20話:正しい手続き
殿下がユリウスに資料を渡したのは、三日後の夜だった。
殿下の部屋。机の上に書類の束。ユリウスが椅子に深く座って、一枚ずつめくっている。
「すごいな。ここまで揃えたのか」
「まだ裏が取れていないものもある」
「十分だろ。これだけあれば、学園側も無視できない」
殿下が頷いた。ルークは壁にもたれて腕を組んでいる。
私は部屋の隅にいた。
胸がざわつく。あの日からずっと。渡り廊下の角で見た顔が消えない。
でも今のユリウスは普通だ。普通に資料を読んでる。普通に笑ってる。
——光の加減だった、と思いたい。
「俺からも少し動いてみるよ。社交の場で、それとなく」
「無理はするな」
「お前に言われたくないって」
ユリウスが笑った。いつもの笑顔。
——うん。普通。大丈夫。
◇
呼び出しが来たのは、その翌週だった。
殿下宛の封書。学園長室からの正式な召喚状。「学園運営に関する調査活動について、聴取を行う」。
殿下は封を開けて、一度だけ目を閉じた。
「……来たか」
「おい。やばくねえか、これ」
ルークが封書を覗き込んでいる。
「学園長室から直接だぞ。しかも——聴取って」
「調べていたことが、向こうにも伝わったんだろう」
「伝わったって——誰が」
殿下が首を振った。
「今はそれより、聴取の準備だ。調査の経緯を整理する。正当性を示せれば問題ない」
——殿下がそう言う時、だいたい大丈夫じゃないんだけど。
◇
聴取の場所は、講義棟の奥にある大会議室だった。
長い机。椅子。窓のカーテンが半分引かれていて、奥が暗い。
学園長はいなかった。
代わりに座っていたのは——エルド。第一王子。
金髪を後ろに撫でつけた、隙のない顔。制服ではなく正装。白い手袋。背筋が定規みたいに真っ直ぐ。
その隣に、ユリウス。
——は?
なんでそっち側にいるの。
殿下が入口で足を止めた。一瞬だけ。すぐに歩き出して、長机の手前に座った。ルークが後ろに立った。
私は壁際から入った。
机の上を見た。資料がファイルに綴じられている。金具で留められていて、一枚ずつ外せない。ページの端に番号が振ってある。筆記具はエルドの手元にまとめられている。
——なにこれ。触れても抜き取れないじゃん。
「座ってくれ、レクト」
エルドの声。丁寧。殿下を見る目が——教師が生徒を呼び出した時の目。
嫌だ。
「本日は学園長の代理として、私が聴取を行う。学園運営に関する内部資料を、許可なく閲覧・複写した疑いについてだ」
——調べた側が疑われてるんですけど。
「まず確認する。ここに並んでいる資料は——」
エルドが机の上に紙束を広げた。
殿下の字だった。殿下がまとめた調査資料。最後のページの右下に、殿下の署名があった。
——あれ、ユリウスに渡した時、署名なんてしてたっけ。
殿下の目がユリウスの方を動いた。ユリウスは目を伏せている。
「これらの資料は、学園の機密文書に基づいて作成されている。教員人事、成績評定の変更記録、処分審査の議事録——いずれも閲覧許可が必要な文書だ。レクト、お前は閲覧許可を申請したか?」
「……していない」
「していない。つまり無許可で機密文書にアクセスし、それを私的に複写・整理した」
「それは——不正を——」
「不正の有無は、今の論点ではない」
穏やかに遮った。
「今問うているのは、お前の調査方法の正当性だ。目的が正しければ手段は問わないのか? レクト。お前はそういう人間なのか?」
殿下が黙った。
——いや、お前の婚約者の話は?
「次に、資料の内容について確認する」
ない。ないんだ。そっちの話は。
エルドが一枚目をめくった。金具に留めたまま。
「成績評定の変更——七件。教員の名前が記されている。お前はこの教員たちに直接聴取を行ったか?」
「一部には確認を取った」
「一部。では残りは、書類の記載だけを根拠に不正と判断した」
「書類の記載が不自然だったから——」
「不自然かどうかは、お前が判断することではない」
顔が動かない。眉一つ動かない。
「教員には教員の事情がある。成績の修正には正当な理由が存在する場合もある。それを確認せずに、不正と断定した資料を作成した」
一拍。
「これは中傷だ、レクト」
殿下が口を開きかけた。エルドがもうページをめくっていた。
「処分審査の議事録について」
待たない。一個ずつ、同じテンポで、同じ温度で、殿下を削っていく。
「処分審査の議事録は、本来、学園評議会の決裁を経なければ閲覧できない。お前は評議会に申請したか?」
「していない」
「では、どうやって入手した」
殿下が答えない。
「答えられないなら、不正な手段で入手したと判断する」
「……それでも、内容は事実だ」
殿下の声が硬い。
「内容が事実かどうかは、然るべき手続きを経て調査されるべきものだ。お前が個人の判断で行うことではない」
エルドが書類を閉じた。ゆっくり。丁寧に。金具をきちんと留め直した。
「裏付けのない断定を並べた資料を作成し、配布した。これは捏造と呼ばれても仕方のない行為だ」
「まして——その資料を第三者に渡す行為は、情報漏洩にあたる」
殿下の肩が動いた。
ユリウスの方を見た。
「ユリウス——」
「ユリウスに何を求めている?」
エルドが遮った。
「俺に話を持ちかけたのは——」
「話を戻せ、レクト」
「だが——」
「ユリウスは本件の当事者ではない。同席しているのは王族としての立会いだ」
殿下の顎が動いた。歯を食いしばっている。
「処分審査の議事録には、三件の退学処分が記録されている」
何事もなかったみたいに戻った。殿下がユリウスに手を伸ばしたこと自体、なかったことになっている。
「この三件について、お前は『不正な退学処分』と記載しているが——対象の生徒に聴取は行ったか?」
「そのうち一件は、クレア・モレッティだ。彼女の退学の経緯は——」
「経緯は聞いていない。聴取を行ったかと聞いている」
「……行っていない」
「行っていない。退学した生徒に確認も取らず、処分が不正だと断定した」
エルドが首を傾けた。ほんの少し。
「レクト。お前は正義感が強い。それは美徳だ。だが——」
——来た。褒めてからの「だが」。
「正義感だけで動く人間は、自分の正義を疑わない。それは暴走と同じだ」
——それお前のことでは。
殿下の拳が膝の上で白くなっている。
「最後に一つ、伝えておくことがある」
エルドが手袋を直した。人差し指。中指。薬指。一本ずつ。
「ユリウスがお前に接触し、情報を提供し、調査を促したこと。あれは全て、私の指示だ」
殿下の目が開いた。
ルークが壁から背を離した。
「お前の調査内容は、最初から全て把握していた。ユリウスを通じて、逐一報告を受けていた」
エルドの声は変わらない。さっきと同じ温度。
「だが勘違いするな。これは罠ではない。お前が自分で選んだ行動の結果だ。私はただ、見ていただけだ」
——全部仕込んでおいて「見ていただけ」。
殿下がユリウスを見た。
ユリウスが、ようやく顔を上げた。
「——まあ、そういうこと」
軽い。
肩をすくめた。ちょっと困ったみたいな顔。
「悪く思うなよ、レクト。兄上に頼まれたら断れないだろ、普通」
——普通?
パン粥二杯。「また飯作ってくれよ」。「力にはなれないかもしれないけど」。
全部あれで。
「よって、調査結果が出るまでの間、お前を自室待機とする。外出、通信、面会は制限される」
エルドが椅子を引いた。
「異論があれば、然るべき手続きを経て申し立てろ」
殿下が立ち上がった。顔が白い。
何も言わなかった。ルークの方を見て、小さく頷いて、扉に向かった。
ルークがユリウスを睨んだ。拳が白い。
「ルーク」
殿下が振り返らずに呼んだ。
ルークが歯を食いしばって、殿下の後を追った。
扉が閉まった。
エルドがユリウスの方を向いた。
「ご苦労だった」
「いやあ、疲れた。真面目な弟を騙すのって気が引けるね」
気が引ける顔を一ミリもしてなかった。椅子の背にもたれて、伸びをしている。
「それにしても兄上、全部想定通りじゃん」
「想定も何もない。道理に沿って動いただけだ」
「出た出た。道理」
ユリウスが笑った。からかうみたいに。エルドは表情を変えない。
——行かなきゃ。
走った。部屋を出た。廊下を走った。
殿下の部屋の前に衛兵が二人立っていた。知らない顔。
殿下はもう中にいた。扉が閉まっている。
ルークが扉の前にいた。
「面会は許可されておりません」
「俺はレクトの——」
「いかなる人だとしても、全ての面会を制限するよう指示を受けております」
ルークの拳が震えている。
壁は壁。扉は扉。透明でも、抜けられない。
殿下が一人で、あの部屋にいる。
——見てた。あの時。資料を渡す時、胸がざわついてた。
止められなかった。
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