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【完結】断罪された悪役令嬢は存在ごと消されました ~見えません、聞こえません、でも殿下の毒杯くらいは弾けます~  作者: Lihito


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26話:ぬるい杯

部屋に戻った。


殿下が懐から矢を三本取り出して、机の上に並べた。蝋燭の灯りが矢じりの金属を照らしている。


ルークが扉の前から立ち上がった。殿下の顔を見て、怪我がないことを確認して、それから——机の上に目を落とした。


表情が変わった。


矢を一本取り上げた。矢じりを指で触って、軸を回した。羽根の根元を親指で撫でている。


「……これ、どこで」


「カイに射られた」


「カイに——?」


ルークの声が低くなった。殿下は答えず、残りの二本を並べ直している。


「ルーク。何かわかるか」


「わかるも何も——」


ルークが矢羽を引っ張った。指の爪で巻き糸を弾く。


「この巻き方。金具の嵌め方。うちみたいな田舎の騎士でも見ればわかる。街の工房や猟師の矢じゃない」


矢じりを蝋燭に翳した。金属の表面に、微かな刻印が浮かんでいる。


「王宮の武器庫だ。軍用の正規品。そこらの傭兵が持てるもんじゃない」


殿下がしばらく黙った。矢を見ている。


「カイが、王宮の矢を持っている」


「ああ。……おい、ってことは——」


「決めつけるのは早い。ただ——」


殿下が椅子に座った。背もたれには寄りかからない。


「エルド兄上にもユリウス兄上にも、今あれだけのことがあった後に暗殺を仕掛けるのは考えにくい」


ルークの顔が強張った。蝋燭が一つ、ぱちっと爆ぜた。二人とも口を閉じている。


「……まさか」


ルークの声が掠れていた。


「まさか、でなかったら困る。だから調べる」


殿下が矢を引き出しにしまった。三本とも。


「近々、宮殿に出向く。軟禁解除の正式な手続きが残っている。不自然ではない」


ルークが頷いた。


殿下がそこで、一度部屋の中を見回した。壁際。私がいるあたりを——少しずれてるけど。


「聖女。聞こえているなら」


こん。壁を一回叩いた。


「宮殿の中で、動いてもらいたいことがある。俺が入れない場所がある。——お前なら、入れる」


入れる。透明なら。


殿下は具体的な場所を口にしなかった。でも意味はわかった。王族の私的な区画。殿下が若い王子の立場で踏み込めば不自然な場所。見えない人間なら、歩ける。


「危険だ。断ってくれても構わない」


こん。


一回。迷わなかった。


殿下が小さく息を吐いた。頷きかけて——止まった。


「……ありがとう」


——そういう顔するからついて行きたくなるんだよ、殿下。





馬車の中は狭かった。


殿下とルークが向かい合って座っている。私は二人の足元の床に座り込んでいた。客室に入ったら見えない身体一つ分の空間が不自然に空くから。


窓の外が流れていく。学園の門を出たのは、透明になってから初めてだった。


石畳の振動。車輪の音。窓の向こうに商店の看板、果物売りの声、犬の鳴き声。馬車がすれ違う時の怒号。


——こんなにうるさいんだ、外。


やがて道が広くなった。建物の質が変わる。石壁が高くなって、装飾が増えていく。


門が見えた。門柱だけで学園の講堂くらいある。衛兵が左右に立って、槍の穂先が光を弾いている。


王城。


殿下とルークが降りた。私は扉が閉まる前に滑り出た。靴底が石畳に触れた時、微かに——


鳴った。すり足に切り替える。ここは学園じゃない。


城の中は冷たかった。石壁が分厚い。天井が高い。殿下とルークの足音が廊下に響いている。


案内の従者がついた。手続きの部屋に向かう途中、殿下の足が一度だけ遅くなった。


左に伸びる廊下の前。装飾が他より重い。壁に紋章が彫られている。


殿下は何も言わなかった。視線だけがその廊下の奥に向いて、すぐに戻った。


——あっち。


それだけで十分だった。


殿下たちが角を曲がって遠ざかっていく。足音が小さくなる。


一人になった。


左の廊下に、足を踏み入れた。





一歩が怖い。


すり足。石畳の目地を避けて、足裏をそっと滑らせる。学園なら多少音が出ても殿下がごまかしてくれた。ここにはそれがない。


廊下が奥に伸びている。窓が小さくなって、光が減っていく。壁の紋章が大きくなる。


人がいない。逆に怖い。人がいない場所は——足音が響くから。


角を曲がった。扉が並んでいる。どれも重そうな木。鉄の取っ手。


その奥。廊下の突き当たりに大きな扉。少しだけ、開いていた。


声が聞こえた。


「——急かせ。いつまでも待てん」


一言。低い声。年齢のある声。


返事。もっと低い声。従者の声。言葉は聞き取れなかった。


足音がこちらに向かってくる。


——まずい。


壁に張り付いた。呼吸を止めた。


従者が扉から出てきた。廊下をこちらに歩いてくる。すれ違う。外套の裾が私の腕を掠めた。


通り過ぎた。足音が遠ざかる。角を曲がって、消えた。


息を吐いた。手のひらが汗で冷たい。


扉がまだ開いている。隙間から覗いた。


広い部屋。窓際の椅子に男が座っていた。


大きくはない。痩せてもいない。白髪の混じった髪。顔は普通だった。怖くも、立派でもない。でも座り方が違う。椅子も部屋も城も、全部が自分のものだという座り方。


杯を持ち上げた。一口飲んで、眉を寄せた。戻した。


——この人が。


この城の、主。


殿下の——


扉の蝶番がかすかに鳴った。私の手が触れていた。反射的に離す。


男の視線がこちらを向いた。


一瞬。扉の隙間を見ている。


心臓が喉まで上がった。


男の目が——素通りした。何もない廊下を一瞥して、すぐに窓の外に戻った。


見えていない。当然だ。でも足が動かなかった。


そのまま、壁伝いに、進んだ。抜き足差し足忍び足。一歩ずつ。音を殺して。




——コンラート王視点——



杯がぬるい。


替えを持ってこさせたのに、またぬるい。使えない。


窓の外を見た。庭園。噴水。城壁。全部自分のものだ。


レクトが城に来ている。


手続きだと。軟禁を解いてやったのだから黙って学園にいればいいのに。わざわざ顔を見せに来る。


——厄介なのが残った。


王子は三人いる。三人ともに手は打ってあった。誰が伸びても自分の手のうちにある形を作るのが王の仕事だ。エルドには正義を信じさせておけばよかった。ユリウスは放っておいても風向きで倒れる。


レクトだけは違った。従わない。操れない。だから早めに摘んでおくつもりだった。カイをつけたのは入学の前からだ。さりげなく始末しろと。あの男は優秀だから、問題なくやると思った。


毒杯は弾かれた。何度仕掛けても、なぜか上手くいかない。結局カイは正体を見破られて引くはめになった。


上の二人は勝手に潰れた。それは構わない。あの二人が消えること自体はどうでもいい。王太子など飾りだ。誰が就こうが、自分がいる限り実権は渡さない。


問題は——残ったのがレクトだということだ。言うことを聞かない子供に王太子の冠をかぶせて制御できるか。できない。あの子はそういう種だ。


面倒だ。自分が考えるような話ではないのに。


——まぁそろそろ宴にでも招いてやるか


カイは「加護」だと言った。見えない力がレクトを守っていると。何を言っているのかと思った。おとぎ話か。


だが何度やっても失敗した説明にはなる。


加護であれ何であれ、邪魔なら消す。それだけの話だ。


廊下で、かすかに音がした。


石畳を何かが擦ったような。


目を向けた。扉の隙間。暗い廊下。何もない。


「……ネズミか」


カイ。あの男は確かに使える。だが最近、遅い。報告も動きも。以前はなかったことだ。


有能な犬ほど扱いが面倒だ。


まあいい。噛めはしない。あの男には逆らえない理由がある。それを握っているのは自分だ。


従者を呼んだ。


「変わったことは」


「特には」


「カイは」


「引き続き、学園の近辺に」


「遅い。急かせろ」


「——それと、地下の食事は減らすな。死なれたら意味がない」


従者が頭を下げて出ていった。


杯を持ち上げた。ぬるい。


何もかも思い通りにいかない。自分がこんなことに頭を使わなければならないのが、一番腹が立つ。


替えを呼ぶことにした。

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