お側にいます(2)
ジャンター侯爵家の夜会、テラスへ出るとミア皇女が猫のように頭を擦りつけてきた。
吐息が熱い。頰は紅潮し、上機嫌な様子だ。既に酔いが回ってるというのに、手元のグラスを傾ける。
無防備だと思う。自身の魅力に対する認識が甘い。
彼女との結婚を望み寄って来た者達にも、この姿を晒した。喉を鳴らす男ばかりで辟易する。今日ばかりは、苛立っても顔に出ない性質に感謝した。
ふと潤んだ瞳で見上げられる。ミア皇女の香りが理性をくすぐった。
「……嫌かしら?」
「………」
嫌じゃない。だから困る。
私も男だという事を忘れているのだろうか。
密着する身体を離しベンチへ座らせた。風に当たってもらう。
面白くないのか、唇を尖らし空のグラスを揺らしている。動きに合わせ、彼女の薬指が光った。母の婚約指輪だ。
遺品の大半は義母のエマに奪われたが、これだけは手元に残った。正確には古い焼却炉へ捨てられたのだが、そこへ閉じ込められた際に見つけた。
エマが捨てたのは嫉妬もあっただろうが、それほど縁起の悪い指輪という事だ。そんな物を欲しがる彼女は、相当に変わっている。
同じ指輪をしていても、ミア皇女を母と同じにしてはならない。この指輪が目に入るたび、そう思わせられた。
「飲んでないのね。お酒は嫌い?」
皇女が私のグラスを見て言った。そのまま飲酒を勧められるが、首を振って断る。
伯爵家の失態を隠すため中身を捨てた。
「どうしたの?」
「……毒です」
何気なく答えてしまい、これを悔やむ事になる。
命を狙われるなど、私にしてみれば日常が帰って来たようなものだ。特に思う事は無い。
しかし、ミア皇女は違った。みるみる表情が硬くなり、酔いは一気に覚めたようだった。
それから私に何かあると、律儀に毎回、痛ましい表情を見せるようになった。
心配させるのは申し訳なく、起きた事を言わないでいれば余計気にされてしまう。あまり細かい人ではないのに、コートの裾の小さな傷まで見つける始末。
「……心配いりません」
「心配するに決まってるでしょう!」
ミア皇女が俯き震えた。その姿に胸が痛む。
いっそ、義母等を片付けた方が良いのかも知れない。今はそれくらい出来る。しかし、万が一にも下手を打てば立場を失い、ミア皇女と共に居られなくなる。
それに……あまり人を手に掛けたくない。
この日の夜会では、彼女から離れないと約束した。それを破る事になる。
「カイン、良い所にいたな。ついて来い」
ミア皇女が化粧を直してる内に、手洗いを済ませた。戻る前に厄介な人物と遭遇してしまう。
皇女の兄である、サミュエル皇太子だ。有無を言わさず同行させられた。
「今から幾人かと会う、少しでも不審な点があれば俺に言え」
目つきが鋭い。気にくわない事があったようだ。
彼は伯爵家以下の者と言葉を交わしていく。あまり面識がないのか、いずれも皇太子に話しかけられ困惑していた。
うち一人、殿下と顔を合わせ、すぐポケットへ手を当てた。確証は無かったが、隙を見て中身を拝借する。
空の小瓶だ。蓋を開け中の匂いを確認した。ほぼ無臭だが、揮発性の媚薬が入っていたと分かる。当たりを引いたようだ。
小瓶をポケットへ返し、別れた後で皇太子に次第を伝えた。
お役御免となり、ミア皇女の下へ戻る。随分と化粧室から離れた場所にいた。
血相を変えて歩き回っていたので、手を取り止める。
「カイン!どこへ行っていたの!」
勢いよく振り向かれ、全身を確認された。大分心配をかけたようだ。
彼女の顔が、緊張した表情、ほっとした表情、怒った表情と流れるように変わる。不謹慎にも面白いと思ってしまった。すると、今度は瞼を閉じて顔を上げてきた。
身体が固まり、心音が速まる。
戸惑ってる内に、ミア皇女が目を開けた。
「あ…これはその…」
赤くなって離れられる。私が考えたような意図は無かったのだろう。彼女が何をしていたのかは分からないが、変な事をしなくて良かった。
もう無断で姿を消さないよう約束させられていると、女性に声をかけられた。
見覚えがあり、記憶を辿る。兄オースティンの婚約者だ。
意味深な手つきで渡されたのは、紛失していたミア皇女から賜ったハンカチだ。わざわざ奪い、皇女の前で返してきた。彼女の不興を買わせようという訳だ。
ミア皇女は何を渡されたか見えなかったようだった。素知らぬ振りで仕まおうとしたが、さすがに見咎められる。
「私にも見せて」
「………」
賜った物を紛失していたのは事実だ。私に責任がある。観念してハンカチを見せた。
きっと頰を膨らませて怒る、そう思っていたが……予想は外れた。
彼女は心底傷ついたように悲痛な表情となり、追求もせず黙り込んだ。
私も、何も言えなくなってしまった。
ミア皇女の顔がよく曇るようになった。数ヶ月前はあんなに幸せそうだったのが嘘のように、落ち込んで元気がない。
彼女の希望でイチョウを見に来ても、俯いて地面ばかり見ている。
何か気の利いた言葉をかけるべきなのだろう。落ち込んでる理由は聞く方が良いのか、聞かない方が良いのか。あれこれ考えるも、上手い言葉は一つも浮かんでこない。
「愛しています」
結局はいつもと同じ事しか言えなかった。
それが悪かったのか、ミア皇女が泣き出してしまう。
「す、好き………カインの、ことが、好きなの……」
……好意を示されている。しかし泣きながら言われると、その先には別離を望む言葉があるように感じた。
涙を拭おうとし、拒絶される。
「同情で優しくしないで」
冷たい音が響いた。彼女のこんな声は、初めて聞いた。
無表情は時に人を見下した印象を与える。上から目線で、憐れんでるように見えたのだろうか。
「……同情ではありません」
「し、信じられない………貴方のことが、信じられない」
拭う事の許されない涙が、次々と流れ落ちる。
「私には、笑ってくれた事も無いじゃない…!」
息を飲む。
ミア皇女の泣いている理由がようやく分かった。恐れていた事が現実になったのだ。
悲しみに暮れる彼女へかける言葉も見つからない。笑いかける事さえ出来ない。人が突然変わるのは難しい。
以前慰めた時と同じように、ただ背中を擦り、謝る事しか出来なかった。
創世祭の日、庭園の暗がりに人の気配があった。隠されたような僅かな気配だったが、それが彼等を暗殺者の類だと教えてくれる。
オースティンが今夜、何か仕掛けてくる事は掴んでいた。城内で事件を起こし私と皇女の婚約を無くさせるか、それを避けたい私を城外へ誘導し秘密裏に排除するか、そんな所だろう。
―― 彼の作戦に乗ってしまおうか。
毎日ミア皇女に愛してると告げている。しかし、あまり状況は変わらない。
彼女はいつも不安げにしているし、私の表情も思うように動かない、場に合った言葉もとっさに出てこない。
打開策が見つからない中、たびたび兄から婚約破棄のきっかけが送られる。それが、最善とでも言うように。
このまま城内で事件が起きれば、皇室の会に多少傷がつくものの、大きく損をするのはベンシード伯爵家だけだ。
婚約破棄は通常つぎの婚約を難しくさせるが、ミア皇女にその心配はいらない。
考えるほど、城内に留まるのが良く思える。
「すぐ戻ります」
導き出される答えとは裏腹に、ミア皇女を安全な場所へ移し、城外へ出るため一度騎士団の詰め所へ向かう。
執着だ。一度手にした彼女を手放せないでいる。真に皇女のためを思うなら、違う行動が出来るはずなのに。
利己的な性格が浮き彫りになる。私もあの家の人間という訳だ。
ミア皇女が愛想を尽かし別れを口にするまで。そう自分に言い訳して、剣を携え外へ出た。
暗がりを歩く。降り出した雪が音を吸い込み、雑音が少なく静かだ。おかげで近くの音は聞き取りやすい。
ーー キィインッ
振り向き、背後からの襲撃を返す。
それなりに腕の立つ者が4人。質も数も普段より上だ。いい加減に私を仕留めたいのだろう、オースティンが奮発したようだ。
こんな事ばかりしてるから、伯爵家は傾いたままだというのに。
数は多けれど、動きはあまり複雑ではなく読みやすい。プロの暗殺者であるが故か、合理的過ぎる。相手の攻撃は当たる気がしない。
しかし、こちらを殺す気の相手を殺めず倒すのも簡単ではない。時間をかけて、やっと一人落とす。
そこで通行人の気配がした。雪が音を吸うからか、襲撃者達は気づいていない。目撃されれば城兵を呼ばれ、大事になってしまう。
もはや3人を斬るのはやむを得ないか。
剣を握り直した時、視界に入った人物があまりに予想外で動きが鈍る。
近寄ってきた足音は確かに一人分だった。しかし、一人で居るはずのない人がそこに居た。
雪降る中、外衣も羽織らず、顔を青くしたミア皇女が立っていた。
彼女が手にしていた何かを落とし、音が立つ。
頭で考えるより先に、身体が動いた。
襲撃者全員を沈めミア皇女を無傷で守れたものの、自身の背中を斬られた。
血の抜ける感覚に身体が崩れ落ちる。倒れるのは久しぶりだ。
薄れる意識の中で、不自然なほど冷静に状況分析をしていた。
皇女の近衛騎士が近づいている。すぐ応急処置を受けられるとして、生き残れる可能性は五分五分といった所だろう。これまでは幸運に恵まれて来たが、今回はどうか。
「嫌だ!!いや!カイン!!」
ミア皇女が瞳に涙を溜めている。私は彼女を泣かせてばかりだ。
「い、いなくならないで…!!」
涙が零れ、私の頰へ落ちた。
「お願い…どこにも行かないで!」
雨のように涙が落ちてくる。寒空の下だからか、温かくさえ感じた。
「ずっと……そばにいてよ…っ!」
私を抱きとめる手に力が込められる。
……生きてる意味なんて分からなかった。理由も目的もなく、死から逃れるためだけに行動していた。
いつからそれを止めて、ミア皇女と共にあろうとし始めたのだろう。
今も可能な限り意識を手放さず、命を繋ぎとめようとしている。それは、死への恐怖からではない。
これ以上、彼女を泣かせる訳にいかないから。生きて、彼女のそばにいたいから。
それを伝えたくて口を開くも、浮かぶ言葉はやはり、代わり映えのしないもの。
―― 愛しています。
音にならないまま、意識が遠退いた。




