表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
【完結】断罪された悪役令嬢は存在ごと消されました ~見えません、聞こえません、でも殿下の毒杯くらいは弾けます~  作者: Lihito


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

2/33

2話:聞こえる音と届かない声

「——女神様」


殿下の声が、蝋燭の灯りと一緒に揺れた。


「今宵も、助けてくださり、ありがとうございます」


祭壇の前で膝をついた殿下の背中を、すぐ後ろから見ている。呼吸が聞こえるくらい近い。石鹸の匂いがほのかにする。


逃げたい。こんな距離で推しの祈りを盗み見るなんてどうかしてる。でも足が動かなかった。動いたら、この人が何を祈るのか聞けなくなる。


「今宵——杯が、弾かれました」


心臓が跳ねた。


「手から落としたのではありません。何かに、弾かれた。そうでなければ、あの毒を飲んでいました」


静かな声。でもそこに迷いはなかった。


周囲は「運が良かった」と言っていた。従者のカイも「お気が動転されて」と流そうとしていた。なのに——この人は、あの一瞬の衝撃から、正確に何が起きたか読み取っていた。


毒杯の後、殿下の目が動いたのを思い出す。クロスの変色。給仕の顔。壇上の取り巻き。パニックの中で一人だけ黙って辿っていた、あの目。


——この人は、見えてる。見えすぎてる。


「あれが誰なのか、何なのか、わかりません。でも——自分は助けられた。それだけは確かです」


私だよ。あなたを助けたのは、今あなたの後ろにいる透明人間だよ。


言えない。何も言えない。ただ聞いているしかない。


殿下の声が、ほんの少し柔らかくなった。


「それから——リゼット・ヴァルシアのことも、どうかお守りください」


呼吸を忘れた。


「まだ見つかっていないと聞いています。でも——あの方は、断罪で言われたようなことをする人では、なかったと思います」


涙が出そうになって、唇を噛んだ。泣いたら——泣き声は聞こえるのか、わからない。今はまだわからないから、音を出すわけにいかない。


「花の名前を教えてくれた時の顔は、とても——」


言葉を探すように間が空いた。見つからなかったのか、そのまま静かに息を吐いた。


「……どうか、ご無事で」


——ここにいるよ。


あなたの、すぐ後ろに。


殿下がもう一度、目を閉じた。少し長い沈黙。それから、声の温度が変わった。


「今朝——不思議な声を聞きました。断罪の場で」


背筋が伸びた。


「第三王子、助け給え、と」


同じだ。同じ声を、殿下も聞いていた。


「神託なのか、幻聴なのか。——ですが、あの言葉は、自分に向けられたものだと感じました」


私はあれを「王子を助けろ」と受け取った。殿下は「自分が動け」と受け取った。


同じ七文字。意味がまるで違う。


殿下の組んだ指に力がこもった。


「このまま壁際に立って、何もせず目を伏せていれば安全だと思っていました。それは——間違いでした」


蝋燭の炎が揺れた。殿下の影が壁に大きく伸びて、また縮む。


「自分にできることは限られています。でも、このままではいられない」


穏やかな声のまま、中身だけが変わっていた。覚悟を決めた人の声だった。


殿下が立ち上がった。女神像に軽く頭を下げて、背を向ける。足音が石の床を叩いて遠ざかっていく。扉が開いて、閉まる。


また、静寂。


祭壇の段差に座り込んだ。冷たい石が身体の熱を吸い取っていく。


嬉しかった。苦しかった。名前を呼んでもらえた。信じてもらえていた。なのに何も返せない。この距離が、世界で一番遠い。


——でも。


殿下が変わろうとしている。壁際の王子が、一歩前に出ようとしている。あの毒杯の夜が、きっかけになったのかもしれない。


私が弾いた杯が、殿下の何かを動かした。


それだけで——今は、それだけでいい。



六日目。殿下の部屋にいる。


扉の横の壁にもたれて、床に座り込んでいる。殿下は机に向かって書き物。ペンが紙を走る音。ページをめくる音。時々、小さく息をつく。


五日間、殿下について回った。朝の礼拝から夜の礼拝まで。規則正しい人だとは知ってた。知ってたけど、ここまでとは思わなかった。


従者のカイが常にそばにいる。毒殺未遂から警戒が増したらしい。ただ、王子にしては人手が少ない。私がいなきゃ——見えないけど。


五日あれば、この身体のルールも見えてくる。


物には触れる。持てる。動かせる。毒杯を弾けたのがその証拠。ただし、服や食べ物は手に取った瞬間こっち側に来る。厨房から盗んだパンは掴んだ途端に消えた。口に入れれば味はする。便利なような、そうでもないような。


声は出ない。文字は書いた端から消える。鏡にも水面にも映らない。足跡すら残らない。三日目、雨上がりの中庭を殿下の後ろに歩いた。振り返ると、泥の上に足跡が一人分しかなかった。


痛みは、ある。二日目に回廊の柱で肘をぶつけて、声にならない悲鳴を上げた。透明なだけで、身体はここにある。壊れるし、傷つく。無敵じゃない。


——まとめると。「私が伝えようとするもの」は全部消される。声、文字、姿、足跡。でも物理的な干渉はできて、物は動かせる。


ただ、触れても伝わらない。中庭で殿下の手を握っても、「風、か?」で終わった。


物は動かせるけど、「私」は届かない。そういう透明。


……誰が設計したんだか、このルール。


朝から何も食べていない。厨房に寄るタイミングを逃した。殿下が寮を出る前に起きられなくて——壁際で寝落ちしてた、なんて言えない。


我慢。今は殿下のそばを離れられない。カイも今日は買い出しでいない。


ぐう。


——。


お腹。鳴った。今。確実に。


声は出ない。足音も聞こえない。なのに——


殿下のペンが止まった。


「……ん?」


顔を上げる。部屋の中をゆっくり見回している。


聞こえてる。


嘘でしょ。声も足音も消されるのに、お腹の音は通るの?


——待って。落ち着いて考えろ。


声は「伝えようとして出す音」。足音は「移動に伴う音」。お腹の音は——身体が勝手に出してる。意図してない。コントロールできない。


消されるのは「私が伝えようとするもの」だけ? 身体が勝手に出す音は、ルールの外?


だとしたら——


脳裏に、あの日が閃いた。


庭園。午後の光。殿下の前で花の名前を答えようとした瞬間。


——ひぅっくしゅ!


盛大に出た。殿下が口元に手を当てて、「可愛らしいくしゃみですね」って——


顔が熱い。透明なのに赤くなってる気がする。


いやいや今そこじゃない。あのくしゃみが今の状態で出たら——何もない空間からいきなり「ひぅっくしゅ!」。殿下の部屋にポルターガイスト降臨。怖すぎる。


殿下が首を傾げて、窓の外を見た。廊下に目をやって。もう一度、部屋を見回して——


コンコン。


扉をノックする音。助かった。


「レクト殿下、少しよろしいかしら?」


甘い声。自信に満ちた声。殿下の意識がそちらに向いた。


——ナイスタイミング。誰だか知らないけど感謝——


殿下が椅子から立ち上がって、扉を開けた。


「これはマリエル嬢。何かご用でしょうか」


廊下に立っていたのは巻き毛の令嬢。完璧な笑顔。深い緑のドレスに金の耳飾り。


見覚えがある。ありすぎる。


マリエル・フォンテーヌ。リゼット・ヴァルシアの「取り巻き」だった女。


——取り巻き。笑わせる。


社交シーズンの三ヶ月間。嫌がらせの段取りを全部仕切っていたのはこいつだ。噂をばら撒いて、証言者に手を回して、記録ノートを暖炖に「うっかり」落とした。にこにこ笑いながら「リゼットさまのおそばにいられて光栄ですわ」。裏で全部の糸を引いていた。


何をしても潰された。対策を立てても、証拠を揃えても、偶然みたいな顔をして全部消えた。途中から気づいてた。シナリオが「断罪は起きる」と決めている以上、何をやっても——


でもやめられなかった。殿下の隣にいる時間を、一日でも長くしたかった。それだけだった。


そのマリエルが、婚約者が消えて一週間で殿下の部屋に来ている。


「突然ごめんなさいね。お茶会のお誘いに参りましたの」


殿下に向ける瞳がきらきらしてる。もう隠す気もないらしい。


「お茶会ですか。ご丁寧にありがとうございます」


殿下が半歩下がった。廊下に出るでもなく、部屋に招くでもない距離。


「ただ、少し立て込んでおりまして。申し訳ありません」


やんわり断ってる。でも明確に線を引いている。相手の顔を見て、申し訳なさそうな形だけ作って。


——殿下、それ社交辞令がうますぎて逆に冷たいよ。


「まあ、残念。でも無理にとは申しませんわ」


引き下がるかと思った。マリエルの靴が廊下の石を鳴らす。一歩。二歩。止まった。


「——それにしても」


振り返った。計算された間。


「リゼットさんのこと、大変でしたわね」


空気が変わった。廊下の温度が一段落ちた気がした。


「あんな方の婚約者だなんて、殿下もさぞお辛かったでしょう? 解放されて、きっとこれからは——」


『——は?』


音にならない。でも口が勝手に動いた。


——今、なんて言ったあの女。


お読みいただきありがとうございます!

もし「面白そう!」「続きが気になる!」と思っていただけたら、

広告の下にある【☆☆☆☆☆】を【★★★★★】にして応援していただけると、執筆(投稿)の励みになります!

ブックマークもぜひポチッとお願いします。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ