12話:監察院崩壊
石造りの庁舎。三階。朝日が高い窓から射して、埃が光っている。
審問室の空気は冷たかった。石の壁が冷気を溜め込んでいる。椅子の軋む音が、やけに大きく響く。
殿下は机の前に座っていた。一人で。従者なし。弁護人なし。
反対側に、グレーヴェル。監察院のトップ。白髪交じり。体格のいい男。椅子に深く腰掛けて、殿下を見下ろしている。余裕の姿勢。
書記官が羊皮紙を広げた。羽ペンの先が紙に触れる音。
「では、審問を開始する」
グレーヴェルの声が審問室を満たした。低い。重い。この部屋の空気を自分のものにする声。
「ゲルニカ商会より訴状が提出されている。『第三王子レクト殿下が王族の立場を利用し、ハイデン講師を陥れるための偽証を商会に強要した』——殿下、弁明を」
殿下が口を開いた。
「商会に接触したのは事実です。ハイデン教官の納品利権独占について証言を求めました。脅迫はしていません」
声が安定している。——大丈夫。いつもの殿下だ。
「しかし」
グレーヴェルが卓上の書類を持ち上げた。殿下が事前に提出した通信記録と証言書。——のはずだった。
「殿下が提出された証拠を精査したところ、通信記録の日付と商会側の証言に齟齬が見られます」
めくる。指で一箇所を示す。
「この日付。商会との接触日が、商会側の営業記録と合致しない。殿下、これはどういうことですかな」
——来た。
殿下が書類を受け取った。目が文面を追う。
一瞬だけ、殿下の指が止まった。それから、顔を上げた。
「この日付は、私が提出したものと異なっています」
「異なる? 殿下が自らお出しになった書類ですが」
「提出時の控えがあります」
殿下が懐から紙を取り出した。同じ書類の写し。
「こちらが提出時の原本の控え。日付をご確認ください」
グレーヴェルの目が控えに落ちた。
沈黙。
書記官の羽ペンが止まった。審問室に、壁の向こうの鳩の声だけが聞こえる。
グレーヴェルの喉が動いた。飲み込んだ。
「……控え、と仰いますが、それが本物である保証は」
「提出時に庁舎の受付で押印を受けています。日付印をご確認ください」
殿下の声に感情がない。淡々と、事実だけを並べている。
グレーヴェルの指が、自分の手元の書類の端を掴んだ。爪が白くなっている。
——崩れかけてる。でもまだだ。まだこいつは言い逃れを探してる。
「これは——受付の手違いの可能性も——」
扉。
殿下もグレーヴェルも振り向いた。私も。
——来た?
扉は開かなかった。廊下の足音が通り過ぎていく。別の部屋に入る音。
……違った。
心臓がうるさい。聞こえないけど、胸の内側で暴れてる。
ルークはまだ来ない。作戦では、殿下が改竄を指摘した後にルークがヴェルナーを連れてくるはずだった。でも、いつ来るかは決まっていない。ヴェルナーがごねてるのかもしれない。逃げたのかもしれない。
——来て。お願いだから。
グレーヴェルが体勢を立て直し始めている。書記官に何か耳打ちしている。時間を稼ごうとしている。
「殿下。この件は一度持ち帰り、改めて——」
「待ってください」
殿下の声が、初めて少しだけ強くなった。
「今この場で確認できることです。提出書類と控えの日付の差異。これは受付の手違いでは説明できない。内容そのものが書き換えられています」
「それは重大な指摘ですな。しかし、誰が書き換えたかは——」
「提出から本日まで、書類を保管していたのは監察院です」
審問室が静まった。
殿下が言ったのは事実の指摘だけ。「あなたが改竄した」とは言っていない。でも、意味は全員に伝わっている。
グレーヴェルの首筋に汗が浮いている。朝の冷えた部屋で。
「……殿下、それは監察院への侮辱と受け取られかねませんぞ」
「事実の確認です」
殿下の目がグレーヴェルを射ている。退かない。
——殿下。一人で戦ってる。ルークが来るまで、一人で。
足が痺れていた。壁際に立ちっぱなしで。冷たい石の床が足の裏から体温を吸い取っていく。拳を握った。爪が掌に食い込む。痛い。痛いのは感じる。音は出ない。
グレーヴェルが机を叩いた。
「いい加減にしたまえ! 第三王子の立場でこのような——」
扉が開いた。
今度は、本物だった。
「失礼します」
ルークの声。
その後ろに——ヴェルナー。
来た。
ルークが審問室に入ってきた。大股。堂々と。場の空気を読まない足音。
ヴェルナーはルークの半歩後ろにいた。顔色が悪い。でも足は止まっていない。
グレーヴェルが立ち上がった。
「何だ、関係者以外は——」
「証人です」
ルークがヴェルナーの肩を押した。前に出ろ、と。
ヴェルナーが一歩前に出た。審問室の全員の目が集まる。
「……ヴェルナー・クラウス。元学園薬品庫管理補佐」
声がかすれていた。でも、止まらなかった。
「薬品庫の横流しは、ハイデン講師の指示で行っていました。仕入れ量の三割を別口で確保しろと。帳簿の操作方法も、全てハイデンから」
グレーヴェルの顔が強張った。
「処分されたのは俺だけです。でも俺は駒だった。動かしてたのはハイデンです」
ヴェルナーがグレーヴェルを見た。
「そのハイデンの不正を、監察院は『認められない』と回答した。——殿下が証拠を出した時も」
審問室の空気が変わった。書記官が手を止めている。職員たちが互いの顔を見ている。
殿下が立ち上がった。
「提出書類の改竄。そしてハイデンの不正の実態。——証拠と証言が揃いました」
静かな声。でも、審問室の隅まで届いた。
グレーヴェルの口が開いて、閉じた。開いて、閉じた。
改竄は自分の手でやった。部下には任せなかった。殿下を潰せる機会に、自分で手を汚した。だから逃げ場がない。
椅子が倒れた。グレーヴェルが崩れるように座り込んだ。机の角に手をついている。指が震えている。
——終わった?
まだだ。
あの夜のことを思い出した。ヴェルナーの部屋の前。扉の隙間から見えた背中。机に向かって、何かを書いていた。
私はあの後、もう少しだけ残った。ヴェルナーが書き終えて、封をして、眠るのを待った。部屋に入って、その手紙を抜き取った。
グレーヴェル宛ての手紙。作戦の全てを売る内容。
それが今、私の懐にある。
職員たちがざわめいている。一人だけ、書類の束を見比べている若い職員がいた。殿下の控えとグレーヴェルの書類を、黙々と照合している。
その足元に、手紙を落とした。
封書が石畳に当たる。小さな音。
職員が足元を見た。拾った。宛名を読んだ。封を開けた。
読んでいる。目が細くなる。
「……院長」
職員の声が硬かった。
グレーヴェルが顔を上げた。
「クラウスからの書簡です。院長宛て。内容は——作戦の全容を密告し、自身の見逃しを求めるもの」
ヴェルナーが固まった。
「——なんで。俺は、送ったのに——」
誰にも聞こえない声で呟いている。目が泳いでいる。
送ったつもりだった。でも届いていない。だからグレーヴェルは何も知らなかった。だからヴェルナーは「見捨てられた」と思って、こっち側で証言する方を選んだ。
全部、あの一通を抜いただけ。
ヴェルナーもグレーヴェルも、連れ出されていった。
庁舎を出る前に、すれ違った職員たちの会話が耳に入った。
「グレーヴェル院長の後任、枢密院から直接派遣されるらしい」
「ハイデンの件も再調査だってさ。提出済みの案件、全部洗い直すって」
——まともになるんだ、あの場所。
殿下が戦った意味が、ちゃんと形に残ってる。
◇
庁舎の廊下。
殿下とルークが並んで歩いている。窓から午後の光。長い影が二つ。
「……やったな、レクト」
「ああ」
それだけ。でも、殿下の肩の線がさっきと違う。力が抜けている。
ルークが伸びをした。腕を上に伸ばして、首を鳴らす。
「二度とやりたくねえな、あれ」
「同感だ」
殿下が窓の外を見た。立ち止まった。
「……いつも思うんだ」
「ん?」
「ぎりぎりのところで、何かが味方してくれている気がする」
ルークが顎を掻いた。
「似た話、知ってるぞ。『消えた聖女』。——平民の間じゃけっこう有名なんだけど、知らねえか?」
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