28話:面会の資格
学園に戻ってから、三日間は何もしなかった。
殿下が動かなかった。ルークと話すのは深夜だけ。昼間はいつも通りに講義を受けて、いつも通りに執務をして、いつも通りに「次期王太子候補」の顔をしている。
私は三歩後ろ。すり足。足音を殺して。
——あの地下の女の人のことを、ずっと考えている。
パンと水。窓のない部屋。壁を見つめている目。
あの人が何者なのか。カイと、どう繋がるのか。
殿下もそれを考えているはず。でも動かない。焦っていない。
三日目の夜。ルークが部屋に来た。
「で、どうすんだ」
殿下が地図を広げた。城の見取り図ではない。紙に自分で描いたもの。あの日歩いた廊下の配置を記憶から起こしている。
「あの地下に入るには、王族の用事が要る。俺が一人でふらふら歩いていたら怪しまれる」
「だろうな」
「面会という名目が一番自然だ。——囚人に面会する王族」
ルークが顔を上げた。
「……俺か」
「お前だ」
「やっぱり俺か」
ルークが椅子の背もたれに体重を預けた。天井を見ている。
「何やる。殿下に暴言吐く? 殴る?」
「殴れ」
「マジで?」
「芝居だ。俺が城に行く用事を作る。お前が俺に暴力を振るった。王族への暴行は牢に入れるに足る」
「……入るのは城の牢だよな。学園のじゃなくて」
「王族への暴行は学園の管轄ではない。王宮で裁く。——だから城の牢に入る」
ルークが腕を組んだ。考えている顔。
「いつやる」
「来週。父上への定例報告がある。その場で」
「……ノリノリだな、レクト」
殿下の口元が少しだけ動いた。笑ったのかもしれない。一瞬だけ。
「殴る時は手加減しろ。本気で来たら痛い」
「レクトが避ければいいだろ」
「避けたら芝居にならない」
ルークが頭を掻いた。殿下は地図に目を落としている。
「面会の時に中を見る。衛兵の数、鍵の場所、交代の時間。聖女にも見てもらう」
こん。壁を小さく叩いた。
「それが揃えば——夜に動ける」
◇
殿下が城に出向く日。
馬車の中で、ルークは静かだった。いつもなら殿下にだらだら話しかけるのに。窓の外を見ている。
「緊張してるのか」
「してねえよ。——殴る段取り考えてるだけだ」
殿下が少しだけ笑った。
「左頬にしてくれ。右は書類に支障が出る」
「注文多いな」
門を通った。馬車を降りた。
廊下を歩く。案内の従者。手続きの部屋。殿下が中に入って、定例報告の書類を広げた。ルークが後ろに控えている。
報告が終わった後、廊下に出た。
タイミング。他の従者が二人、廊下を歩いてくる。
ルークが殿下の肩を掴んだ。
「——もう一度言ってみろ!」
声が廊下に跳ね返った。殿下が半歩よろけた。芝居だけど、掴み方はかなり乱暴に見えた。
「ルーク、落ち着け」
「落ち着けるか! お前は本当にそれでいいのか!」
ルークの拳が振り上がった。
——あ。本当に殴るんだ。
ごっ。
鈍い音。殿下の左頬。殿下がよろけて壁に手をついた。芝居——だよね。でもあの音は痛い。
従者たちが足を止めた。目を見開いている。
「何をしている!」
「……俺が悪い」
ルークが拳を下ろした。大人しく。殿下が頬を押さえて立ち上がる。
「衛兵を呼べ。この者を拘束しろ」
殿下の声は冷たかった。芝居だとわかっていても、背筋が冷えた。
衛兵が来た。ルークの腕を掴む。ルークは抵抗しなかった。
「王族への暴行だ。地下の牢に入れておけ」
地下。
衛兵がルークを引きずっていく。ルークが振り返った。殿下を見ている。目だけが——大丈夫だ、と言っている。
殿下は答えなかった。頬を押さえたまま、ルークが連れて行かれるのを見ていた。
従者が駆け寄ってきた。殿下の頬を見ている。
「殿下、お怪我は——」
「大したことはない。——明朝、面会に行く。あの者に直接話がある」
殿下が歩き出した。私は三歩後ろ。すり足。
……殿下。左頬、赤くなってる。ルーク手加減してなかったんじゃないの。
◇
翌朝。
殿下が面会を申し出た。衛兵は二人、階段の上に立っていた。殿下の顔を見て、敬礼。
「面会でしたら、お付き添いいたします」
「不要だ。私的な話をする」
衛兵が少し迷った顔をした。でも殿下は王子だ。王族が命じれば従う。
「……では、何かあればお呼びください」
階段を降りた。殿下の足音が石段に響いている。私はその後ろ。足音を殿下のそれに重ねて消している。
冷たい空気。湿った壁。天井の低い通路。
一昨日と同じ場所。鉄格子の並ぶ廊下。
違うのは、奥に衛兵がもう一人いること。通路の突き当たりに椅子を置いて座っている。鍵束が腰にぶら下がっている。
——あれ。鍵。
殿下が進んだ。奥の衛兵が立ち上がった。
「殿下。昨日投獄された者はこちらです」
ルークの牢の前に案内された。鉄格子の向こうにルークが座っている。壁に背をつけて、足を投げ出して。
「よう。来たか」
殿下が鉄格子の前に立った。衛兵は少し離れた場所で控えている。
「痛かったぞ」
「知るか。お前が左って言ったから左にした」
小声。二人の会話は衛兵には聞こえない距離。
私はその間に見ていた。
衛兵は一人。通路の突き当たりに椅子。鍵束は腰の右側。牢の扉は鉄格子。鍵穴は外側。内側からは開けられない。
通路の灯りは燭台が四本。等間隔。一本消えたら暗くなるけど、完全な闇にはならない。
あの女の人の牢は——ルークの牢から三つ先。奥の方。衛兵から遠い。
殿下がルークと話しながら、ゆっくりと視線を動かしていた。通路の構造を見ている。衛兵の位置。鍵束。牢の配置。
「反省したか」
「してねえ」
「しろ。——明日もう一度来る」
明日。もう一度。それは、今日見た情報を持ち帰って、明日の夜に動くということ。
殿下が階段を上がった。私も。衛兵の横を通る。すり足。慎重に。
上に戻った。
◇
夜。
殿下の部屋。紙に書き出している。衛兵一名。鍵束は腰。交代は——
「聖女。深夜の交代を見たか」
こん、こん。
見ていない。私が地下にいたのは昼間だけだ。
「今夜、もう一度地下に行けるか。衛兵の交代時間を確認してほしい」
こん。
「一人で城の中を動ける」
確認ではない。念押し。殿下がこちらを見ている。ずれてるけど。
こん。
行ける。あの道は覚えている。
◇
深夜。城の廊下は昼と別の場所だった。
足音がどこまでも響く。自分の音を殺しても、遠くで衛兵が歩いている靴音が壁を伝ってくる。
紋章の廊下。窓がない区画。階段。
下りた。
衛兵は——一人。昼と同じ位置。椅子に座っている。だが姿勢が違う。背もたれに体重を預けて、顎が落ちかけている。
居眠り。完全には寝ていない。でも注意力は落ちている。
しばらく待った。壁に背をつけて、暗い通路の隅で。
衛兵の呼吸が深くなった。顎が落ちる。目が閉じている。
——今。
いや、まだ。今は交代時間を確認しに来ただけ。
待った。どのくらい経ったかわからない。足が冷えた。石の壁が背中から体温を吸い取っていく。
足音。
階段の上から。別の衛兵が降りてきた。椅子の衛兵が目を開けた。
「交代だ」
「異常は」
「なし」
鍵束を渡した。腰から外して、手渡し。
——交代の時に鍵も渡すんだ。
新しい衛兵が椅子に座った。前の衛兵が階段を上がっていく。
交代。今が深夜の——時間はわからないけど、城の鐘が二つ鳴った後だった。
戻った。来た道を。音を殺して。
◇
殿下の部屋に戻った。殿下は起きていた。
こん。
「交代を見たか」
こん。
「鍵はどうなっている。衛兵が持っているか」
こん。
「交代の時に引き継ぐか」
こん。
殿下が考えている。
「交代の直後なら、新しい衛兵が着席してすぐだ。最も注意力が落ちる瞬間がある」
——殿下。それ、経験則?
「鍵束を外せるか」
こん。
外せる。腰にぶら下がっているだけだ。留め具がどうなっているかは近づいて見ないとわからないけど——触れれば外せると思う。
「明日の夜だ」
殿下がこちらを見た。
「あの人を連れ出す。お前に頼ることになる」
こん。一回。
「頼んでばかりだな」
——殿下。それ言うのやめて。毎回泣きそうになるから。
◇
翌日、殿下は予定通り面会に行った。ルークに小声で段取りを伝えている。
「今夜、聖女が鍵を持って降りる。お前の牢を開ける。その先にカイの——」
殿下が言葉を切った。
「カイに関係があると思われる人がいる。その人を連れ出す」
「俺は」
「お前はまだ牢にいろ。明後日、釈放を申し出る。早すぎると怪しまれる」
「了解。……楽しくなってきたな」
「楽しむな」
ルークが笑った。殿下は笑わなかった。
私はまた見ていた。衛兵の動き。鍵束の留め具。革紐で腰帯に結んである。紐を解けば外れる。
できる。
——明日、決行する。
お読みいただきありがとうございます!
もし「面白そう!」「続きが気になる!」と思っていただけたら、
広告の下にある【☆☆☆☆☆】を【★★★★★】にして応援していただけると、執筆(投稿)の励みになります!
ブックマークもぜひポチッとお願いします。




