表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
【完結】断罪された悪役令嬢は存在ごと消されました ~見えません、聞こえません、でも殿下の毒杯くらいは弾けます~  作者: Lihito


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

30/33

30話:短剣と手

招待状が届いたのは、エリスさんを匿って二日後のことだった。


殿下が封を切った。金の箔押し。王家の紋章。


「晩餐会への招待。他国の要人を迎えて——次期王候補としての出席を求める、と」


あの後すぐに釈放されたルークが眉を寄せた。


殿下は招待状を机に置いた。しばらく黙って見ていた。


それから、静かに言った。


「同じだ」


ルークが顔を上げた。


「エリスさんが言っていた手口と、同じだ。宴に招いて、毒を盛って、別の誰かに罪を着せる」


部屋の温度が下がった気がした。


殿下が招待状を引き出しにしまった。


「カイに会いに行く」





手紙を書いた。短い手紙。場所と時間だけ。殿下の名前。


三日後。


練武場の裏手。矢を射られた場所。石畳の欠けがまだ残っている。三箇所。


殿下が空き地の中央に立った。


待った。


壁の上に、影が立った。


カイだった。


弓は持っていない。外套を羽織って、壁の上からこちらを見ている。


あの日とは違う。切羽詰まった顔でもない。何かを諦めたわけでもない。ただ——来た、という顔。呼ばれたから来た。それだけ。


壁を降りた。着地。


「殿下。何の御用でしょうか」


丁寧な声。でもあの時より距離がある。従者の敬語ではなく、他人の敬語。


「座ってくれ」


「立ったままで」


「カイ。お前の母親に会った」


言い方が——急だった。殿下にしては。


カイの顔から表情が消えた。全部。何もない顔。


「……何をおっしゃっていますか」


「エリスさん。城の地下にいた。今は安全な場所にいる」


カイは動かなかった。


動かなさすぎた。瞬きもしない。呼吸の音も聞こえない。


「生きている。無事だ」


「……」


カイが一歩下がった。


「何の、つもりですか」


声が変わった。低くなった。


「事実だ」


「事実。——殿下が、なぜ母を知っている。なぜ地下を知っている。誰に聞いた」


「お前を追った」


「追った」


「お前の雇い主が誰か。なぜ逆らえないのか。——それを調べた」


カイの目が細くなった。計算している目。あの頃の目だ。


「殿下。失礼ですが——何が目的ですか」


「目的」


「母を助けた。それを私に伝えた。では、その対価は何ですか」


——カイ。


「恩を売って、私を使うおつもりですか。あの男と同じやり方で」


あの男。現王のこと。カイはそう呼んだ。


殿下の顔が一瞬動いた。怒りではない。痛みに近い何か。


「……そう見えるか」


「見えます」


嘘だ。


嘘だと、私にはわかった。カイの声は固い。でも目が揺れている。信じたいのに信じられない目。信じたら壊れるから信じない目。


殿下が黙った。長い沈黙。


「そうだな。——お前がそう思うのは当然だ」


カイが少し驚いた顔をした。否定されると思っていたのかもしれない。


「お前の父親を殺したのは、俺と同じ王族だ。母親を人質にしたのも。お前が王族を信じられないのは——当然だ」


カイの口が閉じた。


「だから信じろとは言わない。確かめろ」


「確かめる」


「お前の母は今、学園の近くにいる。会いに行ける。俺が嘘をついているかどうか、自分の目で見ればわかる」


カイの手が拳になっていた。外套の下で。


「……本当に」


「本当だ」


「母は——」


「元気とは言えない。だが生きている。お前に会いたがっている」


カイの喉が動いた。言葉を飲み込んだ。


「名前を呼んでいた。あの子は生きているのか、と」


カイが顔を背けた。壁の方を向いた。


——泣いてる?


見えない。外套のフードが影を作っている。でも肩が震えていた。かすかに。


殿下は待った。何も言わなかった。


……殿下。こういう時に黙って待てるの、ずるいよ。


カイが振り返った。目が赤かった。でも泣いた跡を拭った形跡がない。拭わなかったのか、拭えなかったのか。


「殿下。一つ聞かせてください」


「ああ」


「なぜ——私を殺さなかったのですか」


殿下が首を傾げた。


「あの時。正体が割れた時。殿下は私を殺せた。殺す理由があった。なのに見逃した。——なぜですか」


殿下が考えていた。思い出しているのではなく、言葉を探している顔。


「……お前が嘘をついていることは知っていた。最初から全部ではないが、途中からは」


カイは動かなかった。


「それでも——お前が仕えてくれた時間は、嘘だけではなかっただろう」


カイの拳がきつくなった。


「お仕えする振りは嫌いではなかった——そう言っただろう。あれは本心だったんじゃないのか」


カイの唇が震えた。


「……本心、でした」


声が掠れた。


「殿下は——本物でした。仕えた人間の中で、殿下だけが」


言葉が途切れた。


「誰も見ていない場所でも同じだった。壁際に立っていても、何もかも奪われても——殿下は変わらなかった。それが——」


カイが膝をついた。立っていられなくなったのだと思う。


「それが、一番つらかった」


——カイ。


胸が痛い。この人は殿下を殺そうとしていた。毒を盛って、刺客を送って。知っている。全部知っている。


それでも——この人が泣いているのを見たら、胸が痛い。


殿下がカイの前にしゃがんだ。目線を合わせた。


「カイ。お前の父親の話を聞いた。——そして今、同じことが俺に仕掛けられようとしている」


殿下が招待状を出した。カイに見せた。


「晩餐会の招待だ。他国の要人を迎えた席。——お前の父が嵌められた時と、同じ構図だ」


カイの目が変わった。涙の膜の奥で、何かが動いた。


「殿下を——」


「ああ。毒を盛って、俺に罪を着せるつもりだろう」


カイが招待状を見つめた。長い時間。


そして——顔を上げた。


「殿下。申し訳ありませんでした」


穏やかな声だった。静かで、きれいに整った声だった。


何かがおかしい。


さっきまで震えていたのに。泣いていたのに。急に穏やかになった。整いすぎている。


「母を助けていただいたこと、感謝します。そして——殿下に仕えられたことは、本当に」


カイの手が外套の内側に動いた。


銀色が見えた。短い刃。


『——っ!!』


声が出なかった。出せなかった。でも身体が動いた。カイの腕に向かって——


殿下の方が速かった。


カイの肩を掴んでいた。


「死ぬな」


カイの手が止まっている。短剣の切っ先が首に向いている。触れてはいない。


「離してください」


「死ぬな」


「これが——けじめです。殿下に仕えながら殿下を裏切り続けた。その罪は——」


「死んで消えるのか」


カイが黙った。


「消えない。お前が死んでも何も消えない」


殿下の手がカイの肩を握りしめている。力が入っている。


「お前が死んだら——あの人はどうなる」


カイの手が止まった。


「七年間、あの場所で待っていた。お前が生きていると信じて。やっと外に出られた。——その息子が、目の前で死んだら」


「……それは」


「エリスさんに、なんと言う。お前の息子は死にましたと、俺が伝えるのか」


カイの顔が歪んだ。


「やったことは消えない」


殿下が言い切った。


「お前が俺を殺そうとしたことは消えない。全部覚えている」


カイの目から涙が落ちた。今度は隠さなかった。


「だから死ぬな。逃げるな。——生きて返せ」


カイの手から短剣が落ちた。


石畳に当たった。乾いた金属音。


カイが崩れた。肩を掴まれたまま。


「すみません——」


声が割れていた。


殿下は黙って、手を離さなかった。


私は壁際にいた。見えない手で口を押さえていた。


何もできなかった。声を出せたら止められた。カイが刃を自分に向けた瞬間、叫べたら。でも声は出ない。身体は動いたけど、殿下の方が速かった。


——私は、こういう時に何もできない。


いつもそうだ。見ているだけ。壁を叩くだけ。物を動かすだけ。


目の前で人が壊れていくのを見ているのに。


足元の石を踏んだ。音が鳴った。小さく。自分でも聞こえるかわからないくらいの音。


でもカイが顔を上げた。


涙の跡の顔で、空き地を見ている。何もない空間を。


「……加護が、いるのですね」


殿下が頷いた。


「お前の母を見つけたのも、鍵を盗んだのも、連れ出したのも——この加護だ」


カイが、何もない空間に向かって頭を下げた。


「ありがとう、ございます」


——やめて。お礼なんか言わないで。私は何もできなかった。今だって何も。


涙が出そうだった。出たら声が出る。


唇を噛んだ。


殿下が立ち上がった。カイに手を差し出した。


「立て。——やることがある」


カイがその手を見ていた。長い時間。


取った。


立ち上がった。

お読みいただきありがとうございます!

もし「面白そう!」「続きが気になる!」と思っていただけたら、

広告の下にある【☆☆☆☆☆】を【★★★★★】にして応援していただけると、執筆(投稿)の励みになります!

ブックマークもぜひポチッとお願いします。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ