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【完結】断罪された悪役令嬢は存在ごと消されました ~見えません、聞こえません、でも殿下の毒杯くらいは弾けます~  作者: Lihito


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19話:陽だまりの裏

学園祭が終わってから、静かになった。


嫌な静かさじゃない。アリシアのちょっかいが止まった。廊下ですれ違っても仕掛けてこない。取り巻きの姿も見ない。嵐の後みたいに、何もない日が続いている。


殿下は普通に講義を受けて、普通に自室に戻って、普通に書類を読んでいる。ルークが横で欠伸をして、トビアスが茶を淹れている。


——平和だ。


平和なのに落ち着かないのは、たぶん性格の問題。





その日は、中庭のベンチだった。


昼の鐘が鳴って、殿下とルークが講義棟から出てきた。いつもの場所。噴水の横のベンチ。ルークがパンを齧りながら何か喋っている。殿下が聞いている。


私はベンチの後ろ、植え込みの影に立っていた。日差しが暖かい。風が花壇のラベンダーを揺らしている。


「——あれ、レクトじゃん」


声がした。


知らない声。明るい。軽い。少し高めで、よく通る。


振り返った。——殿下とルークも振り返った。


渡り廊下の方から、一人の男が歩いてきた。


金に近い茶髪。殿下より少し背が低い。制服の着こなしが緩い。ボタンを一つ開けていて、袖を軽くまくっている。散歩みたいな足取り。


「久しぶり。元気そうだな、レクト」


殿下が立ち上がった。


「——ユリウス兄上」


「兄上はやめろって。堅いんだよ、お前は昔から」


笑いながらベンチに近づいてくる。三歩で隣に来て、ぽんと肩を叩いた。


——えっ、近い。


第二王子。ユリウス・アルベルト。殿下の二つ上の異母兄。名前は知ってる。でも学園で見かけたことは一度もなかった。


「そっちは?」


ユリウスがルークを見た。


「ルーク・ヴァレンです。殿下の——」


「ああ、知ってる知ってる。学園祭のパン粥の人だろ」


「は? なんで知ってんだ」


「食べたよ。美味かった。あの出汁、乾燥肉を前の晩から煮込んだやつだろ」


ルークが目を丸くした。


「マジで食ったのか」


「二杯食べた。おかわりしていいか聞いたら笑顔で盛ってくれたぞ。——え、覚えてない? 傷つくな」


「客多すぎて覚えてねえよ……」


「ひどい。俺は美味かったからわざわざ二杯目取りに行ったのに」


ルークが笑った。


——ルークが笑った。王族相手に。初対面で。


なんだろう、この人。殿下ともルークとも全然違う。近い。距離が。


殿下がまだ少し硬い顔をしている。でも嫌がってはいない。


「何の用だ、ユリウス」


「用がないと弟に会いに来ちゃいけないのか?」


「いつも来ないだろう」


「それは——まあ、否定しない」


ユリウスがベンチに座った。殿下の隣。足を組んで、空を見上げた。


「ちょっと気になることがあってさ」


「気になること?」


「お前、最近ずいぶん目立ってるだろ。審問とか学園祭とか。色々聞こえてくるよ」


殿下の目が少し鋭くなった。


「それがどうした」


「いや、偉いなと思って。純粋に。俺は面倒なことが嫌いだから、ああいうのに首突っ込む気力がない」


笑っている。嫌味がない。本当にそう思ってるみたいな顔。


「——で、ちょっとだけ真面目な話していい?」


ユリウスが足を下ろした。


殿下が頷いた。ルークはパンを齧る手を止めている。


「エルドリッジの令嬢の件、お前がだいぶ掘ったんだろ。審問のことも聞いた。あの子が台本を読まされてたってのもな」


「……どこで聞いた」


「学園中で噂になってるだろ。審問の翌日には広まってた」


殿下が黙った。否定はしない。


ユリウスが声を少し落とした。


「あのさ。エルドリッジの令嬢がやってきたこと——退学の件とか、成績への口利きとか。お前が見つけた分だけじゃないと思うぞ」


「……何を知ってる」


「確証はない。ただ、ちらほら聞こえてくるんだよ。あの家の令嬢が動くたびに、教員の判断が不自然に変わってる話。成績、配置、処分——全部。しかも令嬢一人の力でできる規模じゃないだろ、普通に考えて」


ルークが口を開いた。


「エルドリッジ家が裏で回してるってことか?」


「それだけなら家の権力の話だ。でも——」


ユリウスが殿下を見た。


「学園運営への介入がここまで常態化してるのに、誰も止めてない。止められる立場にいる人間が黙認してるか、協力してるか。そうなると——」


言葉を切った。


殿下が先を引き取った。


「兄上——エルドが関わっている、と?」


「俺の口からは言わない。けど、お前は頭がいいからわかるだろ」


噴水の水音。鳥の声。それだけ。


ルークが腕を組んだ。


「……で、なんでそれをこいつに言いに来たんだ」


——それ。それ聞きたかった。


ユリウスがルークの方を向いた。


「お前の主人が正しいことをしてるからだよ。審問の時、あの子に『今なら許す』って言っただろ。あれ、俺は好きだった」


ルークが殿下を見た。殿下は何も言わない。


「兄上がこの国の次の王になる。俺はそこに口を出す気はない。でもさ——あんな婚約者を好きにさせてて、不正の噂まで出てるのに何もしない人間が、次の王に相応しいと思うか?」


殿下が口を開いた。


「確証がないと言ったな」


「ああ」


「なら、調べる」


「——そうくると思った」


ユリウスが笑った。嬉しそうに。弟の言葉が嬉しかった、みたいに。


「無理すんなよ。何かあったら言えよ。力にはなれないかもしれないけど、話くらいは聞ける」


立ち上がった。伸びをした。


「ルーク、また飯作ってくれよ。次は金払うから」


「客は選ばねえよ。来たら出す」


「最高。——じゃあな、レクト」


手を振って、渡り廊下の方に歩いていった。足音が軽い。来たときと同じ散歩みたいな歩き方。


殿下がベンチに座ったまま、兄の背を見ていた。


「……悪い人じゃないな」


ルークが言った。


「そうだな」


「でも、信用していいかは別の話だぞ」


「わかってる」


——うん。そう。そうなんだけど。


なんだろう。嘘の匂いがしなかった。全然。





翌日から、殿下の動きが変わった。


講義の合間に教官棟に足を運ぶようになった。書庫に入る回数が増えた。夜、机の上の書類が倍になった。


ルークが手伝っていた。書類の束を抱えて、殿下の部屋に運び込んでいる。


「おい、これ全部読むのか」


「必要な部分だけだ」


「どこが必要かわかんねえから全部持ってきたんだけど」


「……ありがとう」


「礼はいい。飯の時間はちゃんと取れ」


殿下が頷いた。でも夕食の時間を過ぎてもペンを置かなかった。ルークが無言でパンとスープを机の端に置いた。


——ルーク、偉い。


私も棚の上から殿下の茶を温め直して、カップの位置を少しだけ手元に寄せた。


殿下がふと手を止めて、カップを見た。


「……茶が温かいな」


「淹れたの俺じゃねえぞ」


「知ってる」


——知ってるの?


いつもの「気のせいだ」は?


殿下はそれ以上何も言わなかった。カップを持ち上げて、一口飲んで、また書類に戻った。


……飲んでくれたから、いいけど。


翌日、ユリウスが殿下の部屋に来た。鞄から紙束を三枚出した。走り書き。


「社交の場で聞いた話をメモっただけだから、精度は保証しない。でもお前が書庫で探す手間は省けると思う」


殿下が受け取った。目を通している。ページをめくる指が速くなった。


「ユリウス。これは——」


「だから確証じゃないって。お前が自分で裏を取れ。俺は情報を出す以上のことはしない。立場上な」


手を広げて見せた。おどけている。殿下が小さく頷いた。


ユリウスが帰っていく。手を振って、廊下に消えた。





翌日の昼。中庭。


殿下とルークがいつものベンチにいた。ユリウスも来ていた。三人並んで座っている。殿下の口元が少し緩んでいる。


——いいな。この空気。殿下の周りが、少しずつ広くなっていく。


ユリウスが立ち上がった。「じゃあな」と手を振った。


渡り廊下の方に歩いていく。足音が軽い。来たときと同じ散歩みたいな歩き方。


角を曲がる直前。足が止まった。


振り返った。殿下たちの方じゃない。誰も見ていない。


口元が動いた。


笑っていた。


さっきまでの笑顔じゃなかった。目が、笑っていなかった。


——え。


角を曲がった。見えなくなった。


振り返った。殿下がメモに目を落としている。ルークがパンを齧っている。


二人とも、見ていない。


——殿下。


指先が冷たい。五月の陽射しの中で、指先だけが凍っている。


殿下が顔を上げた。風がメモの端を揺らしている。


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