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【完結】断罪された悪役令嬢は存在ごと消されました ~見えません、聞こえません、でも殿下の毒杯くらいは弾けます~  作者: Lihito


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14話:噂

アリシアは、翌日も来た。


講義棟の前。殿下が出てきたところを待っていた。偶然の顔。——偶然じゃないのは私が知ってる。殿下が出てくる五分前からそこに立ってたから。


「殿下、監察院の件、本当にご立派でしたわ」


「恐れ入ります」


「学園の空気が変わりましたもの。殿下のおかげですわ」


殿下はいつも通り丁寧に返して、それ以上近づけない。


次の日も。その次の日も。


中庭。渡り廊下。食堂の入口。場所を変えて、毎回同じ。殿下が壁を一枚置いたまま、アリシアを通さない。


——この女、いつまで来るんだろ。


そう思い始めた四日目。


ふと、アリシアの目が殿下から離れた一瞬が見えた。


目が笑っていなかった。口は笑ったまま。


——あ、怒ってる。


理屈じゃない。でもわかった。今まで余裕の笑顔を貼りつけてたのが、ほんの一瞬だけ剥がれた。殿下には見えない角度で。


なんか——嫌な感じ。





噂が流れ始めたのは、その直後だった。


最初に気づいたのは食堂だった。


殿下が席についた時、さっきまで話していた隣のテーブルがぱたりと黙った。


——え?


一週間前は「すごくない?」って目を輝かせてた子たちだ。今は目が泳いでる。殿下の方をちらっと見て、すぐ逸らす。


何。何なの。



次の日の朝。講義室に向かう廊下で、女生徒が二人、小声で話していた。


「——前の従者、殿下に追い出されたんだって」


足が止まった。


「嫌になって辞めたんじゃないの?」


「ただ辞めただけならいいけど。なんか殿下がきつくあたってたらしいよ」


「えー……あの穏やかそうな顔で?」


「そういう人が一番怖いんだよ」


——は?


何言ってんの。何言ってんのこの人たち。


カイは自分から出ていったんだよ。殿下は追わなかった。もう聞こえない距離で名前を呼んでた。あの声知ってる? 知らないよね。見てないもんね。誰も見てなかったもんね、あの部屋の中。


拳を握った。爪が掌に食い込んだ。声にならない怒りが喉の奥に溜まって、出口がない。


いつもと同じ。声は出ない。叫べない。否定できない。



回廊でも、同じだった。


すれ違う生徒の会釈が減った。殿下の前を足早に通り過ぎていく。目を合わせない。


一週間前に戻ってる。いや、前よりひどい。前は「興味がない」だった。今は「関わりたくない」になってる。


殿下は何も言わない。気づいていないわけがない。でも、いつも通り歩いている。


「……なんかやったか、俺ら」


ルークが首を捻った。この人は鈍いんじゃなくて、噂に興味がないだけだ。



食堂。昼。


殿下とルークの斜め後ろのテーブルで、男子生徒が話していた。


「殿下のそばにいるあの男、怖くない? 平民のくせに態度でかいし」


「用心棒なんじゃないの。金で雇った的な」


「うわ、まじ?」


——ルークのことまで。


ルークは平民でもないし、ヴェルナーが学園に入れただけで、殿下は何の関与もしていない。今は殿下の横にいたくているだけだ。何も知らないくせに。


渡り廊下で、また別の声。


「ヴェルナー先輩も、ハイデン先生も、監察院のトップの人も。殿下に逆らった人って、全員消えてるよね」


「怖……」


「次、誰がいなくなるんだろうね」


——違う。


違う。殿下がやったんじゃない。グレーヴェルが書類を改竄したから。ハイデンが不正をしていたから。全部、向こうが先にやったことだ。殿下はそれを正しただけ。


でもそんなこと、誰にも言えない。声が出ないから。文字が書けないから。


壁に手をついた。


こんなに近くにいるのに。全部見てきたのに。何も言えない。一言も。





もう我慢できなくなって、その夜、アリシアの部屋に忍び込んだ。


確証なんてない。でもあの女の目が変わった時期と、噂が出始めた時期が——いや、そんな冷静な話じゃない。あいつだと思った。それだけ。


扉が閉まる前に身体を滑り込ませて、壁に背をつけた。


部屋は広かった。調度品が全部重い。カーテンは二重。窓際に花が活けてある。


アリシアはソファに座っていた。取り巻きが二人、向かいに立っている。


立ったまま。座らせてもらってないんだ。


「——で? 何か出てきた?」


声が軽い。お菓子の感想を聞くくらいの温度。


「あの……従者の件は広まっていますけど、それ以上は——」


「ないの?」


「殿下は本当に問題を起こしたことがなくて……」


アリシアが髪を指に巻きつけた。取り巻きの顔を見ていない。天井の方を向いている。


「ないなら作ればいいでしょ」


——今なんて言った?


「従者の話もっと盛って、他にもいくつか混ぜなさいよ。事実かどうかなんて誰も確かめないから」


さらっと言った。注文を追加するみたいに。「あとデザートも」くらいの軽さで。


取り巻きが顔を見合わせた。困ってる。でも逆らわない。


「……わかりました」


「よろしい」


立ち上がった。窓辺に歩いていって、花の位置を直しながら——


「あんまりのんびりしてると退屈するの。退屈すると機嫌悪くなるの。知ってるでしょ?」


——この女。


お腹の底が冷たくなった。


こいつだ。全部こいつがやらせてる。殿下の悪口も、ルークの噂も、全部この女がこのソファに座ったまま——


自分じゃ何もしてない。命じてるだけ。汚れるのは取り巻きの手で、自分の爪は一本も汚れない。


なんなの。なんなのこいつ。


殿下が何した。あなたに何かしましたか。話しかけてきたのはそっちでしょ。殿下はいつも通り丁寧に対応しただけでしょ。それで気に入らないから潰す? 理由、それだけ?


——最悪。


最悪だ。今まで戦ってきた相手の中で、一番タチが悪い。





殿下の部屋に戻った。


ルークがいた。いつもの椅子に座って、腕を組んでいる。眉間の皺が深い。


「殴りてえ」


「何を」


「噂の出どころ」


「出どころがわかるのか」


「……わかんねえけど」


椅子が軋む。ルークの苛立ちが音になって漏れている。


——わかるよ。殴りたいよね。私も殴りたい。透明の拳だけど。


殿下は窓の外を見ていた。しばらく黙って、


「噂に反論しても、騒ぎが大きくなるだけだ」


「じゃあどうすんだよ」


「やることをやる。今まで通りに」


ルークが口を開きかけて、閉じた。納得はしていない。でも殿下がそう言うなら、という顔。


壁際で膝を抱えている。


——でも、私はどうすればいい。


殿下は「今まで通り」でいい。ルークも殿下のそばにいればいい。でも私は。


今までは物を動かして戦ってきた。手紙を抜いた。蝋の型を移した。帳簿を見つけた。手が届く範囲に、触れる何かがあった。


アリシアの部屋には何もなかった。命令は口頭。証拠は残らない。盗む物がない。


——どうしよう。


膝に額を押しつけた。冷たい。


廊下の向こうから、声が聞こえた。


アリシアの取り巻き。部屋に戻っていく足音が二つ。


「……ねえ、大丈夫なの? 私たち、あの人のそばにいて」


「今さら離れたら何されるかわかんないでしょ。あの子のおかげで推薦もらえたくせにって、ああいう顔で言うのよ」


「推薦のことまで持ち出されたら……」


「しっ。——とにかく、逆らったら終わりよ」


足音が遠ざかっていった。


顔を上げた。


——推薦?


何かが引っかかった。まだ全然わからない。でも——何か。


爪が掌に食い込んでいる。

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