11話:作戦会議と裏切りの影
殿下の部屋。夜。
机の上に、監察院からの返書が置いてある。『調査の結果、不正は認められませんでした』——あの一文。殿下はもう読み返していない。
ルークが壁にもたれて腕を組んでいる。殿下は椅子に座って、白紙の羊皮紙の上にペンを置いたまま動かない。
「で、どうすんだよ。レクト」
「考えている」
「考えてる間にハイデンが証拠消すぞ」
「消したところで商会の証言は残る。——問題はそこじゃない」
殿下がペンを取り上げた。羊皮紙の上に、二つの丸を描いた。
「ハイデンを直接潰しても意味がない。監察院が握り潰した。つまり監察院自体が腐っている」
「……は?」
「ハイデンの不正を見逃したのは、監察院トップの判断だ。証拠が不十分だったからじゃない。見逃す理由があったから見逃した」
ルークの表情が変わった。
「じゃあ、監察院ごと——」
「潰す」
殿下の声は静かだった。でもあの夜の「わからない」の声とは違う。答えを見つけた人の声。
「作戦がある。聞いてくれ」
——殿下。立ち直るの早いな。いや、立ち直ったんじゃなくて、「わからない」の間にずっと考えてたんだ。あの沈黙の時間、全部これに使ってた。
殿下がペンを走らせた。
「二段構えでいく」
◇
「第一段。餌だ」
殿下が羊皮紙に矢印を引いた。
「商会の協力者に、監察院へ訴えを出してもらう。——『第三王子に脅迫された』と」
「……は? 自分を売るのかよ」
「私が商会に接触して『自分の名にかけて守る』と言ったのは事実だ。それを歪めて『王族の立場を利用して商会を脅迫し、講師を陥れるための偽証を強要した』という訴えにする」
ルークが眉をひそめた。
「わざと自分に嫌疑をかけさせるってことか」
「監察院のトップは、普段なら面倒な案件はスルーする。だが相手が私なら別だ。第三王子を潰せる機会。私怨で自ら乗り出してくる」
殿下の目が鋭くなった。
「トップが自ら動けば、必ずボロが出る。私は否定証拠を提出する。トップはそれを改竄しようとする。——自分の手で。私怨だから部下には任せられない」
「改竄した証拠を押さえるってことか」
「そう。ただし、これだけだと改竄を証明するのに時間がかかる。だから——」
殿下が二つ目の丸に矢印を引いた。
「第二段。本命」
「本命?」
「ヴェルナー・クラウス」
ルークの表情が固まった。
「……クラウスを使うのか」
「クラウスはハイデンの横流しを直接やらされていた当事者だ。あいつが公の場で『ハイデンの指示で動いていた』と証言すれば、ハイデン単独の処分で終わらせた監察院の判断が問われる」
「第一段でトップの注意を引きつけておいて、第二段で別の場所から火をつけるってことか」
「そうだ。二箇所同時に火が出れば、トップは対処しきれない。第一段で自ら手を汚している最中に、第二段でハイデンの不正の全容が暴かれる」
殿下がペンを置いた。
「役割分担。私が第一段の表舞台に立つ。盾になって、トップの注意を引きつける」
「俺は?」
「お前がクラウスを説得して、公の場に引っ張り出す。第二段の実行だ」
ルークが黙った。腕を組み直した。
「……クラウスが引き受けるかわかんねえぞ。あいつ、自分が可愛いだけの奴だ」
「だから、お前が行く。クラウスにとってお前は——少なくとも、話を聞く相手ではある」
——殿下、うまい。ルークとヴェルナーの関係を使う。ルークが行けば、最低限の対話にはなる。
ルークが天井を見上げた。しばらく黙って、それから口を開いた。
「わかった。やってみる」
「頼む」
「——一個だけ聞いていいか」
「何だ」
「商会の訴え。嘘の訴えを出させて、後で『間違いでした』って引くんだろ? その商会の人たち、大丈夫なのか。報復されないか」
殿下が少しだけ目を見開いた。——意外だったんだ。ルークがそこを気にしたのが。
「守る。必ず」
「……そういうとこだよ、あんた」
「何がだ」
「なんでもない」
——ルーク、ちょっと見直した。脳筋に見えて、巻き込まれる人間のことを考えてる。
◇
翌日。ルークがヴェルナーの謹慎部屋に向かった。ついていく。
扉を叩く。前回より返事が早かった。
「入れ」
部屋は前より少し片づいていた。カーテンが半分だけ開いている。ヴェルナーは椅子に座って、窓の外を見ていた。
「また来たのか」
「話がある」
ルークが作戦を説明した。——全部は言わない。殿下からそう指示されている。ヴェルナーに伝えるのは「公の場でハイデンの件を証言してくれ」というところだけ。二段構えの全体像は伏せる。
ヴェルナーは黙って聞いていた。指で膝を叩いている。
「……ハイデンの指示で動いてたって、公の場で言えってことか」
「そうだ。お前が証言すれば、ハイデンの処分を見送った監察院の判断も問われる」
「俺に何の得がある」
ヴェルナーの声が冷えた。
「証言して、それで? 俺の処分が消えるわけでもない。むしろ自分の不正を公に認めることになる」
「ハイデンを道連れにできる」
ルークの声がまっすぐだった。
ヴェルナーの指が止まった。目が光った。——打算。計算。自分を使い潰したハイデンへの恨み。
「……道連れ、か」
しばらく黙って、ヴェルナーが笑った。薄い笑い。
「いいだろう。やってやるよ」
忠誠心はゼロ。でも恨みはある。それで十分。
ルークが「ありがとう」と言った。ヴェルナーは目を逸らした。
◇
ルークが帰った後。
私はヴェルナーの部屋の前で迷った。
殿下のところに戻るべきだ。報告はないけど、殿下の近くにいたい。
——でも、こいつの顔が引っかかる。
ルークに「やってやるよ」と言った時のヴェルナーの目。承諾の目じゃなかった。もっと複雑な、何かを計算している目。
前世の直感がまた騒いでいる。請求書を水増ししてた取引先の時と同じ感覚。あの時も、相手は「わかりました」と言いながら全然わかっていなかった。
——張ろう。
殿下には申し訳ないけど、今夜はここにいる。
◇
深夜。
ヴェルナーが部屋から出てきた。
寝巻きの上に外套を羽織っている。きょろきょろと廊下を見回してから、足早に歩き出した。
——やっぱり。こいつ、何する気だ。
つけた。ヴェルナーは古い寮棟の階段を降りて、本館の方に向かっている。行き先はわからない。でもロクなことじゃない。あの目で深夜に動き出す人間が、良いことをしに行くわけがない。
させるわけにはいかない。
ヴェルナーが本館の渡り廊下に差しかかった。
先回りした。渡り廊下の先の扉。鍵がかかっていない。——かける。ポケットに入れておいた管理人室の予備鍵で施錠した。
ヴェルナーが扉に辿り着いた。ノブを回す。動かない。
「……なんだ? 鍵がかかってる?」
舌打ち。引き返す。別のルートを探し始めた。
次の通路。ヴェルナーが角を曲がろうとした時、反対側から足音が聞こえた。夜間巡回の教官。
ヴェルナーが慌てて壁の影に隠れた。教官が通り過ぎるのを待つ。その間に、次の扉も閉めておく。
三度目。ヴェルナーが教員棟の裏口に回った。
足音。今度は生徒。夜中にトイレに起きたらしい下級生が、ふらふらと廊下を歩いてくる。
ヴェルナーが足を止めた。見つかれば「謹慎中の生徒が深夜に徘徊していた」と報告される。
下級生が通り過ぎるまで、壁に張りついて待っている。
その間に、裏口の鍵も閉めた。
ヴェルナーが裏口に着いた時、また鍵がかかっていた。
「——なんなんだ、今夜は」
苛立ちが声に出ている。拳で壁を叩いた。鈍い音。
三度試して、三度阻まれた。ヴェルナーは自分の部屋に戻っていった。
——よし。今夜は防いだ。
ヴェルナーの部屋の扉が閉まる。私は廊下の壁にもたれて、息をついた。
……防いだけど、止めたわけじゃない。
あいつの目。部屋に戻る直前、舌打ちしながら振り返った時の横顔。「今夜はダメだった」の顔であって、「やめよう」の顔じゃなかった。
出かけることは諦めた。でも、目的を諦めたわけじゃない。
部屋に戻ったヴェルナーが、机に向かっているのが扉の隙間から見えた。
——念のため、もう少しだけ残った。
◇
殿下のもとに戻った。部屋に入る。殿下はもう寝台にいた。規則正しい寝息。明日に備えて眠っている。正しい判断。正しい人。
窓の外が白み始めていた。
明日、監察院との勝負が始まる。
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