表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
【完結】断罪された悪役令嬢は存在ごと消されました ~見えません、聞こえません、でも殿下の毒杯くらいは弾けます~  作者: Lihito


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

4/33

4話:嘘と一滴

学科交流会。


大教室の机が寄せられて、立食の場が作られていた。テーブルの上にティーセット、焼き菓子、花瓶。窓から午後の光が差している。生徒と教官が入り混じって談笑している。


マリエルが来た。


いつもより気合の入った装い。髪を巻き直して、淡い紫のドレスに白いレースの襟。目元が少し赤い——泣いていたように見せているのか、本当に泣いていたのか。


三日間、あの部屋で練習しているのを見てきた。完成した恋文がどこかに隠されているはず。今日ここで出す気だ。


——殿下、気をつけて。


殿下は会場の奥でカイと立っている。マリエルの方を見てはいない。


交流会が進む。会話。笑い声。ティーカップの音。


マリエルが動いた。


令嬢たちの輪ではなく、真っ直ぐ殿下の方へ歩いていく。会場の中央を横切って。周囲の目を集めながら。


——まさか。


「殿下」


甘い声。でも今日はどこか切羽詰まっている。


会場が少しずつ静かになる。何が始まるのか、みんな気づいている。花の件で噂になった二人が、大勢の前で向かい合っている。


「殿下。ずっと——お伝えしたいことがありましたの」


マリエルが一歩踏み出した。殿下との距離が縮まる。


「先日は私のほうが出過ぎたことをしたと思います。でも——気持ちだけは本物ですの」


声が震えている。本物の震えか演技か、もうわからない。三日間あの部屋で見た鬼気迫る顔を知っているから、全部演技に見える。でも知らない人が見たら——勇気を振り絞る健気な令嬢にしか見えない。


「殿下のことを——お慕い申し上げております」


会場が完全に静まった。


告白。衆人環視の告白。これに王子がどう返すか——全員が息を止めて見ている。


殿下の表情は穏やかだった。崩れない。動揺もしない。


「マリエル嬢。お気持ちは——ありがたく思います」


丁寧に。でもその先に続く言葉がもう見えている。マリエルにも。私にも。


「ですが、先日もお伝えした通り——お気持ちにはお応えできません」


静かだった。やんわりでもなく、冷たくもなく、事実をそのまま置くような声。


マリエルが息を呑んだ。呑んでみせた。目に涙が溜まる。唇を噛む。一滴だけ涙をこぼす——こぼすタイミングまで計算されている。化粧が崩れない角度で。


「……やっぱり、そうおっしゃるんですのね」


声が小さくなる。うつむく。肩が震える。


周囲の空気が変わった。同情の色。さっきまで遠巻きに見ていた令嬢たちの目が、マリエルに寄り始めている。大勢の前で告白して断られた女の子。可哀想。


「でも——」


マリエルが顔を上げた。涙の筋が頬に一本。


「こんなお手紙まで頂いたのに——嘘だったんですの?」


懐から封筒を取り出した。封蝋を切って、便箋を広げる。


殿下の筆跡——に見える文字が、便箋の上に並んでいた。


「皆様、見てくださいまし。殿下のお字ですわ。こんなに想いを綴ってくださったのに、人前では知らぬふりをなさるなんて——」


便箋が手から手へ渡っていく。


「本当だわ。殿下の字に見える」


「まあ、こんなことが書いてあるのに……」


令嬢たちのざわめき。殿下の方を見る目が変わっていく。「手紙まで書いておいて知らないふりをする不誠実な王子」。マリエルの筋書き通り。


殿下がカイと共に歩み出た。


「拝見します」


便箋を受け取って、目を通した。表情が動かない。


「私はこの手紙を書いていません」


静かに、はっきりと。


マリエルが涙ぐんだ目で殿下を見上げた。


「そんな——殿下の字ですのに。皆様もご覧になったでしょう?」


周囲が揺れている。殿下が否定している。でも筆跡は本物に見える。どちらを信じればいいのか。


天秤が傾きかけている。マリエルの方に。


——殿下。


心臓がうるさい。殿下が追い詰められていく。否定しても物証がある。言葉だけでは覆せない。


マリエルが畳みかける。


「殿下はお優しいから、人前では認められないのですわ。でも二人きりの時にはあんなに——」


「二人きりの場で、お気持ちにはお応えできないとはっきり申し上げました」


殿下の声が重なった。穏やかだけど、退かない声。


一瞬、マリエルの目が泳いだ。でもすぐに持ち直して、涙をもう一筋流す。


「では、このお手紙は何ですの……?」


手紙が殿下のものだという前提が崩れない限り、マリエルの勝ちだ。殿下の言葉より紙の上の筆跡を、人は信じる。


——ここだ。


マリエルの手に、まだ封筒が握られていた。恋文を取り出した後の封筒。中にもう一通——いや、何枚かの紙が残っている。


マリエルは気づいていない。恋文だけ取り出して、残りは確認していない。


近くにいた令嬢が封筒を覗き込んだ。


「マリエル様、こちらにも何か入っていますわ」


「え?」


令嬢が紙を一枚引き抜いた。


殿下の「レ」の字が、何度も何度も書き直されている紙。


「……これは何かしら?」


マリエルの顔色が変わった。


「あっ——それは——」


令嬢の手が止まらない。もう一枚。もう一枚。封筒の中から次々と紙が出てくる。同じ文字を何十回も繰り返した下書き。殿下の名前の練習。文面の草稿。不完全な筆跡の群れ。


——なんで恋文と一緒にこんなものが入っている?


マリエルが青ざめている。自分でも知らなかったはずだ。恋文だけを入れたはずの封筒に、処分したはずの練習紙が混じっている。


「これ——筆跡の、練習では……?」


誰かが呟いた。空気が変わった。


「殿下が練習——いえ、殿下がご自分の名前を練習なさるはずがないわ」


令嬢たちの目が鋭くなっていく。マリエルに同情していた空気が、音を立てて引いていく。


「違いますの——これは——殿下が、緊張されて——」


マリエルが口を開くたびに、言い訳が薄くなっていく。


——でもまだ、言い逃れの余地がある。練習紙は状況証拠だ。「殿下が何度も書き直した」と押し通す可能性がゼロじゃない。


決定打がいる。


テーブルの上。水差し。殿下の手にはまだ恋文が握られている。すぐ隣のテーブルにガラスの水差しが置いてある。


近づいた。水差しに指先を触れさせる。傾ける。ほんの少し。


一滴。


水滴が恋文の上に落ちた。音もなく。


文字がにじんだ。


黒いインクが水を吸って、じわりと広がっていく。文字が輪郭を失って、紙の上に溶けていく。


殿下がそれを見た。


「……にじんでいる」


その声に、会場の奥から一人の教官が歩み出た。


礼法学のフローレンス先生。厳格な年配の女性で、王宮の作法全般を担当している。


「少し、拝見してよろしいですか」


殿下の手から便箋を受け取り、にじんだ文字を見つめた。


「王宮で使用されるインクは、耐水性の特殊な調合がされております。公式の書簡はもちろん、王族が私信に用いるインクも同様です」


教室が静まり返った。


「これは王宮のインクではございませんね。——この手紙は、王宮の人間が書いたものではありません」


練習の下書き。偽の筆跡。にじむインク。


全部、マリエルが自分で持ち込んだ証拠だった。


「——違っ……」


マリエルが何か言おうとした。でも声にならなかった。周囲の目がもう、何も信じていない。


殿下が口を開きかけた。多分、またフォローしようとしていた。この人は、こんな状況でも。


でもマリエルはもう聞いていなかった。身を翻して、走り出した。令嬢たちの間を突き抜けて、教室の扉へ。ヒールが石畳を叩く音が遠ざかっていく。


教室に沈黙が落ちた。


——やった。


膝が笑った。テーブルの縁に手をついて、身体を支えた。


一滴。たった一滴で仕留めた。


あの夜、殿下の杯を弾いた時は力任せだった。ワインをぶちまけて、広間中を騒がせた。


今回は——一滴。


手を見下ろした。透明で見えない手。でも確かに、この手でやった。



交流会は気まずい空気のまま続いた。マリエルは戻ってこなかった。


殿下はカイと会場の隅に立っていた。穏やかな顔に戻っている。でもほんの少しだけ、疲れた目をしていた。


——終わったよ、殿下。


そう思いながら会場を見渡して——足が止まった。


壁際に立っている男。詰め襟の上級生の制服。背が高い。マリエルと同じ赤みがかった巻き毛。


兄だ。マリエルの兄。


その男が、殿下の方をじっと見ていた。腕を組んで。目が据わっている。


妹が大勢の前で恥をかかされた。嘘がバレたとか偽造がどうとか、そんなことはこの男にとってはどうでもいい。妹が泣いて走り去った。それだけが事実。



夜。殿下の部屋。


いつもの壁にもたれて座っていると、カイが一通の封書を持って入ってきた。


「殿下。お疲れのところ恐れ入りますが、一つご報告が」


「ああ」


「カスティーリャ家のご長男から、決闘の申し込みが届いております」


——決闘?


殿下の手が止まった。


「……決闘」


「『妹の名誉を汚した』という名目です」


殿下が封書を受け取って、目を通している。私の位置からは中身が見えない。でも殿下の横顔が少しだけ硬くなったのは見えた。


「カイ」


「はい」


「剣を出してくれ」


お読みいただきありがとうございます!

もし「面白そう!」「続きが気になる!」と思っていただけたら、

広告の下にある【☆☆☆☆☆】を【★★★★★】にして応援していただけると、執筆(投稿)の励みになります!

ブックマークもぜひポチッとお願いします。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ