17話:審問
審問の日が来た。
教員棟の小会議室。長テーブルが並んで、教官席が奥にある。生徒席には殿下とルーク。あとは教官が三人と、書記の生徒が一人。
——この部屋、嫌いだな。
別に私がここで何かされたわけじゃない。でも、この空気は知ってる。壇上に立たされて、言葉を並べられて、反論させてもらえない空気。入学式の断罪と同じ匂いがする。
殿下は席についている。表情が読めない。ルークが隣で腕を組んでいる。こっちはわかりやすく不機嫌。
審問の内容は「第三王子レクト及びその関係者による圧力行為、並びに生徒の退学に関する申し立てについて」。
——退学に関する。
クレアの退学を、殿下のせいにするつもりだ。アリシアが自分でやったことを。
ふざけんな。
でも、今はまだ動かない。
◇
三十分前。
控室にいた。
小会議室の隣の小部屋。机と椅子が四つ。扉は一つ。
アリシアがクレアと向かい合って立っていた。取り巻きのエマが扉の前に立っている。見張り。もう一人のリリアナも部屋の中にいた。
私は部屋の隅。壁に背をつけて、息を殺している。
——ここしかなかった。アリシアが台本を渡すなら、直前のこの場所しかない。
事前に台本を盗んでも意味がない。また作られるだけ。だから直前まで待った。渡す瞬間を狙って、取る。
アリシアが鞄から紙を出した。二枚。折り目がきっちりついている。
「これを読みなさい。一字一句、そのまま。余計なことは言わなくていいの」
クレアが受け取った。手が震えている。
「……これを読めば、復学——」
「約束したでしょう?」
笑っている。優しい声。優しい声が、一番怖い。
クレアが紙に目を落とした。読んでいる。顔色がどんどん悪くなっていく。
「——あの、これは」
「何?」
「第三王子殿下とその取り巻きに圧力をかけられて退学させられた、って……私の退学はそういうことじゃ——」
「あなたが何を知ってるかなんて関係ないわ。読むだけ。考えなくていいの」
クレアが唇を噛んだ。紙を持つ指が白くなっている。
アリシアがクレアの肩を軽く叩いた。
「大丈夫。すぐ終わるから。終わったら復学の手続きに入るわ」
そう言って、机に鞄を置いた。鞄から別の書類を出して確認している。クレアは紙を読み返している。エマは扉の前。リリアナは窓際。
——今だ。
クレアが紙から目を上げた瞬間。アリシアが鞄に目を落とした瞬間。
二歩。机の横。クレアの手元。
指先で紙の端をつまんだ。二枚。するりと抜いた。
クレアの指が空を握った。
「——え?」
自分の手を見た。紙がない。さっきまで持っていた紙が。
「あ、あの——」
「何してるの?」
アリシアが顔を上げた。
「台本が——今、手から——」
「は?」
クレアが足元を見た。椅子の下を見た。机の上を見た。
ない。どこにもない。
——ごめんね。ここにあるよ。私の手の中。
紙は私が触れた瞬間に消えている。見えなくなっている。探しても見つかるわけがない。
「落としたの?」
「落としてません——持ってたのに、急に——」
アリシアの目が冷えた。
「探しなさい」
「は、はい——」
クレアが膝をついて床を探し始めた。エマとリリアナも動いた。机の下。椅子の下。窓際の棚の裏。
四人が部屋の中を動き回っている。
——やばい。
狭い。この部屋、狭い。四人が動き回ると、隅に立ってるだけじゃ避けきれない。
エマが私の左を通り過ぎた。肩が触れるか触れないか。
息を止めた。壁に張りつく。
リリアナが窓際から振り返って、まっすぐこっちに——
横にずれた。椅子の背に腰がぶつかった。
かたん。
「……今の音、何?」
リリアナが首を傾げた。
——お願い。気にしないで。
「椅子でしょ。いいから探して」
アリシアの声。助かった。
クレアが机の裏側に手を伸ばした。私の足の横。指先が靴に触れる寸前——
足を引いた。ぎりぎり。本当にぎりぎり。
心臓がうるさすぎる。透明の身体に心臓の音だけが響いてる。聞こえたら終わりだ。
アリシアが舌打ちした。
「——もういいわ。時間がない」
紙が見つからないまま、五分が過ぎていた。
「クレア。大筋は覚えてるわね?」
「え——あ、あの、大筋って——」
「殿下とその取り巻きに圧力をかけられた。それが原因で退学させられた。そのまま言えばいいの。細かいことは聞かれたら適当に合わせなさい」
クレアの顔が真っ白になった。台本があれば読むだけでよかった。でも自分の言葉で、あの審問の場で——
「……わ、わかりました」
「よろしい。行きなさい」
クレアが出ていった。エマとリリアナが扉の前に残った。
アリシアは部屋に残っている。椅子に座って、扇を開いた。
——出られない。
扉の前にエマ。部屋の中にアリシア。私はこの部屋に閉じ込められたまま。
台本は取った。でもここから出て、審問の場に行けない。
……大丈夫。大丈夫なはず。台本がなければ、クレアは自分の言葉で話すしかない。嘘を自分の言葉で組み立てるのは、読み上げるのとは全然違う。
——頑張れ、クレア。嘘なんかつかなくていい。
◇
審問が始まった音が、壁越しに聞こえた。
教官の声。殿下の名前。申し立ての内容。
それから——クレアの声。
小さい。震えている。壁越しでもわかる。
「えっと……第三王子殿下と、その……お付きの方に、圧力をかけられて……退学を余儀なく……」
止まった。長い沈黙。
「具体的にはどのような圧力を?」
教官の声。
「具体的には……あの、殿下が……いえ、その——お付きの方が怖くて……」
また止まった。
——何を言えばいいかわからないんだ。台本がないから。「圧力」の中身も「退学の経緯」の細部も、自分の言葉じゃ出てこない。だって嘘だから。
壁に耳を押しつけた。アリシアはソファで扇を扇いでいる。表情が見えない。扇の向こう側。
ルークの声がした。
「お付きって、俺のこと?」
「あ——は、はい……」
「いつ? どこで? 何した?」
「それは——あの——」
「退学させられたって言うけど、おれ処分に関わる権限なんかねえよ。平民みたいなもんだし。退学させるって、誰がどうやって?」
クレアが黙った。
——ルーク。ありがとう。
ルークは怒ってない。淡々としてる。事実を聞いてるだけ。でもそれが一番きつい。嘘は「いつ」「どこで」「誰が」「どうやって」に耐えられない。
沈黙が長くなった。
それから——椅子を引く音がした。
殿下の声。
「少し、いいだろうか」
教官が何か返した。殿下が立ち上がった気配。
「——君に聞きたい」
クレアに話しかけている。
「本当に私が、お前を退学に追い込んだという主張のままでいいのか」
静かな声。責めてない。追い詰めてない。
「今なら許す。事情があるなら、聞く」
——。
息が止まった。
今なら許す。事情があるなら、聞く。
知ってる。この言葉。この言葉が欲しかった。
入学式の壇上。私が立たされた時。誰も言ってくれなかった。「事情があるなら聞く」なんて、誰も。
殿下も——あの時の殿下は、まだそれを言える人じゃなかった。壇上の隅で、拳を握って、黙って見ていることしかできなかった。
それが今、同じような場で、別の女の子に向かって言っている。
あの時から、この人はここまで来たんだ。
目が熱くなった。透明の目から涙が落ちたら——見えるのかな。見えないかな。わからない。試したくない。
壁の向こうで、クレアが泣き出した。
「——ごめんなさい」
嗚咽。椅子が軋む音。
「台本を……渡されて……これを読めば復学させてもらえるって……」
「誰に」
「アリシア……アリシア・エルドリッジ様に……」
控室の空気が変わった。
アリシアが扇を閉じた。ぱたん、と。音が硬い。
立ち上がった。扉に向かう。エマが道を空けた。
ヒールの音が廊下に出ていった。遠ざかっていく。走ってはいない。早足でもない。いつもと同じ速度。
——扉が開いた。
今だ。
エマとリリアナがアリシアの背を見送っている隙に、扉の隙間から廊下に出た。誰にもぶつからなかった。
廊下の冷たい空気が顔に当たった。
手の中の台本がまだある。透明な紙。二枚。折り目がきっちりついている。
小会議室の扉の前まで歩いた。中から、クレアの泣き声がまだ聞こえている。教官が何か声をかけている。殿下は黙っている。
——殿下。
あなたが言った「今なら許す」は、私に向けられた言葉じゃない。わかってる。
でも——嬉しかった。あの時の壇上に、この言葉があったらよかったなって。
それを今、別の女の子に言えるあなたが——嬉しくて、ちょっとだけ悔しい。
台本を握りしめた。透明な手が、透明な紙を。
◇
——アリシア視点——
渡り廊下。夕陽が見えるの中、一人で歩いていた。
ヒールの音が規則正しい。乱れていない。何も乱れていない。
——使えない子。
クレアもそう。エマもリリアナも。誰も彼も、簡単なことができない。紙を読むだけ。それだけのことが、なぜできないの。
紙をなくした? そんなの知らない。なくしたのはあの子でしょう。管理ができないのはあの子の問題。
殿下に「事情があるなら聞く」なんて言われて泣き出した? 弱いだけ。そんな子を選んだのは確かに失敗だった。でも、材料があれだけしかなかったんだから仕方がない。
運が悪かっただけ。方法が悪かったわけじゃない。
渡り廊下の窓から、中庭が見えた。学園祭の準備が始まっている。テントの骨組み。花壇の手入れ。講堂の飾りつけ。
足が止まった。
——学園祭。
噂なんて回りくどいことをするから失敗する。人を使うから失敗する。
なら、次は自分でやればいい。
学園祭のステージ。全校生徒が見ている場。あの舞台なら、私が一番輝ける。エルドリッジ家の令嬢として、第一王子の婚約者として。誰よりも美しく、誰よりも正しく立てる場所。
あの舞台で殿下を隣に立たせればいい。私の隣に立つことが、あの人にとって最善だと——みんなの前で証明すればいい。
扇を開いた。夕陽が金の髪を染めている。
「——今度は、私の土俵でやらせてもらうわ」
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