元に滑り込んだ。しゃがんで、両手を突き出して、男の脛を——
掴んだ。引いた。
男がつんのめった。前に倒れる。短剣を持った手が泳いで、砂地に突っ込んだ。
「——何っ!?」
男の叫び声。砂煙が上がる。
殿下が振り返った。カイが剣に手をかけた。
砂地に倒れた男の手に、短剣が握られている。それを見た瞬間、周囲の空気が一変した。
「短剣——!」
教官が叫んだ。衛兵が駆けつける。男が取り押さえられる。
殿下が短剣を見下ろして、それから男の顔を見た。表情が消えていた。
「……決闘の後に、背中から」
殿下の声は静かだった。怒りではなかった。もっと冷たい何かだった。
カイが男の襟首を掴んで引き起こしている。
「何者だ。——カスティーリャの従者か」
男が何か喚いている。でも衛兵に押さえつけられて、声がくぐもっている。
私は砂地に座り込んでいた。手が震えている。砂まみれ。男の脛を掴んだ時の感触がまだ残っている。
——間に合った。
殿下は無傷だ。背中に短剣は届いていない。
でも心臓がうるさい。止まらない。さっきの決闘を見ていた時とは違う震え方。
殿下を守れた。でもこれは——運が良かっただけだ。あと一秒遅かったら。私がもう少し遠くにいたら。
殿下が砂地に目を落とした。男が倒れた場所。足元の砂に、不自然な乱れがある。男が自分で転んだにしては——何かに引っかかったような崩れ方。
「……カイ」
「はい」
「今の——見たか」
「男が転倒したのは見ました。何かに躓いたように見えましたが、足元には何も」
殿下が黙った。砂地を見ている。
——見ないで。考えないで。お願い。
しばらくして、殿下が目を上げた。
「……毒の夜と、同じだな」
小さく呟いて——それ以上は、言わなかった。
◇
練武場を出た。
壁にもたれて、しばらく立てなかった。膝がまだ笑っている。
殿下は強かった。剣術科首席を二合で片付けた。あれは——ゲームのステータスが数値通りなんじゃなくて、数値以上かもしれない。
でも、背後からの短剣には気づかなかった。
強いのに、足りない。剣は最強でも、周りを固める人間がいない。カイ一人では目が届かない。政治の後ろ盾もない。情報もない。
第一王子には取り巻きがいる。護衛がいる。情報網がある。殿下には——
私がいる。見えないけど。
見えない私が、見えない手で、足を引っかけるくらいのことしかできない。
——でも、今日はそれで間に合った。
立ち上がった。砂を払った。見えないけど、砂がついてるのはわかる。触ればざらつく。
やることはまだある。あの従者が誰の指示で動いたのか。ギルバート本人の命令か、それとも——もっと上か。
寮への道すがら、ふと思った。
あの従者、誰の指示で動いたんだろう。ギルバート本人? それとも——
殿下の部屋に戻ったら、カイがいた。いつも通りの顔で、殿下に報告書を渡している。「従者の身元は衛兵が調べています」。いつも通りの声。いつも通りの距離。
——いつも通りすぎて、逆にちょっと気になった。
殿下が暗殺されかけたのに、カイの心拍数が全然上がってないように見える。従者として冷静なだけかもしれないけど。
……まあ、有能ってことか。たぶん。
足を踏み出した。足音は、やっぱり聞こえない。
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