16話:代償
翌日。教官棟。
クレアが一人で階段を上がっていくのが見えた。
——来た。
推薦状を抜いたのは昨日。教官の机にはもう何も残っていない。クレアが確認に来る理由は一つ。アリシアに「誰のおかげか覚えてるわよね」と言われて、不安になったか。
……ちょっとだけ申し訳ない。でも、これで楽になれるから。
クレアが教官の部屋の前で立ち止まった。深呼吸。ノックする手が震えている。
「失礼します。あの——選択講義の件で少しお伺いしたいのですが」
「ん? なんだい」
「私の受講枠のことで、推薦状が来ていたかと——」
教官が書類棚を見て、机の引き出しを開けた。首を傾げている。
「推薦状? 君の分は来ていないが」
「……来ていない?」
「ああ。そもそも君は成績で基準を満たしているから、推薦は必要ないよ。普通に通っている」
クレアの目が大きくなった。
「成績で……私の成績で、通って——」
「もちろん。評定を見てごらん」
教官が評定一覧を開いて、クレアに見せた。指で項目を辿る。基準点。クレアの点数。超えている。
クレアの唇が震えた。
「……ありがとう、ございます」
部屋を出た。廊下に立って、壁に手をついた。
泣いていた。声を殺して。肩が小さく揺れている。
——嬉しいの? それとも悔しいの?
たぶん、両方だ。自分の力で通っていたのに、ずっと「アリシアのおかげ」だと思い込まされていた。その時間が悔しくて、でも本当だとわかって嬉しくて。
壁際から見ていた。何も言えない。いつも通り。
でも——よかった。
◇
——アリシア視点——
鏡の前で髪を梳いていたら、ノックが聞こえた。
「アリシア様。クレアが……」
エマ。声が小さい。
「何?」
「教官に確認しに行ったみたいで。選択講義の推薦のこと」
手が止まった。
「……で?」
「推薦状は来ていなかったそうです。クレアの成績で普通に通っていたって」
鏡の中の自分と目が合った。
来ていない? お父様に頼んだ。教官に口をきいた。ちゃんと手配した。
「それで、クレアが——『自分の成績で通っていた』って」
ああ、そう。
それで調子に乗ったの。たかが成績がどうのという話で。
誰が枠を気にかけてあげたと思ってるの。誰がわざわざお父様に頼んであげたの。推薦が届いていようがいまいが、動いてあげたのは私でしょう。
「クレアを呼んで」
「は、はい——」
エマが出ていった。
鏡の前で、もう一度髪を直した。乱れてなんかいない。でも直した。
クレアが来た。
扉の前に立っている。昨日までと違う目をしていた。怖がってはいる。でも、何か——芯が入っている。
「教官に聞きに行ったんですって?」
「……はい」
「誰に許可を取ったの?」
クレアの肩が跳ねた。でも、目を逸らさなかった。
「あの……推薦は来ていないと教官がおっしゃっていて。私の成績で——」
「だから何?」
声が出た。自分でも驚くくらい硬い声。
「私が嘘をついていたとでも言いたいの?」
「そういうわけでは——ただ、教官にお聞きしたことをそのままお伝えしただけで」
「言い訳なんていいわ」
ソファの肘掛けに爪が食い込んだ。
部屋の隅で、エマが息を詰めている。もう一人——リリアナが扉の近くに立っていた。いつの間にか来ていた。
リリアナが小声でエマに囁いた。
「……ねえ。もしかして、今までの恩って全部——」
聞こえた。
全部、何?
私がわざわざあなたたちのために動いてあげたことが、嘘だったとでも?
違う。動いた。ちゃんと動いた。結果がどうだったかなんて知らない。
「——もういいわ。出て」
クレアが頭を下げて、出ていった。エマとリリアナも続いた。
扉が閉まる前に、廊下でひそひそ話す声がした。
一人になった部屋で、窓辺の花を見た。百合。今朝活けたばかり。綺麗に開いている。
花瓶の位置を少しだけ直した。まっすぐになった。
別にいい。あの子たちがどう思おうと。
代わりはいくらでもいる。
◇
——リゼット視点——
クレアが学園からいなくなったのは、三日後だった。
朝、講義棟の掲示板に退学処分の紙が貼られていた。名前だけ。理由は書いていない。
——退学?
噂の流布で処分されたわけじゃない。掲示板の日付を見た。処分の起案日が、クレアが教官に確認しに行った翌日になっている。
アリシアがやったんだ。恩を疑った。だから切った。それだけ。
掲示板の前を通り過ぎる生徒たちは、ちらっと見て、すぐ歩いていく。興味がないか、関わりたくないか。
——私がやったことだ。
推薦状を抜いた。クレアに事実を知らせた。それで——こうなった。
クレアは楽になるはずだった。アリシアの嘘の恩から解放されるはずだった。
退学になるなんて、思ってなかった。
壁に手をついた。指先が冷たい。
——甘かった。
アリシアの報復がここまで速いと思っていなかった。「恩を疑われた」だけで人を退学にできる力を、ちゃんとわかっていなかった。
アリシアの人脈。エルドリッジ家。第一王子の婚約者。
推薦状一枚で勝てると思った自分が馬鹿だ。
◇
その夜。殿下の部屋の壁際で膝を抱えていた。
クレアの顔が消えない。教官の部屋の前で泣いていた顔。自分の成績で通っていたと知って震えていた肩。
あの子は、あの後どうなるんだろう。実家に帰されるのか。別の学校に行けるのか。
——私のせいだ。
殿下の方を見た。机に向かっている。ペンの音。いつも通り。
この人を守りたくて動いた。でもクレアを巻き込んだ。
……正しかったのかな。
わからない。わからないけど、動かないと殿下が潰される。アリシアは止まらない。
膝に額を押しつけた。爪が掌に食い込んでいる。
——次は、失敗できない。
◇
数日後。渡り廊下。
アリシアの取り巻き——エマとリリアナが歩いていた。二人の間に隙間がある。以前はもっと近かった。
「……クレアのこと、聞いた?」
「聞いた。復学させてほしいって、ずっとお願いしてるらしいよ」
「でも無理でしょ。アリシア様が——」
「しっ」
黙った。足早になった。
——復学。クレアが復学を懇願してる。
覚えておく。今は何にもならないけど。
そこで、足が止まった。
渡り廊下の向こう。窓辺に寄りかかって、アリシアが一人で立っていた。扇を半分だけ開いている。
近づいた。五歩。四歩。三歩。
アリシアの唇が動いた。独り言。小さいけど、この距離なら——
「——そういえば、あの子。復学したいって懇願してるんですって」
扇をぱたんと閉じた。
「ちょうどいいわ。使えるかもしれない」
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