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【完結】断罪された悪役令嬢は存在ごと消されました ~見えません、聞こえません、でも殿下の毒杯くらいは弾けます~  作者: Lihito


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15話:反撃

噂は止まらない。


食堂でも回廊でも、殿下の周りの空気はじわじわ冷えていく。会釈する生徒はほとんどいなくなった。


——どうにかしないと。


殿下は「やることをやる」と言った。ルークは黙ってそばにいる。二人はそれでいい。でも私は透明のまま壁際に座ってるだけ。


アリシアの部屋で見た。あの女は口で命じるだけで、手元に何も残さない。盗む物がない。


じゃあ——噂じゃなくて、噂を信じてる人の方をどうにかすればいい。


「殿下がパワハラ」。一番広まってるのはこれだ。カイを追い出した。従者に当たりが強い。トビアスもびくびくしてる。


——見せればいいんだ。嘘だって。


殿下が従者にどう接するか。それを大勢が見れば——


食堂。昼。人が多い。


殿下が席についた。ルークが向かい。トビアスが給仕の盆を持って戻ってくる。


——ごめん、トビアス。


心の中で手を合わせた。いい子なのは知ってる。真面目で、一生懸命で、返事だけは声がでかい。


でも今は殿下の方が大事。ごめん。本当にごめん。


トビアスが殿下のテーブルに近づく。盆の上にスープの皿とパンと水差し。


歩調を合わせた。トビアスの斜め後ろ。足元に——椅子の脚が少しだけ通路にはみ出している。


トビアスの靴がそこに差しかかった瞬間、椅子の脚を五寸だけ引いた。


トビアスの右足が引っかかった。


体勢が崩れる。盆が傾く。スープの皿が滑って——


ばしゃっ。


殿下のテーブルの上に、スープが広がった。パンが転がり落ちる。水差しが倒れて、布巾を伝って床に水が流れた。


食堂が静まった。


スプーンを持ったまま固まっている殿下。ひっくり返った盆を抱えて顔面蒼白のトビアス。周囲のテーブルから視線が集まっている。


——パワハラ王子の従者が、大勢の前で盛大にやらかした。さあ、どうする。


「も、申し訳ございません!! 殿下、今すぐ——」


トビアスが膝をついて、震える手で皿を拾おうとしている。目が赤い。泣きそう。


——ごめんね。本当にごめんね。


殿下がテーブルの上のスープを見下ろした。自分の袖にも飛沫がかかっている。


それから——笑った。


「最近、運がいいことが続いていたからな。こういう不意打ちも悪くない」


声に怒りがない。呆れもない。本当に可笑しそうに、口元を緩めている。


立ち上がった。トビアスの前にしゃがんで、床に散った皿を一緒に拾い始めた。


「都合のいい加護みたいなものをあてにしかけていた。——目が覚めた。ありがとう」


加護。


——え。


都合のいい加護。それって——


「殿下、申し訳ございません、私が——」


「いい。こぼれたものは拭けばいい。怪我はないか?」


「怪我は——いえ、私は……殿下の方こそ——」


「これくらいで怪我はしない」


殿下がトビアスの肩を軽く叩いた。立ち上がって、ルークに目を向ける。


「ルーク、布巾を」


「へいへい」


ルークがだるそうに立ち上がって、厨房の方に歩いていく。食堂中の目が三人を追っている。パワハラ王子が従者の粗相を笑って許して、一緒に片付けている。


——よし。


計画通り。大勢が見た。殿下の反応を、嘘じゃない姿を。


でも——


加護。殿下、今「加護」って言った。


都合のいい加護をあてにしかけていた。


毒杯が弾け飛んだこと。短剣の男が転んだこと。書類が勝手に出てきたこと。——ぜんぶ「何かの力」だと気づきかけていた、ってこと。


私の存在に——近づいてた?


心臓がどくどくうるさい。透明の顔が熱くなってる。気のせいじゃないと思う。


でも殿下は「目が覚めた」と言った。加護をあてにしかけていた。だから目が覚めた。


つまり——離れた。私の存在から、一歩引いた。


……え。待って。


せっかく——せっかく気づきかけてたかもしれないのに。「何かがそばにいる」って思いかけてたかもしれないのに。


今の粗相で「加護なんてなかった」って結論になったの?


——やったの私なんだけど!?


自分で仕掛けた不運のせいで、殿下が「不思議な加護」を否定する方向に進んだ。自業自得。完全に自業自得。


噂への対策は成功した。でもその代わりに、殿下と私の距離が一ミリだけ遠くなった。


……なにやってんの、私。





気を取り直した。取り直すしかない。


昨夜、取り巻きの会話で引っかかった「推薦」の件。まだ何かわからないけど、アリシアの周りをもう少し見ておきたい。


翌日の午後。アリシアが渡り廊下を歩いていた。取り巻きの一人を連れている。


二人の間の空気が重い。取り巻きの方が半歩下がって、肩が強張っている。


アリシアが足を止めた。窓辺に寄りかかって、爪先を見ながら。


「ねえ。あなた、選択講義の枠——今期から取れたんでしょう?」


「は、はい。おかげさまで——」


「おかげさまで、ね」


声のトーンが変わらないまま、意味だけが重くなった。


「誰のおかげで取れたのか、ちゃんとわかってるわよね?」


取り巻きが黙った。唇を噛んでいる。


「私がお父様に頼んで、教官に口をきいたから。あなたの成績だけじゃ無理だったのよ」


「……はい」


「いい子ね。——じゃあ、明日までにあの話、もうちょっと広げておいて」


それだけ言って、また歩き出した。取り巻きが半歩遅れてついていく。さっきより肩が小さくなっている。


——口利き。


アリシアが取り巻きを繋ぎ止めてるのは、友情でも忠誠でもない。「やってあげた」の借り。推薦で枠を取ってやった。だから言うことを聞け。


じゃあその「口利き」を——消したら?


思いつきだった。でも足が動いていた。


教官棟。三階。さっきアリシアが言っていた「選択講義の枠」。その管理をしている教官の部屋。


扉は半開きだった。教官は席を外している。


中に入った。机の上に書類の束。出席簿、評定表、申請書類。


一枚一枚、めくった。指先で紙の端をつまんで、そっと。——物に触れる。持てる。動かせる。


あった。


推薦状。アリシア家の家紋が入った便箋。教官宛て。「以下の生徒について、選択講義の枠をご配慮いただきたく」。


名前が書いてある。さっきの取り巻きの名前。


——これを抜いたら、教官の手元から消える。推薦は「なかったこと」になる。


手が止まった。


待って。この子の成績はどうなんだろう。本当に口利きがなきゃ通らなかったの?


机の引き出し。評定一覧。指で辿った。


——あった。


その取り巻きの成績。選択講義の受講基準。


……足りてる。普通に基準を満たしてる。口利きなんかなくても、実力で通ってる。


アリシアが恩を着せていただけだ。本当は必要なかった推薦で、「私のおかげ」を作っていた。


推薦状を自分の懐にしまった。これで教官の手元には何も残らない。推薦は来ていない。でも成績は足りている。


——つまり、あの子は「アリシアのおかげ」じゃなかったってことが、わかる。


教官の部屋を出た。心臓がうるさいけど、足取りは軽い。久しぶりに——触れる物があった。動かせる物があった。





翌朝。


講義棟の階段で、あの取り巻きの姿が見えた。


一人で歩いている。昨日より顔色が悪い。アリシアに「わかってるわよね」と言われた顔。重い足取り。


——ごめんね。もう少しだけ。


でも、もうすぐ楽になるから。あなたはアリシアのおかげなんかじゃなかった。自分の力で、ちゃんと通ってた。


それがわかれば——


渡り廊下の向こうから、ヒールの音が聞こえた。


規則正しく、硬く、迷いのない足音。取り巻きの足が止まった。顔が強張る。


アリシアが角を曲がってくる。いつもの笑顔。取り巻きの顔を見て、少し首を傾げた。


「あら、元気ないわね。——ねえ、あなたの選択講義の件、誰のおかげだったか覚えてるわよね?」

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