お側にいます(1)
カイン視点です。
記憶の中の母は、いつも一人で泣いていた。
自室のベッドで寝ていると、毎晩のように隣の部屋からすすり泣く声が聞こえた。
幸い、泣き止ませ方を知っていたので、棚から適当な本を選び母の部屋へ向かう。
ノックしても返事はない。代わりに泣き声が止んで、しばらくすると母が扉を開けてくれた。
「………」
「………」
お互い一言も発しない。少し赤くなった目で用は何かと尋ねられたので、本を身体の前で示し、読んで欲しいと伝えた。
ベッドで寝そべりながら本を読んでもらう。普段は滅多に話さない母だが、読み聞かせは滑らかな語り口だ。泣き濡れていた声が、徐々に平素のものへ戻っていく。
本は何でも良かった。最後に読んでもらったのは、騎士アイザックの冒険譚だ。さすらいの騎士が様々な場所へ行き、次々と悪者を倒す。
物語が進むにつれ異国の姫を守る事が増え、最終的には結婚した。大人から見れば物語に多少無理を感じるが、子供は気づかない。純粋に憧れを抱いた。
ーー 僕も強くなって、お母様を泣かせる全部から守りたいな。
なぜ母が泣いてるのか、誰が泣かせているのかも分からず、そんな夢を描いた。
夢は叶う事なく、母と過ごす日々は唐突に終わった。
それからは、自分を守るのに精一杯になった。生きる目的も分からないのに死だけは恐ろしく、逃れるために何でもした。
"事故"に余裕を持って対処できるようになった頃、大叔父のすすめで騎士団へ入る。
子供の頃に憧れた騎士服へ袖を通しても、何の感慨も湧かなかった。ただ生きるため騎士になる。それ以上でも以下でもない。
「私がミアよ。好きに呼んでくれて構わないわ。よろしくね」
「……はい」
身を守るため磨いた技術が評価され、近衛騎士に選ばれた。
挨拶の際、ミア皇女は高位貴族にしか現れないブロンドを揺らし、皇帝と同じ翡翠の瞳を向けた。何となく、あまり汚れを知らない目に見えた。
皇女と過ごして数ヶ月、勘は当たっていたと実感する。汚い何かがあっても、彼女が知る前に皇帝や兄姉によって対処されていた。
ミア皇女は自分と違い、表情がコロコロよく変わった。
よく笑い、泣き、怒り、イタズラをして舌をだす、叱られて小さくなる。赤くなったり青くなったり忙しい。
家族に守られ感情豊かに生きる彼女は、身分を抜きにしても別世界の人間だった。
騒がしい事の多い彼女だが、エアラント王国への輿入れが決まった時は、声を抑えて静かに泣いた。
ぽちゃん…… ぽちゃん……
池へ投げる小石と呼応するように涙が零れる。その姿を見て、数年ぶりに母を思い出した。
見た目はまるで違う。母はこんな人目を惹く容姿でも、幼げな雰囲気でもなかった。
しかし、逃げる事も反発する事もなく現実を受け止め、ただ感情が抑えられず泣く姿は……確かに似ていた。
隣国への移動中は平時より多くの危険が予想された。果たして襲撃を受けたが、想定よりも酷いやり方であった。
燃え盛る炎を前に、ミア皇女の瞳が恐怖に染まる。……どこか、懐かしいと感じた。
昔は自分も様々な事に恐怖していた。もはやすっかり麻痺してしまったし、大抵の事に対処できる自信もあって恐怖は生まれない。
この襲撃も、敵の大まかな作戦や力量が推測でき、彼女を連れ逃げ切る算段はついていた。
皇女を抱き騎乗すると、必死な様子でしがみ付かれる。
ふと思う。きっと彼女が命の危険を感じたのは、これが初めてだろう。どう対処すれば良いか全く分かっていない。もし守る者も無く一人になったら……簡単にどうにかされてしまいそうだ。
剣を握る手に力が入った。
襲撃を切り抜け、近隣の子爵邸へ逃げ込んだ。
ミア皇女は立てなくなるほど恐怖を感じていたにも関わらず、他の者を心配し始める。さすがは皇族と少しばかり感心した。
しかし後から、それも気を張っていただけだったと分かった。限界だったのか、私のような者に縋り泣いたのだ。
誰かを慰めるなんて経験がない。勝手も分からず、背中を擦る事しか出来なかった。
皇女は私の胸で泣き続けた。
零れる涙は美しく、震える小さな肩は愛しく感じた。ミア皇女の涙が滲むかのように、胸が熱くなっていく。
ーー 彼女を泣かせる、何者からも守りたい。
守れなかった母と守られなかった自分、彼女に二人を重ねているだけかも知れない。それでも、初めて騎士となった事を誇らしく思えた。
エアラント王国へ入ると、ミア皇女の婚約者であるライアン王子が出迎えた。やたら見目よい男で、これは何かと使える顔だろうなと思った。女性相手だけでなく、男性にも有利に働くだろう。
ミア皇女も例に漏れなかったようで、必要以上に緊張して上手く顔を見られないようだった。一目惚れした可能性もある。
二人が話しているのを見ると、言いようの無い嫌悪感に支配された。王子の話から婚約解消へ動いてると気づけば、それが軽減する。
再び馬車が襲われた際、彼でなく私を頼られ、喜びを覚えた。不安げな瞳で見つめられると、抱きしめたい衝動が生まれる。
皇女を好ましく思っていたが、それがどういった類の好意かを自覚した。
宿場でミア皇女が襲われた時、救い出した彼女を実質的な首謀者であろうライアン王子が連れ去り、苛立ちが募る。
柄にもなく、早く二人の婚約が無くなる事を祈ってしまった。せめて他の人物と並んで欲しい。
願いが届いたのか、すぐシャーロット皇女が合流し、ミア皇女の隣に立ってくれるようになる。王都へ到着してしばらく、二人の婚約も無くなった。
シャーロット皇女の結婚式へ参列した後から、ミア皇女の様子が変わった。本人は隠してるつもりだが、誰の目からも明らかに自分へ好意を示し始める。
私の前で恋愛の秘訣を聞き、実践された時はさすがに驚いた。それなりに頭の回る人だと思っていたのに、恋愛は上手く出来ないらしい。
熱のせいもあっただろうが、不器用な彼女は可愛らしかった。ここまで計算しての言動…ではないだろう。
「……好きな人とかいるの?」
熱に浮かされた皇女が聞いてきた。
おそらく自分は、皇女と結婚できる中で最も身分も立場も低い者だ。それでも、彼女が望んでくれるなら……兄を退け爵位を継ぎ、皇女の満足できる生活を用意するため、伯爵家の立て直しに力を尽くそうと、そう思える。
「います」
想いを口にしようとした。
しかし、言う前にミア皇女が泣きだしてしまう。好きな相手が自分とは、露ほども思わなかったようだ。
その涙に怖気付いた。
私はあまり言葉が出てこない。表情もほとんど変わらない。何を考えてるか分からないとは、よく言われる。
大っぴらに表現もしなかったが隠したつもりも無いのに、彼女に私の想いは微塵も伝わっていなかった。
もし、結婚した後も同じ事が続いたら?ミア皇女が愛されてる事に不安を感じたら?
……自分自身が彼女を泣かせるのではないだろうか。
人の心は移ろうものだ。今は私の事が好きでも、時が経てば他の人を愛するだろう。その者と結婚する方が、皇女は幸せになれるかも知れない。
息がつまり、何も言えなくなってしまった。
その後、それまでと同じ様に、夜会などで彼女が多くの男性から求められるのを見た。自分より条件の良い者ばかりだ。誰も彼も上手く愛を囁けた。
やはり私はミア皇女の隣に見合わない。
そう思うのに、彼女が男性と近づくたび、手を取ろうか悩むたび、やはり嫌悪感に襲われ吐き気がした。
皇女が降嫁すれば、近衛騎士は付かなくなる。そばにいる事は出来ない。
「何にせよ、後悔はしねぇようにな」
騎士団の先輩に背中を叩かれた。スキンシップには強すぎる衝撃が、わずかに頭を冴えさせる。
ミア皇女の部屋の前で彼女の泣き声を聞いた。泣かせたくないのに、今の状況を放ってるのは矛盾している。
彼女を幸せにしたい。自分を抑えて泣かなくても良いように。他の者に任せて、もし彼女が涙に暮れていたら…………必ず後悔する。
出来るか出来ないかではなく、やろう。ミア皇女が不安にならないよう想いを伝え続け、そばにいて守り続けよう。
結婚を決めてから、各所に根回しをした。両家挨拶をしたら数多の妨害を受けると予測できたため、先に婚約披露を行う事にする。
ベンシード伯爵家に悟られないよう全て内密にした。そのため、婚約披露当日まで、ミア皇女に何も伝えないまま進めてしまった。
エスコートしようと手を差し出して、初めて彼女に断られる可能性を考えた。彼女は確かに私を好いてくれていたが、今もそうとは限らない。鼓動が大きくなる。
少しの問答の後、ミア皇女の手が自分へ伸びると、今度は期待で胸が鳴った。
しかし、触れる直前で止まる。
「あ……貴方は本当に良いの?」
そんなの良いに決まってる。待ち切れず、こちらから手を取ってしまった。
真っ赤に染まる顔を愛しく思う。私の隣にいるだけで、これ以上無いほど幸せそうにしてくれる。
この選択をして良かった。この笑顔が崩れないよう、全霊を傾けよう。
決意を新たに進めた婚約披露で、一つ、想定外の事が起きた。
ハリー皇子の助言に従い行ったプロポーズ。そこで、ミア皇女が泣いたのだ。悲しみではなく、喜びから。その涙から目が離せなくなる。
自分は十分彼女に惹かれていると感じていたけれど、それ以上があったようだ。
この涙なら、もっと見たいと思った。
書く予定ないので、ここでベンシード伯爵家の過去について補足。
ただの悲劇なので、あらすじだけです。
気になる方だけどうぞ。
*
アレン:ベンシード伯爵令息、後の伯爵
エマ:伯爵家侍女、力ある男爵家の令嬢、後の伯爵夫人
カインの母:準男爵家の令嬢(準男爵…平民以上貴族未満、お金で爵位を買った)
*
アレンは、商人として伯爵家に通っていた準男爵の娘、カインの母と出会う。
黒髪・黒目を美しいと感じ、さらに寡黙で奥ゆかしい態度や理知的な言動に惹かれ求婚する。
カインの母も、優しげで穏やかな雰囲気や、不気味と言われる黒髪を褒めてくれた事、寡黙過ぎる自分を愛してると言ってくれたアレンに想いを寄せる。
結婚後、経済的に困窮していた伯爵家は、準男爵家におんぶに抱っこ状態となる。
騎士に向き領主に向いてなかったアレンと違い、カインの母は経済に明るく夫をよく助けた。
アレンは彼女を幸せにしたいと思うのに、不幸にさせていると感じた。
また、彼女の寡黙さが災いし想いは伝わらず、アレンは愛されていないと思っていた。伯爵家からの求婚を準男爵家は断れなかっただけだと。
二人がすれ違っている所に、エマがつけ込む。
常々、準男爵家の庶民に男爵家の貴族である自分が仕えてる事に不満があった。一方、伯爵令息として所作に気品のあったアレンを好いていた。
妻と違い分かりやすい好意を向けてくるエマにアレンが流され、子供が出来る。
そこでエマは準男爵家の取り潰しにかかる。アレンとカインの母との結婚は、経済的援助を受けるための政略結婚と思い込んでいた。
男爵家の方が力があり、準男爵家は伯爵家に一定以上の支出をしていた事もあり、準男爵家は倒れた。
これでしがらみは無くなった、カインの母と離縁して私と結婚してほしい、男爵家が伯爵家を支援すると伝えても、アレンは離婚しなかった。
その後、エマは思い知る。
自分の子供が生まれても、アレンは困ったような顔をした。子供との接し方が分からないのだと思っていた。
けれどカインが生まれ、見まごう事なく彼の息子と分かる容姿と知ると、アレンは幸福に破顔した。
自分は愛を語らない、それどころかまともに話もしない妻の代わりだったと気づき、嫉妬を募らせる。
カインの母が外出する際、必ずアレンが護衛代わりに帯同していた。しかし、相手が拒んだと二人に伝えれば簡単に騙せた。
カイン母子だけで外出させ、雨による事故と見せかけ崖から馬車を落とした。
その後、傷心のアレンを押して後釜に納まる。
アレンはエマの不審さに気づいたが、それを認めれば、妻を失った上にエマを失い精神的な支えが無くなる。更に、自分の行いが結果的に妻を殺めたと知る事になる。
見ない振りをしてしまった。
エマはカインの母が亡くなればアレンが手に入ると信じていたが、自分は永遠に身代わりのままと気づく。
アレンへの熱を息子へ移し、次期伯爵にしようと偏愛する。
エマはカインを亡き者にしようと画策するが、いずれも失敗した。
実は、誰にも気付かれず、アレンは妻の忘れ形見であるカインを少なからず助けていた。カインが生き残れたのは幸運とカインの才能と、アレンのおかげだった。
アレンはそれを言わないし、全ての起因が彼にある事は変わらないので、カインと和解する日は来ない。
失敗続きの母を見かね、カインがミアと婚約した後はオースティンがカイン襲撃を主導した。




