18話:祭りの後
学園祭の三日前から、嫌な予感はしていた。
出店の配置表が講義棟の掲示板に貼り出された時。殿下のグループの隣——わざわざ真横に、アリシアの名前があった。
配置は希望制で、人気のある場所は抽選のはず。でもアリシアの枠だけ、後から書き足されたみたいに不自然な位置にある。
——仕掛けてきた。
学園祭の準備が始まると、もう隠す気もないんだなと思った。
アリシアの出店スペースにテントが建った。二つ分の広さ。テーブルクロスが刺繍入り。食器が陶器。花が活けてある。搬入の荷車が三台来て、中から出てきたのは——ローストの塊、チーズの盛り合わせ、果物のタルト、ワインまである。
全部エルドリッジ家から持ち込んでる。
隣で殿下のグループが小さいテーブルに布を敷いていた。看板は手書き。ルークが袖をまくって鍋を磨いている。
並べたら比較になる。豪華と素朴。金と手作り。アリシアの隣に殿下を置くことで「格の違い」を見せつけて、殿下を小さく見せる——それがあの女の狙い。
しかも、アリシアの店が華やかであればあるほど、人はそっちに集まる。殿下の店の前は閑散として、客が来ない王子の惨めな絵ができる。
噂の上に、目に見える「差」を重ねる。
——えげつない。
でも、わかってる。わかってるなら対策できる。
◇
準備日。
ルークが食材を並べていた。パン、野菜、芋、乾燥肉。全部安い。でも量はある。
「何を作るんだ?」
殿下が聞いた。
「パン粥とシチュー」
「……作れるのか」
「うちは貧乏な騎士の家だぞ。裕福ではねえから、これくらいみんなできる」
ルークの手つきが妙に手慣れていた。野菜を刻む速さが生活感に溢れている。皮を剥く、刻む、鍋に放り込む。一切の迷いがない。
トビアスが横で芋の皮を剥いている。遅い。三個目で指を切った。
「いっ——」
「大丈夫か」
殿下がすぐ振り返った。トビアスの指を見て、布を巻いてやっている。
「す、すみません……」
「気にするな。芋はルークに任せろ」
「おい、俺の仕事増やすな」
ルークが文句を言いながら、芋を引き取った。殿下が薪を足している。火の番だけはやたら正確。
——この人たち、良いな。
私は見えないところで手伝っていた。棚の上の鍋を下ろしたり、足りなくなった薪を積み足したり。誰にも見えないからやり放題。
水桶が空になっていたのを井戸から汲んで置いておいた。布巾が落ちていたのを棚に戻した。木べらが行方不明になっていたのをテーブルの下から見つけて、さりげなくルークの手元に置いた。
ルークが振り返った。
「……あれ、木べらここにあったっけ」
「気のせいだろう」
殿下が即答した。
——気のせいです。
◇
学園祭当日。朝。
中庭が変わっていた。テントが並んで、のぼりが立って、食堂の前には長テーブルが出されている。人が多い。在校生だけじゃなくて、関係者や卒業生の姿もある。
アリシアの店が開いた。
——うわ。
朝からこれか。ローストの匂いが中庭中に漂っている。テントの入口に花のアーチまで作ってある。中にはアリシアが立っていた。淡い色のドレスに近い装い。制服じゃない。髪を巻いて、扇を持って、にこやかに客を迎えている。
学園祭じゃない。晩餐会の入口。
列ができている。通りかかった生徒が吸い寄せられていく。匂いと見た目に。
殿下の店は——
「いらっしゃい。パン粥とシチュー、どっちにする」
ルークが鍋の前に立っている。湯気が上がっている。看板は手書き。テーブルは小さい。
客は——ぽつぽつ。隣のアリシアの店に流れていく生徒を、ルークが「あっち高えぞー」と声をかけて引き留めようとしている。
「安くて美味いぞ!」
「……パン粥か」
「騙されたと思って食ってみろ」
渋々座った男子生徒がスプーンを口に運んで——
「……うま」
「だろ」
「え、これ本当にパン粥? なんか出汁が——」
「乾燥肉を前の晩から煮込んでんだよ。騎士の知恵だ」
客が増え始めた。一人食べると、もう一人連れてくる。「あそこ安くてうまい」が回り始めている。
でもまだアリシアの店の方が圧倒的に多い。見た目が違いすぎる。
◇
昼前。
アリシアの店の厨房裏に回った。
調理担当の生徒が二人。表の対応に出ている。今は誰もいない。
テーブルの上に調味料が並んでいる。塩、砂糖、香辛料。全部上等な瓶に入っている。
——殿下のためだから。仕方ない。
塩と砂糖の瓶を手に取った。蓋を開けて——中身を入れ替えた。
それから棚の奥を見た。見たことのない香辛料がある。赤い粉。蓋を開けたら鼻の奥がツンと痛くなった。
……ちょっとだけ。ちょっとだけだから。
シチューの鍋に、ひとさじ。
いや、もうひとさじ。
——ここまでやっといてちょっとだけは嘘だろ、自分。
タルトの砂糖が塩に変わっている。ローストのソースにも赤い粉をひと振り。チーズの盛り合わせは——さすがにそのまま。チーズに罪はない。
厨房を出た。心臓がうるさい。でも口元が緩んでいる。
——殿下のため。殿下のため。殿下のためです。
楽しんでるだろって言われたら否定できない。
◇
午後。
アリシアの店から出てきた客の顔が、軒並みおかしい。
「……なんか、しょっぱいのに甘い?」
「タルトが塩味なんだけど」
「シチューは……辛いのか甘いのかわかんない。なんか不思議な味」
一人だけ「これ逆にクセになるかも」と言いながら二杯目を取りに行った生徒がいた。
——美味しいの? あの赤い粉そういう感じなの?
まあいい。大勢は顔を歪めて——隣の殿下の店に流れていく。
「安い方にしよう……」
「パン粥うめえって聞いた」
「つーか隣の店、味おかしくない? あの値段であれはないわ」
殿下の店が忙しくなった。ルークが鍋をかき混ぜながら「おかわり!」の声に応えている。トビアスが空の器を回収して走り回っている。転びそうになって踏みとどまった。偉い。成長してる。
殿下が淡々と配膳を続けている。一杯ずつ同じ量。こういうところが真面目。
客が途切れない。一時間前まで閑散としていた小さなテーブルに、列ができている。
アリシアの店には——もう誰も並んでいなかった。
通りすがりの生徒が二人、アリシアの店と殿下の店を見比べていた。
「なんかさ、噂で怖い人だと思ってたけど」
「全然違うじゃん。普通に優しそう」
「パン粥おかわりしていい? って聞いたら笑ってくれた」
——でしょ。
でしょ。あの人はそういう人なんだよ。最初からそうだったんだよ。噂なんか嘘に決まってる。だってずっと見てたから。壁際から。毎日。
……この主張を声に出すとまた不審者になるので黙っておく。
殿下の横でルークが笑っている。トビアスが新しい器を並べている。客が「ごちそうさま」と声をかけていく。殿下が「ありがとう」と返す。
私はその少し後ろで、使い終わった器を棚に戻したり、落ちた布巾を拾ったりしていた。
ルークがまた振り返った。
「器が勝手に片付いてんだけど」
「気のせいだ」
殿下が三度目の即答をした。ルークが怪訝な顔をしている。殿下の口元が少しだけ緩んでいた。
——殿下、気づいてる? 気づいてないよね。気のせいって言ったもんね。
言ったけど、その顔は気のせいだと思ってない顔だよね。
……まあいい。今はいい。
この景色が好きだ。殿下のそばで一緒に頑張ってる人たちの姿。私はその輪には入れないけど。
殿下の隣で、器を渡して、「はい次」って言いたい。声を出して、笑い合いたい。
言えないけど。今は——この場所から見ているだけで。
◇
夕方。投票結果が出た。
一位は薬草学のクラスが出したハーブティーの店。
殿下のグループは三位。
アリシアの店は圏外。
「三位か。悪くないな」
「原価考えたら実質一位だろ」
ルークが腕を組んで胸を張っている。殿下が横で小さく笑った。
「美味しかったです!」
客だった女生徒が片付け中のテーブルに駆けてきた。殿下が「ありがとう」と返した。嬉しそうだった。照れてはいない。でも、嬉しそうだった。
トビアスが空のテーブルを拭きながら泣いていた。嬉しい方の涙。
——よかった。
視線を横に向けた。
アリシアの店。客がいなくなったテント。刺繍入りのテーブルクロスの上に、手つかずのローストが残っている。花はまだ綺麗に咲いている。食器も陶器も、朝と同じ位置に並んでいる。
豪華なまま、誰もいない。
アリシアはテントの奥に立っていた。扇を持ったまま、何も扇いでいない。取り巻きの姿はなかった。
◇
片付けが終わった頃。
殿下が人気のない場所に出た。中庭の裏手。木の下。
「——レクト」
声が聞こえた。
殿下の足が止まった。私の足も止まった。
木の陰から、人が出てきた。
カイだった。
制服ではない。外套を羽織っている。学園祭の雑踏に紛れていたのか。でもあの姿勢、あの足音は間違えない。
殿下の目が細くなった。
「……カイ」
「お久しぶりです」
声のトーンが変わらない。辞める前と同じ。丁寧で、正確で、感情の所在がわからない。
「学園祭を見に来たのか」
「まさか。——最近、殿下がずいぶんご活躍されているようなので。少し気になりまして」
殿下が黙った。カイが一歩近づいた。
「噂も色々流れていたようですが、私がやるなら、あんな生ぬるくはやりませんよ」
「……それは脅しか」
「事実です。——アリシア様がもし協力を求めてくださってたなら、証言くらいはしてもよかったんですが。私ならあの退学させられた生徒と違って、台本がなくともすらすら話せますし」
殿下の表情が動いた。わずかに。
——審問のことを知ってる。
学園の外にいるのに。クレアの台本のことまで。
カイの視線が殿下から離れた。周囲をすっと見回した。
一瞬だけ——私のいる方向で、止まった。
背筋が凍った。
見えるわけがない。誰にも見えない。見えないのに——あの目は、何かを確かめようとしていた。
カイは何も言わなかった。視線はすぐに殿下に戻った。
「——それでは。お元気で」
外套の裾を翻して、雑踏の中に消えていった。
殿下が木の幹に手をついた。しばらく動かなかった。
私も動けなかった。
◇
——アリシア視点——
夜。
中庭の喧騒が遠くなっていく。片付けの音。笑い声。学園祭が終わっていく。
渡り廊下を歩いていた。
一人。取り巻きはいない。ヒールの音だけが廊下に響いている。
足が速い。いつもの余裕のある歩幅じゃない。
東棟。第一王子の居室がある方角。
角を曲がった。その先にある扉の前で足を止めた。
ノックした。二回。
扉が開いた。
「——殿下」
声が震えていた。
「殿下、あの第三王子が——」
扉が閉まった。
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